はじめに
井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、沢地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9氏を呼びかけ人とする「九条の会」が昨年6月10日に発足してから1年が経過した。呼びかけ人として名を連ねた人たちは、文字通り日本の知性と良心を代表する存在である。発足の日、「会」の発足とアピール発表のため東京都内で開かれた記者会見には、奥平、小田、大江、加藤、鶴見の5氏が出席し、明文改憲が日程にのぼってきたことへの強い危機感と、今何とかしなければならないという熱い決意をそれぞれに語った。
この日発表された約2000字のアピールは、「日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています」という書き出しで始まり、「憲法制定半世紀以上を経たいま、九条を中心に、日本国憲法を『改正』しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って『戦争をする国』に変えるところにあります」とし、「私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためた憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。(略)日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます」と結んでいる。
この呼びかけは、党派を超えて幅広い人たちの心をとらえた。この1年のあいだに「九条の会」が主催する講演会は、北海道から沖縄まで全国の主要都市10カ所で開催され、どの会場でも入りきれない多くの人たちが集まり、第2、第3会場までが人であふれる盛況であった。そして同「会」は、政治的立場、思想・信条の違いを超えて、職場・地域・大学・さまざまな分野・グループで、国民の過半数結集を目指して、無数の「会」をつくることを呼びかけているが、これまでに全国で2000を超える「会」がつくられ、いま全国各地、職場、学園、多くの分野において「会」結成の準備が進められている。
ところが、改憲策動に反対し、「憲法を守ろう」という国民の運動の広がりに対し、本来のジャーナリズムの精神に立つなら、この草の根の運動を評価し、改憲策動を批判すべき新聞、マスコミのなかで、大きく2つの流れがみられるのが特徴である。
1つは改憲勢力を全体として支え、あるいは事実上容認する役割を果たし、改憲に反対・批判的な動きをほとんど黙殺して恥じない全国紙と、もう1つは全国各県、ブロックに根をはって地域住民と結びつき、改憲策動にも批判的な紙面づくりを進める地方紙、ブロック紙である。本稿ではそのような問題意識から、改憲策動とジャーナリズムの実態にメスを入れ、日本ばかりかアジアと世界の平和と将来にかかわる改憲策動をはばむたたかいのなかで、日本の地方紙の存在意義に光りを当てたいと思う。
1 改憲策動の特徴
今日、自民、民主両党が改憲案づくりを競い合い、さらに公明党も「加憲」の名による改憲案の検討を進め、さらに衆参両院の憲法調査会で改憲派が「最終報告書」を押し通して提出するなど改憲の流れが急速に強まっているのが特徴である。今日おこっている改憲策動の波は2000年4月に国会に憲法調査会が設置されて以来、本格化した。1990年代までの改憲策動の特徴とねらいは、改憲の世論づくりを中心にした改憲の政治的雰囲気の醸成にあったといえる。
しかし今日、今世紀に入って強まっている改憲勢力の策動は、これまでの準備や議論、ムードづくりという動きの段階を乗り越えて、まさに具体的な改憲案づくりを強引に推進するという新たな局面に踏み出しているといえる。小泉首相は、自民党結党50周年にあたる今年11月15日に同党の「改憲草案」を公表することを明言している。その背景には(1)「憲法九条は日米同盟の邪魔物」という米国のアーミテージ前国務副長官の発言似代表されるように、アメリカからの改憲を求める対日圧力がいっそうエスカレートしてきた、(2)日本経団連など財界が九条改変を中心に改憲の提言、報告書、意見書を相次いで発表、とくに財界総司令部としての地位を高める日本経団連が公式に改憲の旗振りをおこなうにいたった──などの事態がある。
2 世論操作に新聞、マスコミをどう位置づけているか
以上みたような策動を進めるうえで、1990年代の動き、最近の改憲の全体を通して、改憲勢力は、世論操作を進めるために、全国紙、地方紙を含めてマスコミ対策にとくに力をいれてきた。それは、日本国憲法が、第九条を中心に主権者である国民のあいだに幅広く定着してきている状況のなかで改憲論議を巻き起こしていくためには、よほど巧妙で大掛かりな仕掛けが必要であったのである。改憲勢力が、そのため一つの柱に据えようとしたのは、政府、権力の影響力が大きい全国紙を抱き込む点にあった。これら大手紙をすっぽりと「日米同盟」の枠内にいかにして取り込むかが、日米支配層、改憲勢力の最大のねらいであった。そこで、以下、改憲勢力がこのような戦略をどのように進め、そのもとで全国紙がどう対応したかについて、(1)90年代を中心にした時期、(2)今日の改憲策動の新たな段階──の2つの局面に分けて見ることにしよう。
(1)90年代の特徴
第一に、90年代において改憲勢力が改憲のための論議、政治的雰囲気づくりに重点をおいた攻勢の時期である。この時期に改憲論議を国民のあいだに広げるうえで、まず先導役を買って出たのが、日本ばかりか、世界の新聞のなかでも最大部数を誇る読売新聞であった。同紙は、1992年1月8日付の一面に社告を掲載、そのなかで同本社に専門家による「憲法問題調査会」(猪木正道会長、委員12人)を設置することを明らかにした。同社告は次のように述べている。
「わが国は国際国家として世界の平和、国際的協調に大きな責任をもっています。無責任な一国平和主義や一国繁栄主義はもはや通用しません。(略)この際とくに、国際貢献とわが国憲法の関係を、幅広い角度から徹底的に洗い直し、世界の平和にわが国が果たすべき役割について国民的議論を深めることは、緊急の課題です。調査会の討議内容はそのつど読売新聞紙面に公表し、提言をまとめる予定です」
同調査会が同年末にまとめた「第1次提言」を踏まえて、「読売」は93年社内のプロジェクトチーム「読売新聞憲法問題研究会」を設けて、「改正試案」の検討・作成に取り組み、ついに1994年11月3日付紙面に「第1次読売憲法改正試案」を発表するにいたったのである。同「改正試案」のポイントは、(1)自衛隊の認知、(2)国際協力の章を新設、自衛隊派遣も、(3)首相の指導力を強める、(4)「私学補助禁止条項」の廃止──などを打ち出していた。この「読売憲法改正試案」のもたらした影響は大きかった。「読売」は同「試案」発表直後の「社報」のなかで「国民的議論を巻き起こそうという当初目標は達成された」と述べている。しかも渡辺恒雄「読売」社長(当時)は翌95年1月5日に開かれた同社の「賀詞交換会」で、「試案」に関連して「読売新聞は、21世紀の国際社会に恥じることのない日本の使命を考え、平和な国土を守り、国民生活を安定させ、向上させるために一切のタブーに挑戦し正しく勇気ある主張を続ける」と胸を張ったのである。また別の会合では「『試案』の第2次案、第3次案も出してもいい」とまでいっている。
問題なのは、1000万部を超える大新聞が、1面トップに大きく「憲法改正試案」のニュースをおき、つづいて後ろの面を何面も潰して、「試案」を押し出す論評や解説、全文などを載せ、平和原則、民主主義原則を貫く現憲法を改悪し、危険な軍事大国への道を突き進むよう大々的に主張していることに対して、他の新聞、メディアの対応がどうだったのかである。「改憲試案」の内容からみて、こうした提言を紙面の多くを使って掲載した「読売」のやり方とその「試案」内容については、まともなジャーナリズムなら、国民の立場から批判するのが当然であろう。
しかし、「読売」の提言について、わずかに批判したのは「毎日」のみで、「朝日」はごく小さく扱った報道ですまし、「産経」は「読売」の提言に同調する立場から社説を載せたり、特集を組んだ。これでは「読売」の主張だけがいやがおうでも前面に出て、先の「読売」の「社報」がいっている「国民的議論を巻き起こそうという当初の目的は達成された」という言い分は単なる彼らの自画自賛とばかりとはいえず、「読売」の「改憲試案」提言というキャンペーンが、まさに改憲勢力の思惑を一定程度実現させる効果をもたらしたといえるのではあるまいか。こうして全体として日本の大手マスコミは、「読売改憲試案」を一人歩きさせるだけでなく、その方向で世論を誘導することに手を貸す結果となったのである。
これに気をよくした「読売」は第二次提言として2000年「試案」を発表し、いっそう改憲ムードをあおったのである。
(2)今日の局面での特徴 を全国紙にみる
第2に、具体的な改憲案の策定を目指す新たな危険な動きが急速に強まってきた今日の段階において、全国紙が果たしている役割についてである。
まず改憲問題に対する最近の新聞の社説の実態を知るうえで、58回目を迎えた今年5月3日の憲法記念日をめぐる新聞の論調をみておこう。日本新聞協会の機関紙『新聞協会報』(5月10日付)によると、全国紙、地方紙の社説は5月3日付をはさんで56本が掲載された。そのうち全国紙5紙の社説を検証する(いずれも5月3日付)
【朝日】《世直し気分と歴史の重さ》 「憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら、拒む理由はない。政治に求められているものは、単なる世直しムードを超えて、改憲することの利害得失をおおきな視野で見極めることである」
【読売】《新憲法へと向かう歴史の流れ》「憲法改正論議は、戦後の保革対決の下で、長くタブー視されてきた。読売新聞が1994年に発表した憲法改正試案は、その封印を解こうとする挑戦だった。(略)国民の憲法意識は大きく変わった。(略)読売新聞が、時代の変化を見据えて、憲法問題を提起してきたことは正しかった、と自負している。(略)もはや新憲法への歴史の流れを逆流させることは出来ない」
【産経】《「不磨の大典」に風穴を──まず9条と改正条件の緩和を》「論点が多岐にわたっているため、このままでは一致点を見いだすことは至難の業だろう。(略)9条の見直しと憲法の改正要件の緩和という緊急かつ必要なものに絞って、段階的な改憲を視野に入れるときではないか。(略)改憲が現実になっている好機を逃してはなるまい」
【毎日】《改憲への原則3点を確認する──まず集団的自衛権に決着を》「(戦後60年の間に)たまった矛盾や不都合の整理が求められている。(略)文字通り読んだ憲法と現実の乖離(かいり)にもっとも象徴的に表れている。その不都合は放置できない問題だ。(略)憲法改正を考えるにあたり、最低限踏まえておくべき考え方3点を確認しておきたい。(つづいて集団的自衛権に決着つけるうえでの国連非常任理事国入りの必要性などを強調している)」
【日経】《成熟した民主国家にふさわしい憲法に》「集団的自衛権について自民党新憲法起草委員会は憲法には直接明記せず、安全保障基本法を制定し、その中で集団的自衛権の行使のあり方を規定する方向を固めた。自衛権を憲法に明記すれば、集団的自衛権はその中に当然含まれており、あえて憲法に明記するまでもないというのは十分理解できる考えである」
以上今年の憲法記念日の全国紙の社説のポイントをあげたが、そこでその特徴を検討しておこう。
これらの社説が昨年の憲法記念日の社説と比較して、どう変わったのかという視点からの考察である。
一つは、改憲推進派3紙の論調をみると、「読売」の社説が述べる「もはや、新憲法への、歴史の流れを逆流させることは出来ない」という文言に象徴されるように、この一年に改憲の動きが大きく進んだことをあげ、いかにも勝ち誇った姿勢がありありと読みとれる。振り返って昨年の憲法記念日の社説をみると、「読売」は、「今まさに、憲法改正を具体的な政治日程に乗せるべきときである」とし、「産経」は、「憲法改正こそが最大の構造改革であり、最後まで成し遂げようというのが小泉流ではあるまいか」といい、「日経」は「憲法改正の機運は盛り上がってきた」とのべていた。
昨年のこの時期は、自民党は、小泉総裁の「05年11月15日公表」へ向けて「改正案」を作成するよう求める指示を受けて党憲法調査会「憲法プロジュクトチーム」を設け、04年4月15日論点整理の素案をまとめたばかりであった。民主党は06年までに改憲案を出す方針を明らかにし、公明党も改憲論議を加速させる態度を示していた。こうした状況のなかで推進派の論調は改憲案づくりを督励、その促進を支援するものだった。「日経」もこの時点で初めて改憲推進の態度を明確にした。
その後の一年に自民、民主、公明3党が改憲案づくりをいっそう熱心に競い合う事態が現出、国会の憲法調査会の「最終報告書」が出されるにいたり、推進派3紙の論調は、いかにも改憲策動が彼らの思い通りに動いているかのように状況を描き出しているようにみえる。しかし「産経」社説が「段階的な改憲を視野に入れるときではないか」とのべているように、憲法制定以来、これを守り抜いた国民の本当の意思が改憲に傾くかどうかについては、心から楽観視できない側面をにじませている点も見落としてはならない。
第二に、これに対して、昨年の憲法記念日の社説では改憲論に対し批判的見解をとっていた「朝日」「毎日」は、今年は改憲容認を前提にした論調に傾いた展開が色濃いものになっているのが特徴である。例えば「朝日」についてみると、5月3日付紙面では、同社が実施した日本国憲法についての世論調査の結果を1面トップで扱い、同面のほぼ半分を使って報道している。同調査では「9条は変えない方がよい」が51%と半数を超え、「変える方がよい」36%を大きく上回っている。「朝日」の社説は、この調査を紹介する形で書かれており、「政治家と世論の間には大きなずれがある」としている。その通りである。しかし問題はここからの展開である。そうであるなら国民、読者の立場にたつ以上、当然「9条を変えるな」というのが常識的論理ではないだろうか。
ところが、そんなことは一言もいわない。それどころか締めくくりの文章で「憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら、拒む理由はない」という。昨年の憲法記念日の同紙の社説は、9条改憲をもくろむ自民党などの態度についてふれながら、「国民多数の気持ちを読み違えてないか」と切り返していた。「朝日」の論調の後退は歴然としている。「毎日」の論調は、どう読んでも改憲容認を前提にしているとしか考えられない。
重大なのは、全国紙が社説・論評にとどまらず、あらゆる改憲反対・批判の集会、行動などをほとんど黙殺していることである。その一方で、自民、民主、公明各党の改憲案づくりは微に入り細に入り系統的に報道している。これは、偏向報道としかいいようのないものであり、まさに“改憲版”の「大本営発表」といっても言い過ぎではない。例えば、冒頭にふれたように「九条の会」についての報道は、演説会の開催を一部地域版で取り上げるものもあったが、全体としては事実上黙殺した。
こうみてくると、全国紙の改憲問題をめぐる論調・報道は、推進派3紙の論調が突出して、全体として、9条を中心にした改憲に反対したり、批判する国民世論は紙面に反映されない状況が、この1年ばかりの間につくられつつある憂うべき事態が進行しているといわなければならない。その背景には、もともと「日米同盟」の枠内に組み込まれた全国紙が、「日米同盟」のいっそうの強化が進むもと、その枠にさらに強く縛られ、次第に身動きできない状態になっているという実態がある。
3 地方紙の役割が貴重になっている
このような大手紙の状態と対照的に、今年の憲法記念日は、地方紙の多くが改憲策動に反対したり、批判的な論陣をはったのが大きな特徴である。まずその一部を紹介しておきたい。
【山陽】「改憲の動きに、護憲を掲げる共産、社民両党は警戒を強めている。過熱する憲法論議と、しっかり向き合いたい。(略)改憲論議の焦点は、何といっても九条だ。(略)政府が日米同盟を背景に自衛隊の行動を海外に拡大させながらも、(九条)二項によって自衛隊が武力行使に走らぬ歯止めとなってきたことも事実だ。現実に合ってないから外せとなれば、米国追随を強める日本は、海外での武力行使を加速させる事態にもなりかねない」
【信濃毎日】「愛国心、国防の責務、政教分離の緩和…。自民党が4月にまとめた改憲要綱には、戦前から連綿と引き継いできた価値観がにじんでいる。海外からの風圧もある。ブッシュ米政権は、集団的自衛権は行使できない、とする政府見解の足かせを外させるために、改正を促す声をしきりに送ってくる。(略)平和を求める切実な気持ちを丁寧にすくい取ることが、憲法論議を間違いない方向に導く鍵になる」
【沖縄タイムス】「どのような国を目指すのか。針路を指し示す憲法は、国民の意思が反映されていなければならない。米国との同盟関係が強化されていく中で、米国の求めに応じて『戦争ができる国』へ変えようとする動きは注視すべきであり、九条を変えていこうとする姿勢には敏感でありたい。(略)九条の理念は、世界にきな臭さが漂ういまだからこそ世界に向かって発信すべき意義を担う」
【琉球新報】「(九条)二項で『戦力不保持』に踏み込んだことは大きい。二項は戦後、政府が拡大解釈を繰り返し、骨抜きになっているとはいえ、一切の軍備を禁じていると読める。この項こそ平和主義の要となる部分であり、世界に誇れるゆえんだ」
これらの論調にみられるのは、国民の宝であり、世界の宝である日本の憲法を、米国のいうがままに、アメリカが起こす戦争に日本を参加させるために都合よく改悪しようとしている改憲勢力に対し、明確に反対、批判し、平和を心から願う国民の意思の立場を貫くよう強く求める主張である。それは、国民の意思をふみにじって改憲をあくまで推進するよう督励して止まない「読売」「産経」「日経」と改憲容認に傾く「朝日」「毎日」の「日米同盟」追随路線に対する批判の声であり、正義の叫びといえる。
(1)「九条の会」のことも社説で
しかも注目すべきは、これら地方紙の社説のなかで「九条の会」の運動が高く評価され、期待を寄せる論調がみられはじめたことだ。憲法記念日の社説では京都、中国両新聞がこの問題を取り上げた。その部分を紹介しておこう。
【京都】(《「平和主義」を発信する国に》というテーマで『拡大する九条の会』との中見出しを立てて)「自民党などの改憲へ向けての動きに危機感を抱き、昨年六月に文化人らが『九条の会』を発足させた。作家の大江健三郎氏や評論家の加藤周一氏ら9人が『平和な未来のため、憲法九条を守ろう』と訴えて結成した会だ。全国九都市で開催した『九条の会』主催の講演会には、約3万人が参加する盛況ぶりを見せた。趣旨に賛同する人々が地域や職業別などの形で個々に『九条の会』を誕生させ、これまでに1200団体以上の『九条の会』ができている。京都では今年4月、仏教やキリスト教などの宗教者が宗派を超えて『宗教者九条の和』を結成した。このような『九条の会』の活動からは、平和を求める市民の強い熱意がうかがえる」
【中国】「改憲の動きに抗して、昨年6月に発足した『九条の会』は全国で1280のグループが結成された。各地の講演会は満員という。九条を守る動きも潮流になっている」
(2)地域と住民に密着している地方紙の強み
日本は、日刊新聞発行部数でみると、昨年10月現在5300万部を超える(日本新聞協会調べ)など世界でもマスコミ普及の度合いは、最も高い、高度の情報社会とされている。一世帯の平均購読部数は1.06部である。新聞協会の調査では、加盟紙別の発行部数は公表されていないので、日本ABC協会の新聞発行レポートにみると、04年下半期(7〜12月)の平均部数によって全国紙と地方紙の割合をみておこう。それによると、全国紙5紙の合計は約2800万部だが、全体の部数のなかで50%を超え、残りは地方紙が中心である。つまり地方紙の普及率は一般の予想を上回って多いのである。それは、裏を返せば地方紙がその発行エリアの読者にあたえている影響は、非常に大きいものになってきているといえる。
とくにテレビの高度な普及のもとで地方紙は、国際、国内問題はもちろん取り上げるニュースは、多岐にわたり、あわせて当該地域の問題、事件をさらに詳しく報道する編集が行われるようになっている。地方紙のなかには、一部地域ではあるが外国特派員を出しているところもある。地方紙の社説・論調のテーマもその多くは、その時々で問題になっている政治、経済、社会、国際のことが取り上げられ、同時にその地域での固有の問題が論じられる。
しかし今日、全国紙と地方紙の論調、報道に、さきにみたようになぜこれほどまでの食い違いがみられるようになったのだろうか。もちろんこの食い違いは、いま激しく進行している改憲策動に限った話ではない。すでに「9.11テロ」(2001年)から1年が経過し、ブッシュ米政権がイラクへの大規模な軍事攻撃を計画しつつある時点からとくに鮮明になった。当時「読売」「産経」は、米のイラク攻撃を支持・容認する立場を示し、「朝日」「毎日」も一応批判的だがへっぴり腰の姿勢がみられた。
そのとき、地方紙の論調はイラク攻撃に真正面から反対するものが多数を占めた。そして昨年の憲法記念日の社説でも、地方紙の多くは九条改憲に反対・批判の主張を展開した。こうした積み重ねのうえに今年の各地方紙の論調は、ほとんどが改憲反対・批判の論調をかかげるにいたったのである。
地方紙の強みは、地域と地域住民と密着し、地域の民主主義に支えられ、そこを起点にした取材感覚と紙面づくりが不可欠なことである。論調も住民意識とかけはなれるなら、それは自殺行為である。
中国新聞論説主幹の福島義文氏は雑誌『論座』05年6月号で次のようにのべる。
「憲法改正問題が具体化してきた。憲法は国民が生きていく上での基本原理であり、公権力の独走を防ぐ骨幹の指針である。その改正の可否をヒロシマの地でどう考えればいいのか。重い課題である。(略)日米安保共同宣言(1996年)を機に日米同盟の『一体化』がさらに強まるにつれ、グレーゾーンは広がる。自国防衛や国際貢献の名の下に、9条の精神がないがしろにされてはならない」
こうした思いが「中国」社説で「九条の会」の運動への期待として反映したのは明らかだろう。
ある著名な評論家は「改憲策動が強まれば強まるほど、国民の反対の意思、九条を守ろうという世論は、広がっていくだろう。住民の視線で編集し論じる地方紙はますます改憲反対の論調を展開するようになるだろう。これに対し大手紙は中央の首相官邸はじめ記者クラブにいっそう取り込まれ、改憲推進・容認の流れから逃れられなくなるのではないだろうか。その意味では地方紙の役割、『九条の会』の存在はいまほど貴重になっているときはない」と語っている。
結びにかえて
そして改憲勢力も今や「九条の会」の存在を彼らの野望を貫くうえで決定的な障害になることを意識し始めている。改憲勢力の論客の一人である百地章日本大学教授が「産経」5月3日付の『正論』欄においてつぎのように述べているのはその一端を示すものとして注目される。
「現在、護憲派は全国各地、各職場に、『九条の会』を発足させ、来るべき憲法改正のための国民投票にそなえようとしている。国会での攻防はあきらめ、主戦場を憲法改正のための国民投票に移しているわけである。戦いはすでに始まっており、これに勝利し憲法改正を実現するためにも、今後、一層広範な国民運動が展開されなければならないと思われる。」
われわれは、「九条の会」の草の根の運動を文字通り日本列島の津々浦々に広げ、改憲勢力の企てを木っ端みじんに打ち砕くねばり強いたたかいを進めなければならない。
(かなみつ けい・ジャーナリスト)
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