労働総研ニュースNo.199・200号 2006年10・11月
目 次 |
・残業代11.6兆円の横取りを法認する |
労働総研の牧野富夫代表理事は、11月8日、厚生労働省記者クラブにおいて、「ホワイトカラー・エグゼンプション」に関する労働総研見解(「残業代11.6兆円の横取りを法認するホワイトカラー・エグゼンプション」)を発表した。以下の文章は記者発表用の全文である。 |
2006年11月8日 |
はじめに 小泉政権の5年半で、日本の保守政治は激しく劣化したが、安倍新政権の下で劣化はさらに加速しそうである。自民党総裁選の候補者をみても、「再チャレンジ」の見本のような党役員や閣僚の顔ぶれをみても、脈絡のない思いつきの政策をみても、自民党がもはや政権党の水準にないことは明白である。有権者の税金と歪んだ選挙制度と堕落した商業メディアに助けられて延命しているに過ぎない。 自民党はどうみても小渕政権が終わった時点でその歴史的役割を終えていた。にも拘らず、本来、一国の総理になるはずのないような無能で低劣な人物を総裁に担ぎ出し、支離滅裂な政策を「改革」などと持ち上げて5年余にわたって放置し続けた。しかも、自民党は政権交代に伴ってこうした無責任政治を反省し、改めるのではなく、さらに「加速」させようというのだから呆れる。 来年の参院選に向けて、能力においても、経験においても首相の条件からはほど遠い人物を総裁に据えたのは、2001年夏の参院選と同じ図式である。違うのは、日本が置かれた状況が当時よりも一段と厳しく、複雑化している点である。これを「愛国心」と「復古主義」で乗り切ろうというのが安倍首相チームの考えのようである。しかし、日本の内外を見渡せば、安倍氏らの描く「愛国心」教育や「復古主義」が受け入れられる余地はますます小さくなっている。それでも安倍氏が「闘う政治家」たらんとしてこの隘路を強引に突き進めば、日本は世界から孤立し、「美しい国」ならぬ「醜悪な国」と化すだろう。 以下では、すでに明らかになった安倍政権の矛盾に焦点を当てつつ、この政権の行く末を展望してみることにする。 振れなくなった「振り子」 低調といわれた今回の自民党総裁選であったが、その最大の狙いは言うまでもなく来年夏の参院選に勝てる「選挙の顔」を選ぶことにあった。そのためには少なくとも克服すべき3つの課題があった。第一は、人気は高いがイメージ先行で、「戦後生まれ」という以外これといった取り柄のない安倍後継に正統性を付与すること、第二は、参院選の最大の争点になりそうな消費税二桁増税のための世論工作、そして第三は、参院選に向けて自民党への世論(無党派層)の関心を高めること──であった。 安倍氏は年齢的に若く、閣僚経験も乏しく、また外交政策では自民党のなかでも超タカ派的存在であった。経済政策では格差社会を生み出した小泉「改革」の継承者を自任していた。その安倍氏に自民党総裁としての正統性を付与するために、外交政策では麻生外相の過激なタカ派的言動で安倍氏の超タカ派性を薄める一方、内政・経済政策では生真面目な谷垣財務相に積極増税論をぶたせることにより、安倍氏が消費税増税に消極的であるかのように演出した。 こうして、周到に準備されたシナリオに従って、安倍氏を幅広い有権者が受け入れ可能な「穏健政治家」として描き出した。麻生氏と谷垣氏は、ポスト安倍レースへのチケットと引き換えに、安倍氏の本質を隠蔽するという自らに課された役割を忠実に演じた。安倍新総裁の誕生で、自民党支持率は急増した。しかし、小泉政治によって蓄積された自民党の矛盾は、すべて安倍氏に継承されることになった。 かつて自民党は、政権が行き詰まると、党内の反対勢力に政権を譲ることによって政策を修正し、一定程度矛盾を解消することができた。いわゆる「振り子理論」であり、自民党長期政権の理由のひとつとされてきた。「安保」の岸内閣から「所得倍増」の池田内閣へ、田中「金権」内閣から「クリーン」三木へ、そして小渕「借金」内閣から小泉「構造改革」内閣へと、いずれも「振り子理論」が働いたとみることができる。そして今回も「振り子理論」が働いていたなら、靖国神社とアジア外交が大きな焦点になるなかで、後継政権は前任者と同じタカ派の安倍氏ではなく、アジア重視でハト派の福田元官房長官に移ったはずである。 なぜ、振り子は振れなかったのか。政治力学の面からみると、福田氏が安倍氏と同じ派閥に属していたことから、派閥の分裂を回避しようとする自制力が働き、従来のような派閥グループ間の権力闘争には至らなかったと言える。もちろん、5年余の小泉政治の派閥分断政策によって、反対勢力の足並みが揃わなかったこともある。しかし、もっと重要なことは、来年に参院選を控えて、「靖国」「歴史認識」という保守陣営の思想的根幹に関わる矛盾をどうしても封じ込めておく必要があったということである。そこで、北朝鮮によるミサイル発射で安倍氏と福田氏の支持が再び開いたのを見て、安倍氏に事実上、一本化したのである。しかし、その結果、「刺客」と「離党組」の問題から「靖国」と「歴史認識」、さらに「構造改革」と「格差社会」に至るまで、小泉政治の矛盾は何一つ解決されることなく、そっくりそのまま安倍新政権の矛盾として引き継がれたのである。 安倍政権は自民党政治の矛盾の産物 したがって、安倍政権の特徴は、党内矛盾解消の手段としての「振り子」を失った結果生まれた、あらゆる意味で自民党の矛盾が凝縮した政権と言えるだろう。 第一の矛盾は、靖国問題とアジアである。自民党内の一部には、靖国問題を解決し、アジア諸国との関係修復を目指す勢力が中心となって、福田元官房長官を担ごうとする動きもあったが、結局、福田氏の出馬見送りで靖国問題が本格的に議論されることはなかった。そのため、安倍氏は自らの過去の靖国参拝も将来の参拝についてもあいまいにしたままアジア諸国との「関係改善」を目指すという、極めて矛盾した方針を打ち出さざるを得なくなった。そこで安倍氏がまず行ったのは、首相としての安倍氏と「政治家個人」としての安倍氏を分離することによって、過去のタカ派的な発言を封印することであった。首相就任後、安倍氏は歴史認識と靖国問題について国会で次のように答弁している。 まず、「植民地支配と侵略」への「おわびと反省」を示した1995年の村山首相談話について、安倍首相は村山首相談話を引用する形で「我が国がかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えた」とする認識を示し、「政府としての認識は、談話等で示されてきた通りだ」と述べた。しかし、首相自身の歴史認識については「歴史の分析について政治家が語ることには謙虚であるべきだ」と総裁選からの主張を繰り返した。 また、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与と非人道的な実態を認めた93年の河野官房長官談話についても、安倍首相は「政府の基本的立場は、河野官房長官談話を受け継いでいる」として、従来の政府見解を踏襲する考えを示した。官房長官談話は(慰安所の設置、管理や慰安婦の移送に)「軍が直接あるいは間接に関与した。慰安所の生活は強制的な状況の下での痛ましいものだった」と述べているが、安倍氏は97年の衆院決算委第2分科会で「強制性を検証する文書が出てきていない」ため「談話の前提が崩れてきている」などと、談話を攻撃していた。 さらに、戦争責任について、安倍首相は「当時の指導者だった人はより重い責任がある」との認識を明らかにし、祖父の岸信介元首相が日米開戦時の商工相として開戦詔書に署名したことについても「そのときの判断は間違っていた」と明言した。 「靖国隠し」は通用しない 安倍首相の歴史認識をめぐるこうした「強硬な態度の修正」(『人民日報』10月5日付)は、中国、韓国への初訪問を控え、両国に配慮を示したとものとみられている。その安倍氏を中国は国賓並みの待遇で迎えた。安倍氏が訪中した10月8日は中国共産党中央委員会全体会議の初日に当たっていたが、中国側は安倍首相が就任後、最初に中国を訪問したことを高く評価して、胡錦濤国家主席、呉邦国全人代常務委員長、温家宝首相の序列最上位3人が個別に会談に応じた。日本側は、あまりの厚遇ぶりに、「何か裏があるのではないか」と疑心に駆られたという(『東京新聞』10月9日付)。 焦点の靖国参拝については、胡主席、温首相はともに「政治的障害を除去してほしい」と自粛を要求したが、安倍首相は「靖国神社に参拝したか、しなかったか、するかしないかは申し上げない」と応じたという。これに対し、中国側からは何の返答もなかったと伝えられる。安倍氏は会談後の記者会見で「先方の理解は得られたと思っている」と述べたが、中国側が安倍氏の説明を受け入れたわけではないようである。中国共産党の王家瑞対外連絡部長は18日夜、民主党の小沢代表と会談し、日中首脳会談での安倍首相の靖国神社参拝に関する発言について「あいまいにしたとは思っていない。参拝すれば大きな問題だ」と述べている。中国側は安倍首相が靖国参拝を「自粛する」とみているのである。 安倍首相は、靖国が政治問題化するのを避けるため、「参拝の有無を明言しない」というが、これは詭弁である。問題は参拝する(した)かしないかであって、明言するかしないかではない。官房長官と違って、首相は24時間、監視されている。首相がこっそりと、メディアに察知されないで参拝を済ませるのは不可能である。首相が「明言」しなくても「首相参拝」の報は瞬時に世界を駆け巡るだろう。「靖国隠し」はいつまでも通用しない。 安倍氏は「闘わない政治家」? 中国側は、日本の首相が初の外遊先に中国を選んだことから、日本の外交政策の重要な転換があったのではないかと考えたようである。だが、首相就任以来の安倍氏の国会答弁と今回の中韓訪問は、本当に中国が考えるような「転換」を意味するのか。 そもそも安倍氏の「歴史認識」は東京裁判そのものも認めないという異常なものであり、自民党のなかでも、また小泉前首相と比べても極めてタカ派である。靖国参拝についても安倍氏は、「何年も連続で参拝することが大切」であり、小泉首相の「次のリーダーも、その次のリーダーも受け継ぐこと」が大切だと主張していた。小泉首相に8月15日の参拝を強く勧めたのも安倍氏だったといわれる。そこまで靖国参拝に拘わり続けてきた安倍氏が、首相在任中は参拝しないというのは考えにくい。安倍氏は近著『美しい国へ』のなかで、郷土の吉田松陰が好んで使ったという孟子の言葉「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども吾ゆかん」を引用し、たとえ周囲に理解されなくても、自らの信念に従い、断固として行動する「闘う政治家」でありたいと述べている。安倍氏が参拝を止めれば、「闘う政治家」としての自らの政治信条を放棄したとみられ、政治基盤である右派層の信頼を失うだろう。 それにしても「靖国参拝」が政治信条であるのなら、なぜ明言できないのか。堂々と明言すれば良いではないか。それこそ「闘う政治家」にふさわしい態度ではないか。安倍首相は「所信表明演説」(9月29日)のなかで「主張する外交への転換」を強調したばかりではないか。「国民に対する説明責任を十分に果たす」とも述べている。参拝したか、しないかを「明言しない」で、あいまいにしておくというのでは、「主張する外交」が泣く。もちろん説明責任も果たせない。しかも、安倍首相は「国連の常任理事国入りを目指す」とも述べている。歴史認識でここまで無責任で卑屈な態度を取りながら、「連合国」が日本の仲間入りを認めてくれるなどと本気で考えているとしたら、まったくどうかしている。 安倍首相は、来年の参院選まではとにかく靖国参拝を自粛し、アジア諸国との関係を悪化させたくないと考えているのかもしれない。だが、参院選を乗り切れば、8月15日に靖国参拝を強行し、一気に憲法改正に踏み出す算段かもしれない。そうだとしたら、あまりにも無責任なご都合主義と言わざるを得ない。そんなことをすれば、日本は、アジアはおろか全世界からまったく相手にされなくなるだろう。 米国で強まる靖国批判 小泉前首相は安倍氏と共に「靖国参拝を批判しているのはアジアの二ヵ国だけだ」と強弁していたが、これは虚偽である。2001年に小泉首相が靖国参拝を強行してから、靖国問題は歴史教科書問題と併せて、世界のメディアに何度も取り上げられてきた。とりわけ小泉政権の屋台骨であるブッシュ大統領の米国では『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『USAトゥデー』『ロサンゼルス・タイムズ』『ボストン・グローブ』等の主要紙が、小泉首相の靖国参拝や遊就館の展示内容について「過去の戦争を正当化し賛美するもの」「ナショナリズムの再来」などと批判を強めていた。靖国批判はメディアに留まらず、米議会や知日派・親日派の学者や知識人にまで広がっていた。 昨年7月には、米下院が世界大戦終結60周年決議を採択、「東京における極東国際軍事裁判での判決、また人道に対する罪を犯した戦争犯罪人としての特定の個人への有罪判決を再確認する」と明記した。9月には、ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授が米上院外交委員会の東アジア太平洋小委員会で、靖国神社は「若者たちをアジアと太平洋の戦場に送り込んだイデオロギーや政府の政策をたたえる神社」だと指摘、侵略戦争を肯定していると批判した。 今年2月には、昨年末まで米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を務め、ブッシュ政権内屈指の日本通として知られたマイケル・グリーン氏が、小泉首相の靖国神社参拝によって「アジアでの日本の戦略的立場が脅かされている」と指摘し、首相の靖国参拝中止を求めた。この他、キャンベル米元国防次官補代理、ナイ元国防次官補らも参拝に反対の意見を表明した。一方、アーミテージ前米国務副長官は、米国が日本の戦没者追悼の方法についてあれこれ言うべきではないと断りつつ、(遊就館の)「戦争に関する一部展示の説明文は日本で一般に受け入れられた歴史の事実とも異なり、米国人や中国人の感情を傷つける」と指摘した(『産経』7月20日付)。 「議会演説」より「靖国参拝」を優先した小泉前首相 ところで、5月中旬、日本側は6月末の小泉首相とブッシュ大統領の最後の日米首脳会談に合わせて首相の米議会演説の可能性を模索していた。ところが日本側の申し出は米議会によって拒否された。実は、米側はルーズベルト大統領が真珠湾攻撃直後に演説した米議会で小泉首相が演説し、そのわずか数週間後に靖国神社に参拝して真珠湾攻撃に踏み切った東条元首相らA級戦犯に敬意を示せば、米国が侮辱されると伝えたという。この時、ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長は、日本側が「演説後に靖国参拝はしないと議会側が理解し、納得できるような何らかの措置」を約束すれば、小泉首相の議会演説を認めてもよいという姿勢を示したといわれる。これが事実なら、米側が小泉首相の「議会演説」を拒否したというより、小泉首相が「議会演説」より「靖国参拝」を優先したことを意味し、3ヵ月も前に「8月15日参拝」を決めていたことになる。 こうして小泉首相は強まる内外の反対や批判を押し切って8月15日の靖国参拝を強行したのであるが、その数日後、ある「事件」が起きた。保守派の著名な論客ジョージ・ウイル氏が『ワシントン・ポスト』紙(8月20日付)に「安眠できぬ日本の英霊たち」(The Uneasy Sleep of Japan's Dead)と題する小論を寄稿し、安倍氏が新総理になったら靖国に参拝すべきでないと主張したのだ。その4日後、『産経』に安倍氏の外交ブレーンの一人といわれる岡崎久彦・元駐タイ大使が「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と題する論説を掲げ、「戦時経済により、アメリカが不況の影響から最終的に脱却した」という「安っぽい歴史観」は「靖国の尊厳を傷つけるものである」として、撤去を要求、撤去しなければ「私は靖国をかばえなくなる」と強い語調で警告した。これを受けて靖国側は「誤解を招く表現があった」として、直ちに見直し作業を始めた。中国の要求には「内政干渉」と反発するのに、米国の要求は「内政干渉」にはならないらしい。 米国は安倍首相の参拝中止を要求 前任者よりさらにタカ派といわれる安倍氏が首相に就任すると、米国メディア、政府や議会から靖国参拝の中止と歴史認識の是正を求める声が噴出した。『ニューヨーク・タイムズ』紙(9月27日付)は「安倍晋三氏のアジアにおける課題」と題した社説を掲載し、「前首相が挑発的に繰り返した靖国神社参拝をやめると宣言すべきだ」と要求した。『ワシントン・ポスト』紙(9月25日付)も社説で、東京裁判の正当性を疑問視してきた安倍氏は「過去をごまかすことでは小泉首相より上だ」「過去の誤りを認めないなら責任ある民主主義として受け入れられないだろう」と述べた。 それまで靖国問題に「不介入」の態度をとってきたブッシュ政権も、遂に国務長官が就任したばかりの同盟国の首相に「注文」を付けるという異例の対応に追い込まれた。ライス国務長官は26日、メディアからの質問に、日中関係打開は「過去に問題があったことを認めてこそ前進できる」「政治的意思が必要だ」と述べた。北朝鮮情勢が緊迫するなかで、日中、日韓関係の悪化は、米国のアジア戦略に関わる重大懸案になっていたのである。 東京では23〜26日に日中外務次官対話が開かれていた。日本側は安倍首相の訪中を求めたが調整は難航、中国の戴秉国外務次官は同対話を終えて27日に帰国した。ところが同次官は翌28日、極秘に再来日、安倍首相の10月8日訪中受け入れの回答を伝えたのである。ライス国務長官の発言で、「安倍首相は靖国に参拝できなくなった」と中国が判断してもまったく不思議はなかった。10月19日、安倍首相と会談したライス国務長官は「首相の中韓訪問の成功をお祝いしたい。素晴らしい成功だった」と絶賛した。 安倍首相の「三位一体」を警戒する米国 歴史を歪曲し、日本の戦争責任をあいまいにする外交は、安倍氏が最重視する米国にも通用しないことが明らかになった。ここに安倍氏の第二の矛盾がある。小泉前首相にとって、靖国は「政治信条」というより「政権維持」のための手段に近かった。事実、首相に就任するまでの2年間は、小泉氏は神道政治連盟国会議員懇談会の副会長でありながら同国会議員懇談会による集団参拝を欠席していた。靖国も、拉致問題も、郵政民営化も、小泉前首相にとってはオペラやプレスリーとほとんど同じだった。 だが、安倍氏の場合は違う。「靖国史観」は安倍氏にとっては彼が夢見る「美しい日本」の中核に位置するものであり、「教育基本法改正」(愛国心)と「憲法改正」(集団的自衛権)と「三位一体」を成すものである。小泉前首相は先の戦争が侵略戦争であったことを認めるが、安倍首相は認めない。小泉前首相はA級戦犯を「戦争犯罪人」と認めるが、安倍首相は認めない。小泉氏の場合は政権維持のための単純で無邪気な対米従属だったが、安倍氏の国家主義は米国にとって有害で危険な要素を孕んでいる。安倍氏の唱える「双務性」の裏には格上げされた「防衛省」「集団的自衛権の行使」そして「核武装」までが見え隠れする。米国が小泉前首相と安倍首相の違いに気付かぬはずはない。安倍首相就任時の「靖国」「歴史認識」に対する米国政府とメディアの反応は、米国のこうした認識の変化を裏付けているように思われる。 戦争で「自信」は回復できない 強まる靖国批判の背景にはブッシュ政権の弱体化というもうひとつの要因がある。イラク戦争の大失態でブッシュ大統領の支持率は低迷しており、11月7日の中間選挙では民主党が少なくとも下院を奪還するのは確実とみられている。中間選挙後、ブッシュ政権は急速にレイムダック化し、米国の対中外交はより協調的になるとみられる。さらに2年後の大統領選挙で共和党が負ければ、米中は接近し、米議会は靖国への介入を一段と強めるはずだ。その時、安倍氏の「美しい国」は音を立てて崩落するだろう。 米国はベトナム戦争で喪失した「自信」を回復するために、絶対に負けない湾岸戦争を戦い、「勝利」した。ところが、米国の「自信」は、絶対に勝てるはずのイラク戦争で躓き、再び大きく傷付いた。そして今、米国は世界から嫌われる「醜悪な国」になった。安倍首相はこの米国の失敗から教訓を学ぶべきである。敗戦で喪失した「自信」を「戦争」で回復できると考えるのは、愚かな幻想でしかない。 サプライサイド減税の失敗は証明済み 安倍政権の第三の矛盾は内政にある。それは「構造改革」を「加速」すると言いながら実際には「転換」をせざるを得ないところにある。安倍氏は総裁選で小泉「改革」の継承者として自分こそが総裁の最適人者であると強調した。しかし、耐震強度偽装事件、ライブドア事件、村上ファンド事件などを契機に、世論の関心は所得格差や地域格差などの小泉「改革」の負の遺産にシフトし始めた。 こうした世論の変化を受けて、安倍首相は就任後の会見で、小泉前首相が進めた構造改革をさらに加速・補強していきたいと述べる一方、「成長なくして財政再建なし」と唱えた。小泉政権は「改革(財政再建)なくして成長なし」だったが、それがいつの間にか「成長なくして財政再建(改革)なし」に替わっていた。因みに「成長なくして改革なし」は「抵抗勢力」が主張していたことだ。実際、今回の「景気回復」は「抵抗勢力」の主張が正しかったことを証明した。そもそも日本の景気が回復したのは「改革」とは無関係であり、中国や米国など海外市場の好調による。日本の景気が上昇し始めると、銀行の不良債権比率が低下し、税収も回復に転じた。小泉−竹中チームの主張がまったくデタラメだったことが誰の目にも明らかになった。そこで安倍政権は、表向きは「小泉改革の継続」などと言いながら、実際は「政策転換」するしかなかったのである。 こうして安倍政権は政策の優先順位を「財政再建」から「成長」にシフトした。ところが、安倍政権の言う「成長」は、需要を刺激して経済を拡大するのではなく、あくまで供給サイド=企業の強化によって経済の活力を高めるというものである。具体的には、法人税最高税率の一段の引き下げと企業の研究開発投資関連の減税により、企業の競争力を強化する。そうすれば経済成長が高まり、税収が増えて、結果的に消費税を引き上げなくても済む、あるいは小幅の引き上げに留めることができる(企業減税→企業の設備投資増加→経済成長加速→税収増→消費税の引き上げ回避・引き上げ幅抑制)というのである。ところがこれはまったくの幻想に過ぎない。 サプライサイド減税が「税収増」につながらないことは、すでに米国で実証済みである。その原型は80年代初めのレーガン減税(1981年2月の「経済再建計画」)だが、減税で民間設備投資は一時的に増えたものの持続せず、結局、財政赤字を膨張させただけで終わった。財政赤字は81年度の789億jから86年度には2,212億jへと急増した。レーガン政権は85年に政策を軌道修正したが、財政赤字はその後も増え続け、結局、ブッシュ(父)大統領とクリントン大統領は赤字克服のため増税に追い込まれた。そしてクリントン政権の末期(99年度)になって、米国はようやくサプライサイド減税の負の遺産から脱却し、財政黒字を達成した。それを可能にしたのは、所得税及び法人税の最高税率の引き上げと国防費などの裁量的経費の歳出削減だったのである。 日本の法人税率は、景気対策の一環としてすでに大幅に引き下げられており、例えば東京の実効税率はニューヨークより約5%低く、ロサンゼルス、独デュッセルドルフと同水準である。企業の税と社会保険料の負担をみても、日本はヨーロッパ諸国の水準を大幅に下回っている。さらに日本の大企業は「研究開発減税」などの優遇措置、連結納税制度などの節税措置の恩恵も受けている。一方で、大企業はバブル期を上回る史上最高の収益を上げており、減税しなければ企業が設備投資できないというような状況ではまったくない。法人企業統計によると、日本の民間設備投資は好調な企業収益を背景に設備投資の拡大が続いており、減税による設備投資刺激効果はほとんどないと考えられる。 元々、法人税の税率引き下げは小渕内閣時代に経済危機を打開するため、所得税の最高税率引き下げと並んで所得税、住民税の定率減税と一緒に実施されたものである。所得税と住民税の定率減税は全廃し、法人税の税率はさらに引き下げるというのはまったく不公平であり、根拠がない。 法人税引き下げの財源は消費税の大増税 安倍首相は消費税増税に積極的な石弘光前会長に代えて、法人税減税に積極的な本間正明・大阪大大学院教授を政府税調会長に起用した。大田経済財政担当相も尾身財務相も法人税引き下げに積極的である。しかし「法人税減税で消費税引き上げを回避/圧縮できる」などというのはペテンまがいの言説であり、参院選に向けた「消費税隠し」に過ぎない。結局、安倍政権は法人税減税を賄うため、より大幅な消費税引き上げに追い込まれるのがオチであろう。石氏は「特定の者や業界を優遇する税制は不公平やひずみを生む。一方で家計増税になれば、国民の支持は得にくいだろう」と語っている(『朝日』10月22日付)。 ブッシュ(父)大統領は88年の大統領選挙で「リード・マイ・リップス(唇を読め)」(増税は行わない)と約束しておきながら、当選後に一転して増税に踏み切らざるを得なくなり、これが公約違反と責められて92年の大統領選挙で惨敗した。20年以上も前に破綻したサプライサイド減税を持ち出し、「消費税隠し」に狂奔する安倍首相は、結局、ブッシュ元大統領と同じ命運を辿ることになるだろう。 (ひらた ひろかず・評論家)
労働運動総合研究所2006年度第1回常任理事会が、2006年9月30日(土)午後1時30分から5時まで、労働総研2階会議室で、大木一訓代表理事の司会で開催された。 冒頭研究会で、「労働総研法人格取得の問題点等」について、坂根利幸公認会計士の報告を受けて、討議した。今後この課題で研究を深めることが確認された。 I 報告事項について、藤吉信博事務局次長が、1)拡大事務局会議、企画委員会について、2)ナショナル・ミニマムプロジェクト報告書の進捗状況について、3)全労連会館事務局等との懇談について、4)労働運動トップフォーラムについて、5)事務局の活動について、6)研究部会の活動について、それぞれ報告し、討議の結果、了承された。 II 協議事項について、事務局次長が、1)入会・退会の承認について、報告し、討議の結果、承認された。 つづいて、大須眞治事務局長より、2)当面の情勢と活動計画と中期研究計画についての素材提案があり、討議の結果、引き続き、情勢討議を深めるなかで、中期計画を確定していく方向が確認された。 3)《研究所プロジェクト1》「21世紀労働組合の研究」プロジェクト研究計画(案)について、大木一訓代表理事より提案があり、討議の結果、全労連との懇談を経た上で、全体の研究推進のため推進委員会(熊谷、浜岡、伊藤、村上)を設けて、具体化し、研究員等の協力を得ながら、調査研究をすすめていくことが確認された。 4)《研究所プロジェクト2》「新自由主義的展開に対する対抗軸としての労働政策の研究」プロジェクト研究計画(案)について、牧野富夫代表理事より提案があり、討議の結果、全労連との懇談を経た上で、具体化し、調査研究をすすめていくことが確認された。 5)恒常的政策委員会について、熊谷金道代表理事より提案があり、討議の結果、熊谷代表理事と事務局次長が全労連と協議のうえ、全労連の「恒常的政策委員会」と連携して、具体的な政策活動を明確にしながら、研究員や会員の協力を得ながら推進していくことが確認された。 6)研究員制度について、事務局長より提案があり、討議の結果、提案通り承認された。 7)調査・政策学校について、牧野代表理事より提案があり、討議の結果、全労連と協議しながら、具体化していくことが確認された。 8)企画委員会について、事務局長より提案があり、異議なく承認された。 9)神尾京子会員からの財産遺贈問題と今後の対応について、事務局次長より提案があり、討議の結果、提案通り、具体化することが確認された。 10)編集方針について、藤田実常任理事より提案があり、提案通り承認された。
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