労働総研ニュース No.261 2011年12月



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最近の派遣法改正に関わって 長井偉訓
労働総研プロジェクトの目的・大枠の確認 研究所プロジェクト推進チーム
日本は依然として異常な長時間労働の国 斎藤力




最近の派遣法改正に関わって

長井 偉訓

 事務局より、「近況報告」執筆の依頼を受けたものの、近年はキャリア教育やジェネリック・スキル(汎用的能力)の大学教育への導入を巡る教育改革に翻弄され、研究にじっくりと向き合う時間が限られている状態で、研究面でのまともな近況をお伝えすることは出来ませんが、最近の派遣法改正に関わって少し話題を提供させていただきます。

 研究テーマの一つである「改正派遣法」の評価については、すでに大原社会問題研究所により特集号として2回に分けて連載された諸論考の中で、私なりの考えを述べさせて頂いております。また一昨年に日大で開催された社会政策学会のテーマ別分科会においても、龍谷大学の脇田滋先生と派遣労働ネットワークの関根秀一郎さんに「改正派遣法」に関して、ご報告をお願いし、その評価と問題点について、フロアからも闊達なご意見を頂き、多くの会員がこの問題に関心を持たれていたと思われます。

 「改正派遣法」が国会に上程されてすでに約2年余りが経過しましたが、11月16日付けの朝日新聞を始め各紙に、「製造派遣 禁止先送り」「改正案修正 民主、受け入れ方針」という報道がなされたことは、皆さんご存じでしょう。これを私たちは、労働規制緩和に対する「再規制」の潮目が再び逆流していると見るべきでしょうか?

 ご存じのように、1999年には、派遣対象業務のネガティブ・リスト化により、インターネットや電話1本で「日雇い労働者」を発注先の現場に送り込む労働者供給事業が蔓延しワーキング・プアの温床となったし、2004年には、製造派遣が解禁されたことにより「限りなく派遣に近い」偽装請負問題が多発し、その矛盾は2008年のリーマン・ショック不況により顕在化したことは周知のことです。とくに99年以降の派遣法の改悪が、今日のワーキング・プアの増大による格差問題を引き起こす上で、重大な要因の一つになったことを多くの国民は正しく認識しており、「改正派遣法」が1歩前進・2歩後退だったかもしれないけれども、問題点を孕みつつも一定の評価もされてきたように思えます。しかし、蓋をあけてみれば、中から出てきつつあるモノは「1歩前進」の部分さえも完全に削ぎ落とされた「悪法」の姿に引き戻されているようです。

 日本における派遣法の生みの親である高梨昌先生が今年の8月30日に亡くなられました。私は個人的には高梨先生とほとんど面識はありませんでしたが、龍谷大学で開催された社会政策学会で先生が報告されたおりに、それに関してフロアから質問させて頂き、私の稚拙な質問に対して、それなりに真摯な態度で応えていただいたことを今でも鮮明に記憶しています。この場をお借りして、高梨昌先生のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

(ながい よりとし・会員・愛媛大学教授)

≪労働総研プロジェクトの目的・大枠の確認≫

人間的な労働と生活の新たな構築をめざして

2011年11月5日

研究所プロジェクト推進チーム

 この国の“労働”と“生活”が、90年代の後半から、急速に劣化している。失業、半失業の増加、賃下げ、長時間過密変則労働・心の病の増大など「雇用労働条件・作業環境」の劣化と、年金・医療・介護保険や生活保護の後退など「社会保障・公的支援」の劣化が顕著である。ワーキングプア・餓死・自殺などの増加は、ナショナル・ミニマムの欠落の証左である。こうした状況下で、勤労国民の言い知れぬ不安感が増すばかりで、暗澹たる閉塞社会になっている。なぜこのような社会になったのか。一言でいえば、それは90年代半ば以降の「規制緩和」と「小さな政府」を主要手段とする「新自由主義改革」=「構造改革」の強行の結果である。それを推進した二大勢力は、アメリカと財界(多国籍企業化した大企業)であり、その下僕と堕した日本政府が、アメリカ・財界の意を体して、労働法制の改悪や社会保障切り崩しのほか「経済構造改革」・「財政構造改革」・「金融システム改革」・「行政改革」・「教育改革」など国の主要分野をカバーする「構造改革」を国策として強行したのである。

 09年の「政権交代」の前後、国民の批判により「構造改革」が一定の後退をよぎなくされたが、3月11日の大震災・原発事故(以下「3.11」と略記)のあと、「復興」を口実に(「復興への提言」)、「構造改革」の新展開の動きが鮮明になっている。原発、普天間基地、TPP交渉参加、消費税増税をねらう「社会保障と税の一体改革」、さらに憲法「改正」などをめぐって、アメリカ・財界を黒幕とする「民主・自民・公明の事実上の大連立体制」による危険な動きが顕著である。

 だが同時に、こうした情勢のもとで諸矛盾も拡大し、労働者・国民の怒りがさまざまな運動となって拡がっている。「3.11」は国民の意識を大きく変えた。“雇用破壊”・“生活破壊”にストップをかけ、「人間的な労働と生活」を実現させるには、雇用労働条件や社会保障を改善するだけでなく、“環境”と“平和”が不可欠であり、それには「政治を変えなくてはならない」という意識が国民のあいだで拡がっている。「3.11」が“生活”と“政治”を「国民の実感で結びつけた」ことの意味は大きい。

 わが労働総研の標記のテーマによる「研究所プロジェクト」は、90年代後半以降の急激な「雇用破壊」・「生活破壊」への対応として、21世紀の第1四半期末(2025年)ごろを目途に「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」発足したが、作成途上で「3.11」が勃発し、国民生活はもとより経済・政治・国民意識(イデオロギー状況)等の大きな変化が生じた。そこで、「3.11」後の情勢も十分ふまえ、2012年春季の「報告書」の完成・発表を予定して、いよいよ取り纏めの段階に入る(発表の時期については、春闘の時期であること、「3.11」から1年を経過した時期であること、の2点を考慮した)。

 以下、本プロジェクトの“目的”と“大枠”について、プロジェクト推進チームの考えを示すことで、各作業部会での最終的な取り纏めの参考に供したい。

I プロジェクトの目的・課題

 本プロジェクトの目的は、上記のような情勢をふまえて、21世紀の第1四半期末(2025年)ごろを目途に、この国で「人間的な労働と生活」を実現するための条件と、それを「可能とする社会」の実現の条件を、統一的に解明することである。それには、あらかじめ「人間的な労働と生活」と「それを可能とする社会」について一定の“ビジョン(近未来像)”を持つ必要がある。そのビジョンからバックキャスト(逆算)して「実現の条件」を戦略的に積み上げてゆかねばならないからである。したがって、そのビジョンを明らかにすること、その実現のおおよその段取りを示すことも、本プロジェクトの課題である。

II 社会変革のビジョン(どんな社会へ向けて変革するのか)

 資本主義の枠内で、しかも21世紀の第1四半期末という比較的短い期間に、どれだけの変革が可能なのか、決して容易ではない。しかし、「日本資本主義は、いま、明治維新、戦後改革に続く第3の歴史的変革の時代に入りつつあるようにみえます」(友寄英隆著『変革の時代――その経済的基礎』2010年)といった大局観が支持される情勢であり、現に「3.11」勃発後、これを契機にまだ方向は定まらないが、経済・政治・イデオロギー状況が大きく変化しはじめている。

 本プロジェクトのテーマである「労働と生活」をめぐっても、その劣化が「3.11」後いっそう加速され、「人間的な労働と生活」への労働者・国民の渇望が強まり、運動としても広がる勢いである。このような歴史的な新局面に際会し、われわれ労働総研として、「人間的な労働と生活」という、いまや国民的一大要求となった課題の解明に、これまでの研究の蓄積と持てる力を結集して正面から取り組むことは当然の社会的責務であろう。どんな社会に変革しなければならないか。つぎの3点が基本と考える。

1)日本国憲法に立脚した「主権在民の平和な日本」を創る(主権者が事実上アメリカと財界である現状の変革)。

2)食とエネルギーの自給率を高め、地球環境を守り育てる日本を創る(大気・土地・水など環境汚染を増幅させる原発、TPP参加等を阻止し、「安心社会」の実現)。

3)「人間的な労働と生活」を支える2本柱である「雇用」(その内容としての雇用形態・賃金・労働時間など雇用労働条件も含む)と、教育・住居等の公的支援も含む「社会保障」の大幅な拡充をベースに、国民本位で発展させる内需主導型の日本経済を創る(雇用関連と社会保障の大幅改善による内需拡大で経済を発展させる「好循環型日本経済の実現」でディーセント・ワークを実質化)。

III 人間的な労働と生活とその実現の条件

 最初に、資本主義という制約のもとで、「人間的な労働」とは何か、「人間的な生活」とは何か、を確認しておこう。

 まず、「人間的な労働」の基本的要件は、(1)「働きがい」があること、(2)「安定性・継続性」(長期雇用)が保障されること、(3)雇用・賃金等「雇用労働条件」がナショナル・ミニマムをクリアし、かつ男女間ほか各種の差別がないこと、の3点である。

 ついで、「人間的な生活」の基本的要件は、(1)自然を変え(労働)、社会を変え(社会変革)、自分を変える(自己啓発)権利が保障され、(2)生活を積極的にエンジョイできる時間を必要に応じて持つことができ、(3)そのための物質的基礎として「雇用労働条件」ならびに「社会保障」が一定水準(ナショナル・ミニマム)以上であること、の3点である(自営業・小規模農林漁業など雇用労働=賃労働以外の仕事についても同様である)。

 以上のような「人間的な労働」と「人間的な生活」が享受できれば、“しあわせ”の基礎的要件である(1)「経済的ゆとり」、(2)「時間的ゆとり」、(3)「心身の健康」の3点もおのずと満たされることになろう。

 ひるがえって1990年代後半以降の現実は、アメリカと財界の利益のための「新自由主義改革」=「構造改革」によって、「人間的な労働と生活」が犠牲にされ、「“しあわせ”の基礎的要件」が著しく毀損されている。日本経済の高度成長期以降、労働運動や革新自治体等の発展も一定反映した日本的雇用慣行や社会保障によって限定的ながら存在した「経済的ゆとり」が、90年代半ばから本格化した「規制緩和」・「小さな政府」攻撃によって掘り崩され、いま危機的な状況となっている。

 本プロジェクト=「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」は、以上のような経緯をふまえて立ち上げ、取り組み、「3.11」後の情勢もふまえている。「人間的な労働と生活」は、上記の「国づくりビジョン」と一体のものとして“憲法”を理念とし、社会保障の拡充とセットで“ディーセント・ワーク”の実現をめざすものである。

≪労働(雇用労働条件)関連ルールの整備≫

 90年代半ば以降、「構造改革」の本格化で「聖域なき規制緩和」が強行され、「働くルール」の解体が一挙にすすみ、「雇用破壊」を容易にした。アメリカや財界は、ホワイトカラー・エグゼンプションなどさらなる労働分野の「規制緩和」を、憲法「改正」も視野に入れてねらっている。「人間的な労働」を実現するには、こうした「規制緩和」を許さず、労働者の切実な要求にもとづく下記のような「働くルール」の拡充・整備が基本的に必要であろう。キーワードは、生存権とナショナル・ミニマムである。

1)正規雇用を原則とするルール(=法的規制)の整備。その実現の条件として、「正社員が当たり前の社会」にすることで、将来の生活設計が可能となるなど労働者にとってのメリットだけでなく、「企業の経営」にとっても、また「社会の安定」にとっても役立つことを、国民的理解にまで広めることが必要だろう。

2)均等待遇を原則とするルールの整備。「均等待遇の原則」とは具体的にどういうことなのか、「同一価値労働・同一賃金」と「年功賃金」の関係など、つめるべき論点も多い。

3)ナショナル・ミニマムの基軸たりうる最低賃金制の整備(全国一律最賃制の確立)。ナショナル・ミニマムとは何か。そのレベルをどう考えるか、憲法の具体化が必要であろう。

4)ワークシェアリングを現実化する時短ルール(最長労働時間制)の整備。労働時間問題は、長時間過密労働にとどまらず、前近代的な「サービス残業」が常態化していること、また過労死の多発などとも関連して、わが国労働問題の「最大の問題点・恥部」といえる。戦略的対応が求められるテーマである。

5)ジェンダー視点に立った労働関連ルールの見直し・整備。これは労働時間問題同様、歴史的・文化的な要因・背景とも根深くからんだ難題である。この問題の基本は資本主義という階級社会に根ざすが、一方「男女同権(女性解放)は革命の課題なのではなく、民主主義的改革の課題なのだといえよう」(鰺坂真『ジェンダーと史的唯物論』39ページ)という重要な指摘もあり、ジェンダーをめぐる理論の整理も必要だろう。

≪雇用創出の7つの道≫

 失業・半失業が増大し、円高下で「産業空洞化」が懸念されるもとで、多国籍企業の「国際分業の再編攻勢」にも対抗できる“雇用創出の道”を本プロジェクトのポイントとして提起すべきであろう。各作業部会での検討を俟って集約することとし、以下はそのための“たたき台”である。いうまでもまく、雇用創出は「現在の雇用を守る」ことと一体で追求されるべきである。

1)「サービス残業」根絶等“時短”の推進による雇用創出(ワークシェアリング)。

2)福祉医療等分野の労働力不足を雇用労働条件の改善で埋める雇用創出。

3)農林漁業の戦略的振興による「食の安全」や「環境の保全」と一体の雇用創出。

4)危機管理にも役立つ「地産地消」(「村おこし・町おこし」)による雇用創出。

5)公的な「職業訓練」の拡充(即効性)、学校教育の「考える人育成」・「職業教育」の強化(要長期)による雇用創出。

6)住民サービスの向上のための公務員増員による雇用創出。

7)多国籍企業等の無秩序・無責任な海外移転に対する規制強化。

≪社会保障の拡充で安心社会へ≫

 「構造改革」の本格展開により、90年代から2000年代にかけて「雇用破壊」とセットで、社会保障・福祉の市場化・営利化が進行し、社会保障の思想と現実が共に危うくなっている。復興構想会議の「復興への提言」と「社会保障と税の一体改革」を阻止し、失業・疾病・老後等に対応できる「安心社会」を創造する課題の意義がますます大きくなっている。「3.11」が国民にそのことを強く実感させた。

 財界など社会保障敵視勢力は、(1)国と自治体の責任回避を正当化する「自立・自助」、「自己責任」論、(2)社会保障の効率化を口実とする「市場化・営利化」論、(3)一面的な「財政危機」論による社会保障費削減攻撃(「税と社会保障の一体改革」論)をマスコミも動員して強めている。これらの社会保障攻撃をふまえて、3点だけ強調しておこう。

1)社会保障とは何かを問い直し、憲法で保障されている「生存権、国の社会保障的義務」を確認し、国・自治体の社会的責任を明確にすること。国民の権利意識・生存権意識の高揚が課題である。社会保障概念を現状=ニーズに合わせて拡大し、とくに失業・半失業に対する所得保障・生活費付きの職業訓練の整備などが喫緊の課題である。

2)財界は自らの社会保障費負担の極小化だけでなく、「効率化」の名のもとにビジネスチャンスとして「社会保障の民営化」拡大をねらっている。すでに社会保障の「市場化・営利化」が進行している(介護保険で顕著)。「社会保障の市場化・営利化」を阻止し、社会保障を「安心できる生活」の確かな支柱に改革しなければならない。

3)国民の社会保障拡充の要求は強烈だが、それを「あきらめさせる」最も有効な手口が「財政危機で財源がない」論である。長期戦略で社会保障制度を拡充するには約65兆円の恒常的財源が必要といわれるが、戦略的に一連の措置を講じることで拡充が可能である(山家悠紀夫著『暮らし視点の経済学』の「終章・財源問題を考える」P.178-216参照)。

さいごに――「生活(費)の社会化」を

 90年代半ば以降の「新自由主義改革」=「構造改革」を国策とする政治が、“反憲法のドグマ”=「自立・自助」論、「自己責任」論を労働者・国民におしつけ、その結果、貧困が蔓延し、餓死・自殺等が増えるという異常事態を惹起している。こうした状況下で、いま強く求められるのは、憲法(「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」第25条2項)に立脚した「生活(費)の社会化」である。

 雇用破壊が進行し、失業・半失業が増大したいま、これに対する国の責任として雇用保険制度や生活保護制度の抜本的な改正などによる所得保障の整備が喫緊の課題となっている。生存権の一環である“住居の保障”もまた、「ネットカフェ難民」や大震災被災者の窮状が訴えるように待ったなしの課題である。さらに、貧困の世代をこえた再生産を絶つため(この国の将来のためにも)、「子育て=教育費の社会化」も不可欠である。

 失業者・障害者・老齢者・シングルマザーなどは、限界まで“自助努力”をしてもなおかつ生活できない状態にある。憲法に立脚した生存権保障としての「生活の社会化」と、憲法(第27条2項「勤労条件に関する基準」)の具体化としての「働くルールの確立」が「人間的な労働と生活」実現の二大支柱であり、21世紀の第1四半期末を目途に“二大支柱”を確かなものにすること――これが本プロジェクトの中心的課題であろう。

日本は依然として異常な長時間労働の国

斎藤 力

1 フルタイム正規雇用労働者の労働時間は2700時間台

 「2000(平成12)年に向けてできるだけ早期に、現在のアメリカ、イギリスの水準を下回る1800時間程度を目指すことが必要である」と述べ、日本の労働時間を1800時間とすることを「国際公約」としたのは1987年の新前川レポート(経済審議会「構造調整の指針」)であり、それは、日本企業の強すぎる国際競争力が異常な長時間労働によってもたらされている、という国際的な批判を背景にしてのことであった。

 厚生労働省「毎月勤労統計調査」(企業規模30人以上)によると、日本の年間総実労働時間は1985年には2110時間であったが、90年には2052時間、95年1910時間、2000年1859時間、05年1829時間と推移し、09年には1768時間と初めて1800時間を切り、10年も1798時間であった。これからすると、日本政府が目標とした2000年には10年ほど遅れたものの、この四半世紀の間に日本の労働時間は300時間余り減少し、1800時間弱となったことになる。

 年間労働時間1800時間は、年52週で割ると1週間当たり約35時間となる。この中には、祝祭日や年次有給休暇の取得日なども含まれるから、「毎月勤労統計調査」の年間出勤日数(一般労働者1人平均、2010年)228日で割ると、ちょうど1日当たり8時間となる。つまり、年間労働時間1800時間というのは、毎日残業なしで働いた場合の労働時間ということになる。

 しかし、個々の労働者からすれば、労働時間が確実に減ったという実感はないし、むしろ仕事はきつくなっているという労働者が多いのではないだろうか。

 黒田祥子は、「日本人の労働時間が10%以上短くなったとする公式統計の値と、世の中の時間とがなぜ乖離しているのかという点はきちんと解明されていない。週休1日・週6日就業というスタイルが一般的であった1970、80年代に比べて、週休2日制が普及した現代において労働時間が非常に増えているように人々が感じているのはなぜだろうか」(1)との問題意識のもと、総務省「社会生活基本調査」を活用して、1日24時間分の生活行動を15分単位で回答者に記録してもらう「タイムユーズ・サーベイ」という統計で、1976年から2006年の労働時間を比較している。

 黒田は、「タイムユーズ・サーベイ」の結果、雇用者1人当たり、フルタイム雇用者1人当たり、そして男女別のいずれでみても、1986年と2006年の日本の有業者1人当たり週平均労働時間は統計的に有意な差は見られないと述べている。さらに、日本(2006年)とアメリカ(2003年)のフルタイム労働者の週労働時間を比べると、男女ともに日本が9〜10時間長いこと、平日の労働時間の増加が睡眠時間の減少を招いていることも明らかにしている。(2) 労働政策研究・研修機構『データブック国際労働比較2010』では、1人当たり平均年間総実労働時間は日本の1792時間に対し、アメリカは1797時間とアメリカの方が長時間労働国となっているが、黒田の分析によればフルタイム雇用者で比較すると日本の方が400〜500時間も長いことになる(表1)

 なぜ、日本の労働時間が1800時間を切るようになったのかについてはすでに多くの指摘が行われているように、パートタイム労働者をはじめとする短時間労働者の増加が大きく寄与している(図)。 しかし、フルタイム正規雇用労働者に関してみれば、先進諸国中では依然として異例な長時間労働国であることに変わりはない。

 それでは、日本のフルタイム正規雇用労働者は年間でどのくらい働いているのだろうか。森岡孝二によると、「社会生活基本調査」(2006年)における男性正規労働者の労働時間は週52.5時間で、これは年率に換算すると2730時間となり、1950年代の全労働者の年平均2719時間とほとんど変わらない大きさだという。(3) 森岡はさらに、総務省「就業構造基本調査」(2007年)から、年間250日以上就業する男性労働者(2381万人)のうちの「正規の職員・従業員」1363万人の51.8%は週49時間以上、25%は週60時間以上も働いていることを明らかにしている(表2)。日本の労働者の働き(働かされ)過ぎは依然として深刻な状況にある。

 日本の労働時間問題の深刻さは、長時間労働がフルタイム正規雇用労働者に限られていないことである。伍賀一道は、非正規雇用労働者のうち、およそ3割は週40時間以上就労する「フルタイム型非正規雇用」であり、この中には短時間のパートやアルバイトをかけもちする人(ダブルワーク、トリプルワーク)も含まれており、週49時間以上の長時間労働をする非正規雇用労働者が66万人もいることを指摘している。(4)

 非正規雇用労働者の長時間労働問題は「アルバイト店長」問題などとしても社会問題化したし、雇用不安と相まって精神的な健康を損ないやすいことが指摘されている。(5)

表1

表2

2 長時間労働の要因

 ILOの統計によれば、週労働時間が50時間以上の労働者の割合は、日本が先進国中で群を抜いている。日本のほかに週50時間以上の労働者の割合が高い国は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど、いずれも新自由主義的な政策が積極的に展開された国であることも注目される。

 週60時間以上働く労働者の割合が大きく増えたのも、90年代半ば以降の特徴である。1994年と2004年で、週60時間以上働く男性労働者の割合を比べると、30代後半から40代にかけては10年間で5ポイント前後も増えている。週労働時間60時間は「過労死ライン」とされ、4〜5人に1人がこのラインを超えて労働しているという状況は異常と言うしかない。

 こうした日本の長時間労働の背景には、所定内労働時間の長さに加え、所定外労働時間(残業)の常態化や年次有給休暇の未消化を前提とした経営計画など、資本のどん欲な蓄積欲があると同時に、法規制の不十分さや労働行政の機能不全、そして、労働組合の社会的規制力の弱さがある。

 所定外労働時間が長い最大の要因は、仕事量に比べて人員が圧倒的に不足していることである。連合総研「勤労者短観」(2010年10月実施)によれば、残業(所定時間を超えて働いた時間)の理由として最も多いのは、「突発的な仕事があるから」(43.1%)、「人手が足りないから」(39.8%)が1、2位を占め、「残業を織り込んだ業務運営となっているから」(31.1%)が4位となっている。このように、慢性的な人員不足、残業を前提とした業務計画が長時間労働の最大の要因となっている。

 所定外労働時間の多さの背景には、「労働基準法は、第32条で1週40時間・1日8時間の原則を定めているが、同法第36条では労使協定(いわゆる36協定)の締結を前提として時間外や休日労働を許している。しかも、協定において定められる時間外労働に関する上限規制は、強行性がない非常に緩やかなものであり、これをはるかに超える協定も多く存在している」(6)と指摘されるように、労働基準法の定める1週40時間・1日8時間を超えて労働者を働かせることが合法化されていることが大きい。法遵守を率先すべき日本経団連の会長・副会長企業のうち、年間1000時間前後の残業を容認する36協定を結んでいる企業が少なくない(表3)。 労働者の肉体的限界をはるかに超える36協定の存在については、協定締結の一方の当事者である労働組合の責任も大きい。

 所定外労働時間のうち、企業が賃金・割増賃金を支払わない賃金不払い残業=「サービス残業」の横行も大きな問題である。厚生労働省労働基準局は毎年、監督指導による時間外労働の割増賃金の是正状況を公表している。これは、対象事業場数に対して数%に過ぎない定期監督実施率、労働者からの申告によって行われる申告監督の結果、不払いが指摘され、事業が是正を求められた結果で、しかも是正金額が100万円以上の場合のものであり、不払い残業のごく一部に過ぎないと言わなければならないものであるが、それでも、2010年度には是正金額が123億円余にも上っている。(7)

 年次有給休暇の付与日数の少なさと取得率の極端な低さも長時間労働の要因の一つとなっている。日本はもともと、他の先進諸国と比べて年次有給休暇の付与日数が少ないが、それにも増して問題なのは取得日数と取得率の低さである。1995年以降、年休の付与日数は17〜18日で推移しているが、取得率は1995年の55.2%から低下し続け、2001年には50%を割り、07年には46.6%にまで低下し、その後もほぼ横ばいで推移している。労働者が年休を取得しない(取得できない)理由で最も多いのは「取得しにくい雰囲気がある」「業務上、取得する予定が立てられない」というものであり、企業が年休の完全取得を前提とした生産計画、経営計画を立てていないところに最大の問題があり、企業に有給休暇の完全取得を義務づけ、使用者もそれを自覚しているヨーロッパ諸国とは大違いである。

 労働と生活を考える場合には、労働時間の長さに加えて通勤時間の長さにも注目する必要がある。日本は、長時間労働に加え、長通勤時間の国である。この結果、日本の労働者は帰宅時間が遅くなり、その結果、自宅で過ごす時間は西欧諸国に比べて圧倒的に短い。このことが、男性労働者の家事や育児に対する関与時間の圧倒的な少なさの原因となっている。ちなみに、午後8時前に帰宅する男性労働者の割合を、ストックホルム、パリ、東京で見ると、ストックホルムでは80%、パリではほぼ半数であるのに対し、東京は20%余に過ぎない。(8)

 日本は、先進諸国では他に例を見ない長時間労働と過重労働の国であり、それが過労死・過労自殺、心身の疾患という問題として顕在化している。長時間労働の是正は「生活大国」をめざす日本として一刻の猶予もできない課題であり、労働基準法や労働安全衛生法など法の遵守、それを担保する労働行政職員の増員をはじめとした行政体制の確立と労働行政の権限の強化、そして労働組合の社会的規制力の強化が不可欠である。これらは、法の遵守を拒み、あるいは脱法的な行為に走る使用者を規制する力となる。労働組合は労働時間短縮を建て前としてではなく、本気でたたかうことが必要であり、社会的な真価が問われている。

表3

(1)黒田祥子「日本人の労働時間―時短政策導入前とその20年後の比較を中心に―」『RIETI Policy Discussion Paper Series 10-P-002』2010年1月。

(2)NHK放送文化研究所「日本人の生活時間」(5年ごとに調査)によると、2010年の有職者の睡眠時間は前回調査より10分少ない6時間55分と、初めて7時間を下回った。

(3)森岡孝二「労働時間の二重構造と二極分化」『大原社会問題研究所雑誌』No.627、2011年1月号、12ページ。

(4)伍賀一道「雇用の現状と求められる雇用政策」『月刊全労連』2011年11月号、4ページ。伍賀は、「フルタイム型非正規雇用」労働者の中には年収200万円未満の労働者が15%もいることも指摘している。

(5)日本学術会議労働雇用環境と働く人の生活・健康・安全委員会提言「労働・雇用と安全衛生に関わるシステムの構築を―働く人の健康で安寧な生活を確保するために」、2011年4月。

(6)日本学術会議、上記提言、5ページ。

(7)リーマン・ショック直前の2007年度には274億円余に達していた。01年度には81億円余であったが、「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入の主張の高まりとともに、不払い賃金に対する是正支払額も急増しているのは、単なる偶然とは考えられない。

(8)筒井晴彦「ディーセント・ワーキングタイム! 時短先進国になろう!」、『学習の友』2011年4月号。

(さいとう ちから・理事)

研究部会報告

・女性労働研究部会(10月26日)

 厚生労働省「今後のパートタイム労働対策に関する研究会報告」の概要について、この間、同研究会を傍聴してきた日野徹子さんが報告した。「報告」は現行のパート労働法では改善の余地が小さく、一層の待遇改善を推進する方策が必要としながら、今後の方針については各意見・選択肢の羅列に終わっており、方向性が示されていない。パート労働法の見直しに向け、格差是正・均等待遇の実現への労働者の要求・課題等について討議した。

・中小企業問題研究部会(10月27日)

 「大震災をめぐる雇用の状況」について、井上久全労連事務局次長より救援・オルグ体験を含む報告を受けた。被災地に広がった雇用破壊が、現地の運動によって仕事確保、日給引上げ、正社員化の取り組みなどの前進面を生み出した。また、新書籍「中小企業の未来を拓く」の販売計画について、執筆者を中心に各単産や地方組織で計画的に普及することを確認した。

・労働組合研究部会(10月31日・11月14日)

 10月31日は、2つの報告があった。第1は、当部会が来年実施する「単産機能調査」についての報告で、調査票の内容改善へ向けた作業計画を決めた。第2は、連合が行った産別調査についての報告で、結成時の調査と組織方針には、連合なりの産業別統一闘争の強化と産別の体制・機能強化への意欲がみられるが、10年後の同種調査にはその意欲が全く裏切られた結果が示されている。なぜか、「連合」研究は引き続く課題であろう。

 11月14日は、全国港湾元事務局長(検数労連元委員長)の鈴木信平氏を招き、港湾の産別労働運動について報告を受けた。港の大産別共闘組織である全国港湾は、ストを中心とする産別統一闘争により、使用者団体・日本港湾協会との間で産別協約を結び、労働条件の改善を実現してきた。労働戦線の右翼的再編による困難を乗り越え、産別闘争と産別組織を前進させてきた、日本では稀有な事例といってよい。何がそれを可能にしたかが討議の中心となった。

11月の研究活動

11月5日 研究所プロジェクト「財源保障」公開研究会
研究所プロジェクト推進チーム
12日 研究所プロジェクト雇用政策作業部会
13日 研究所プロジェクト社会保障作業部会
14日

労働時間・健康問題研究部会
研究所プロジェクト心身の健康作業部会
労働組合研究部会

15日 賃金・最賃問題研究部会
26日 研究所プロジェクト雇用政策作業部会
29日 女性労働研究部会
30日 国際労働研究部会

11月の事務局日誌

11月5日 第2回企画委員会
19日〜21日 全労連全国集会2011