地方・地域における社会保障運動発展の経験

福島県をめぐる経済・政治情勢と福島県労連の雇用・失業の闘い

T、経済・政治の状況

(1)産業構造の変化

 1950年から2000年の50年間に福島県の労働力人口は、92万人から110万人へとわずか18万人が増加したに過ぎない。(表1)しかし、産業構造は極めて大きく変動し、50年の労働力人口の62.4%が第1次産業従事者で、とりわけ「農業」は53.9万人にも達していたものが、自民党の農業切り捨て政策の下で、農業従事者が2000年にはついに10万人をわり、9.7万人となった。その結果、第1次産業従事者は9.6%へと激減し、農業を追われた人たちは、第2次・第3次産業へと吸収されていった。とりわけ「製造業」は、東北地域の労働者の低賃金を背景に「電気」「金属」「機械」などの企業が続々と進出し、50年の8万人から90年には28万人と急激に増加した。
 なかでも「電気」は、80年の819社・4.5万人から91年には、1371社・8万人へと県内一円で労働力を集約する最大の産業となっていった。(表2)しかし大企業が生産拠点を急速に海外に移転するとともに、「製造業」の多くで従業者数が減少しはじめた。91年の事業所数8002社、従業員数24.8万人をピークに、2000年には6335社、20.1万人へと、10年間で1667社・4.6万人の減少となった。とりわけ「繊維・衣服」が1473社・3.4万人から812社・1.7万人へと半減。「電気」も1371社・8万人から944社・5.8万人へと3割以上の減少になっている。各自治体が企業誘致のために作った工業団地に企業はこず、はなはだしい所は1社の建設もないままぺンぺン草が生え放題のままいたずらに時を過ごしている所もある。
 第3次産業は、50年の19.3万人から2000年には、58.5万人と39.5万人の増加で、90年以降も6万人以上の増加を見てきた。「卸売・小売業・飲食店」は50年の7.3万人から2000年の20.4万人へと13万人の増加を遂げてきたが、95年をピークに減少しはじめ、この5年間では約3千人の減少となっている。とりわけ小売店は82年に約3.2万店あったものが、99年には2.6万店と6000店も減少いた。一方、売場面積は180万uから232万uへと52万uも増加するなど、大型店が急激に増加し、零細小売店が減少していく構造となっている。(表3)そのことは、従業員数ごとの店舗数の推移を88−99年で見てみると、「1−2人」が3038店の減、「3−4人」が2199店減に対し、「5-9人」「10-19人」「20-29人」「30-49人」「50−99人」「100人以上」はいずれも増加し、その合計が869店になっていることを見ても明らかである。

(2)企業と雇用の状態

 帝国データー・バンク発表の2001年の負債総額1千万円以上の県内の企業倒産件数は、289件・負債総額2149億円で、件数では98年の296件につぐワースト2位、負債総額は、99年の1958億を上回る過去最悪のものである。(表4)この異常さはバブルがはじける前の89年72件・83億円、90年59件・124億円と比較すれば歴然としている。東北の中でも宮城県(2001年:353件・1777億円)と福島県が抜きん出ていて、他の4県(青森・秋田・岩手・山形)の合計の負債総額は1606億円で、福島や宮城の1県分を下回っていることを見ても明らかである。
 福島県の倒産企業を業態別に見ると「建設」が106件と3分の1以上を占め、続いて「サービス」30件、「食品」25件の順となっている。2000〜2001年にかけていわきの藤越(負債総額414億円)の大型倒産や裏磐梯観光ホテル(80億円)や郡山ビューホテル(20億円)のホテル関係、いわきの諸橋(鉄鋼・セメント卸売建設業・1700年創業)と大黒屋(百貨店・1901年創業)、会津の山田漆器(1918年創業)など老舗の倒産が相い次いでいることが大きな特徴となっている。
 2000年の国勢調査によれば、県内の完全失業者数は47,535人・4.3%といずれも過去最悪で、それがさらに悪化している(表1)。県内の月間有効求職者数は95〜97年,毎月2.5万人前後で推移してきたが、98年に入って3万人台となり、2001年の4月から4万人台に突入した(表5)。それに比して月間有効求人数は一貫して2万人前後を上下するにとどまっており、有効求人倍率は95〜96年の0.7〜0.8倍の水準から、98〜99年には0.5倍台に落ち込んだ。2001年の9月以降は0.4倍台。2002年1月は過去最悪の0.39倍となった。就職率は7%台で推移し、2002年の1月は44,841人の求職者に対し、就職出来たのは2,547人にとどまっており(就職率5.7%)、4万2千人以上が職につけないという状態である。
 こうした雇用の悪化に拍車を掛けているのが、小泉内閣の「構造改革」路線と称する雇用破壊政策と、昨年〜今年にかけて強行されている電機を中心とする大企業の大幅な人員削減である。福島県内では、日立や沖電気・東芝などの関連企業の人員削減が目立ったが、最も顕著なのは会津を中心とする富士通である。富士通は「生首は切らない」と言いながら、600人の派遣労働者を雇止めし、若松工場だけでも1,400人以上の一時帰休を実施している。そのあおりを受け、「昨年140人新規採用した企業が今年はゼロになるなど、企業が雇用への意欲を持って貰わないと雇用情勢は深刻になるばかり」(会津職安)とか、富士通関連の企業が新規雇用をゼロにしたことによって、「01年は高卒者の就職率が87%だったが、今年は激減」(二本松職安)など、地域の雇用悪化をもたらす最大の要因になっている。

(3)労働組合の状況

 89年まで福島県の労働団体は、県労協と県同盟であったが、労働戦線の右翼的再編成の中で、それに反対して福島県労連が89年11月に結成、翌90年の3月に県連合が結成され、以降この2つのローカル・センターが福島県に存在することになった。
 福島県発表の「労働組合基礎調査」によれば、89年末の労働組合数・労働組合員数は1413組合・168,876人でそのうち「連合福島」754組合・102,135人、県労連125組合・12,584人(県労連の地域組織に加わっている県教組各支部や年金者組合がカウントされていないため実数より2千人以上少ない。抗議でその後一部是正されたが年金者組合は現在もカウントされていない)、無加盟534組合・54,157人となっている。
 同じ調査の2000年末は全体で1,490組合・161,200人。うち連合855組合・98,660人、県労連139組合15,521人、無加盟46組合47,019人である。結局、この12年間で、全体の組織労働者の減少は7千人強だが、無加盟の組合員が7千人減、県連合は4千人減(最高時からは1.3万人の減)、県労連が3千人の増となっている。その結果県労連と県連合との比率が10.9から13.6へと縮まることとなった。(表6)

(4)政治情勢

 福島県知事選挙は、60−70年代までは社共統一で、自民党候補と戦う形が定着し、とりわけ木村知事の汚職問題が発覚した76年の知事選挙では社共統一候補が、当選した松平候補に8万票差まで迫るなどの善戦があったが、その後社会党はオール与党体制に加わり、ほとんど闘いを放棄するか現職に相乗りするという形を繰り返してきた。それに対して民主団体と日本共産党は88年の選挙で「みんなで新しい県政をつくる会」を結成して当時県農団連会長の草野さんを擁立して闘った。92年は共産党公認候補の立候補となったものの、96年には新婦人県本部会長の山崎さんを会として擁立し、2000年も県労連山口議長を候補者として闘った。
 88年に当選した佐藤知事は中央の悪政追随、大型公共事業中心、医療・福祉・教育最低の県政を続け、私達の一貫した批判の的となっていたが、2000年県知事選挙以降大きく変化してきた。全国最低の乳幼児医療費無料制度が2001年4月から全国最高の就学前まで入院・外来とも無料となり、原発新増設やプルサーマル導入を凍結。今年に入って4月から30人学級を小1・中1で実施し、来年度は小2で実施することとなった。この対象学年については「概ね」でなく「完全」に30人以下とする全国でも先駆的な制度である。この背景には知事選挙の中で、県労連を始めとする民主団体が徹底して県政を分析し効果的な批判を行う中で、県政の問題点と県民の要求が広く県民の中に浸透したことと、99年の県議会議員選挙で5人の議員が当選した日本共産党が交渉会派となり、民主団体と連携し、一貫して県政を変える取り組みを行ってきたことがあげられる。

U、県労連の地域問題への取り組み

 福島県労連は、結成の時(89年11月)から「地域に根ざした具体的な要求に基づく運動」を重視してきた。それを取り組むに当たっては、県労連結成まではあまり問題にして来なかった地域経済・地域の現状を把握することが重要であることを確認した。しかし、その取り組みは初めから全組織で理解され、意識的に取り組まれたものとは言えない。しかし概活的に見ると@どのように取り組むべきか模索した時期 A元日営業反対や本田金属・日産問題などのように具体的課題に取り組んだ時期 B「雇用問題」やジャスコ・ベイシア進出反対の運動に示されるように単産・各地方労連も意識的に取り組んでいる時期と発展してきていることがわかる。

(1)模索の時期の取り組み(90年−95年頃)

@ビクトリー・マップをもとにした運動

 91年から初め、92年から大企業の内部留保額をまとめた県内ビクトリー・マップを作成するとともに、マップ掲載企業労組を訪問し、これが大企業の大幅賃上げの根拠となるとともに、一方的な工場閉鎖やリストラ・下請けの中小企業つぶしを許さない最大の論拠となることも示した。訪問先の組合の多くは「連合」加盟のため門前払いの所も多かったが、強い関心を示した組合も少なからずあった。この問題は、県労連の副議長が地元紙に投書したのをきっかけに、賛否も含めて7通ものやりとりがあり、最終的に反対していた人が「県労連に脱帽」という投書でしめくくられるなど、県民に県労連の姿を知らしめる効果的なものとなった。この県内企業のビクトリー・マップ作りは現在も続けられている。

A民商との共同の運動

 93年2月に県労連と福商連役員が共同で零細業者の経営実態調査を行ない、合計16件の聞き取り結果を集約した。この声を背景に県と交渉し「県の融資制度の利率が高い」「本当に融資が必要な人に貸されていない」ことを追及。銀行協会や信用保証協会にも貸し渋りをやめることを要請し県が二度にわたり利息を下げるなどの成果につながった。

Bアルプス電気撤退反対の運動

 93年、アルプス電気が、浪江工場の閉鎖と、全従業員の13%にあたる1,300人の希望退職による「合理化」を発表した。5月末に全労連や東北各県労連の代表とともに本社への要請行動を行ない、6月に「公開質問」を行ったが、アルプス電気はいずれも黙殺した。しかしこの対応は、県労連に対してだけでなく、地元自治体などに対しても同様であったため、「誘致企業がこんな態度で良いのか」「誘致に当たっては自治体は至れり、つくせりをしたのに、撤退する時は地元に何の了承も得なくて良いのか」という議論となった。

C地域経済調査の活動

 95年11〜12月にかけて県北・会津(その後96年4月に郡山地方労連が独自に県中調査をしたので)6自治体の地域経済調査を行った。97年には県内10市からアンケートをとり、県と10市の工業・商業の状態を明らかにする資料を作り上げた。
 これらの取り組みで明らかになったのは@企業が減り、雇用数が少なくなる中で、過疎化している町村が一層深刻な状態になっていることA市町村が行っている企業への誘致の働きかけははかばかしくなく、一旦決定したところでも中止になるなど、「誘致中心の発想では地域経済は活性化しない」との認識が強くなっていること。B閉鎖の急増している弱電や縫製関係では、それまで中高年の女性がつとめられたが、これから新たに来る企業は、一定程度専門的技術のある人が雇い入れの対象と限定されており労働力として吸収されていかないこと。C農業でやっていけなくなり、製造業が減り、小売業もどんどんつぶれており、このままでは地域経済が崩壊しかねないこと。D地域を活性化させていく上では(@)働く(A)住む(B)遊ぶ(C)学ぶ場を総合的に確保していくとともに、自然を活用した「まちづくり」、福祉や教育の分野での雇用拡大が求められていること 等であった。

D伊達町振興条例の学習

 96年11月に県労連三役が福島県内では初めて「振興条例」を作った伊達町に赴き、振興条例の学習と町の担当者との懇談を行なった。この条例は1年がかりで学習・討議しながら作られたものであり、県内の他市町村にはない「総合的な振興条例」であることが再認識される一方で、民主団体も含め住民の側でこの条例がまだ十分に理解されていないことも明らかになった。しかもその後、99年に入ってこの条例に逆行するジャスコの誘致が町長などの誘導で進められるなど矛盾した状況も生まれている。

Eこの時期の運動の特徴

 全体として、@情勢の中で迫られて取り組んだものが多く、必ずしもその後の運動の展開を描けないままのとりくみだったこと Aいずれの課題も取り組む産別・地方労連がほとんどなく、県労連事務局プラス・アルファの運動にとどまっていたことが上げられる。しかし、こうした手さぐりの活動ではあったものの、地域の状態を知りどのように変えていくのかを考える端緒の運動となるなど、その後の継続的な取り組みの入り口となったことは間違いない。

(2)具体的な課題に継続的に取り組んだ時期(96年−99年頃)

@元日営業反対の運動

 95年12月いわきのダイエー、サティ、郡山市のヨークベニマル、イトーヨーカドーが「96年元日営業」の方針を打ち出し、いわきで市長や商工会議所連合会が自粛を要請し、郡山では県労連・生協労連・郡山地方労連が要請する中で、元日営業を断念させた。しかし、97年元日については2ヵ月間にわたって、県労連と生協労連、地方労連と民商が共同の要請行動に取り組み、マスコミも大きく取り上げる中で、当初予定されていた多くの大型店が元日営業の方針を撤回し、最終的にいわきのダイエー、会津若松市の長崎屋・サティなど4店と福島のコマレオの6店の実施にとどめた。
 99年の元日営業反対の運動では、いわき商工会議所が県労連に正式な要請書を寄こし、県労連議長がいわき商工会議所を訪問し専務と親しく懇談をしたこと。喜多方市が会津地方労連と全労連の要請に対して、全労連に直接「市内の4店に自粛を要請した」旨の回答するという全国でも初めてのケースになった。さらに2000年の元日営業反対では県労連事務局長・いわき市労連議長・事務局長が、いわき市商工会議所会長始め役員の方たちと懇談するなどの取り組みに発展していった。2000年以降、ほとんどの大型店が実施に踏み切り、私たちの要求に逆行する形となったが、商工団体の中で「県労連が大型店問題等で自分たちと同じ方向を持っている」ことが強く認識される取り組みになったと自負している。

A安達町ジャスコ出店反対の運動

 99年夏に安達町に進出を予定しているジャスコに対して、安達町や松川・二本松の商店街の反対や、二本松地区労・生協労連・民商・共産党などの共同した取り組みの中で、佐藤知事が初めて「出店に問題がある」旨の意見を述べ、ジャスコは最終的に8月末に「地権者の合意を得られなかった」として正式に断念を表明した。それまで県内で大型店の進出とそれによる周辺の零細小売店の閉鎖という傾向は顕著となっていたが、反対運動を民主団体・労組と地域商店街がともに展開する初めてのケースとなり、しかも進出を断念させたことは、その後の大型店出店反対運動を前進させる上で、画期となる取り組みとなった。

B職安前アンケート

 99年春闘で、建設一般と県労連と各地方労連が県内の8職安前でのアンケートを実施し、合計721人から回答を得た。この中では「解雇」「倒産による解雇」「会社都合解雇」の非自発的離職が354人で「求職理由」を具体的に書いてきたうちの50.2%をしめていた。「仕事を探し始めてからの期間」では、「6ヵ月以上1年未満」が122人、「1年以上」が80人と、4人に1人以上が6ヵ月以上の長期失業状態になっていることも浮き彫りになった。

C商店街アンケート

 99年11月から12月にかけて、大型店進出や中心市街地空洞化、大型店の元日営業をめぐって4地方労連とともに商店街アンケートを実施し、213件の回答を得た。
 その中で「商売の状況」については、「そんなに変わらない=23」「客は増えている=4」「客は減っているが何とかやっていける=93」「「壊滅的。景気が回復しないともたない=93」とかなり深刻な状態にあることが明らかになった。「大型店進出」については「これ以上の大型店進出は困る=77」「小売店の営業を圧迫するので絶対反対=61」と6割以上の人が反対。「大型店の元日営業」については「仕方ない=67」が3割近くいたが、「周りの商店街のことを考えてほしい=46」「元日営業はやめてほしい=95」と65%以上の商店が反対していることも鮮明になった。

D県労連の雇用政策・要求をまとめて県に提出・交渉

 これまでの地域経済の分析・活動を踏まえ、福大教官や労働総研の人たちの意見も聞きながら「雇用政策・要求」をまとめ、99年7月福島県に提出した。この要求に基いて行われた県との交渉では、「これまで新規学卒者しか入れなかった県立高等技術専門学校で、10月から職業転換訓練も行う」「現在県内の職安に18人配置されている求人開拓推進委員を7人増員した」など、県労連の要求に応えた回答や、「親が解雇されたりして授業料の支払いが困難になっている私立高校生徒の授業料の減免を検討する」との前向きの回答もあった。

Eこの期の活動の特徴

 当初の運動から発展して、一貫した取り組みになってきた。その背景には元日営業・大型店進出反対の運動で生協労連が軸、雇用問題で建交労が軸になるという産別組織と県労連の連携した取り組みになってきたこと。地方労連もまだ強弱はありながら、全体として取り組む意義を把握し、各々行動に取り組む体制が出来てきたことがあげられる。とりわけ元日営業反対から出発しての宣伝や各店舗への申入れから商工会議所と懇談、商店街アンケートと運動の展開も目に見える形で発展することになったことは、この問題を取り組んでいる私達にとっても予想外の発展方向であり、確信を強く持てる取組みとなっていった。それに比べて、この時期の雇用問題の取り組みはまだ端緒的なものではあったが、職安前のアンケートを通じて、失業している人たちの生活や職のない実態が具体的に把握されたこと。これまで「医療や教育の政策等は強いが、雇用問題の政策は弱い」という福島県労連の弱点を払拭する契機をつかんだ時期ともいえる。

(3)地域政策問題に単産・地方労連が意識的に取り組んできた時期

@雇用問題での各市町村との懇談

 99年秋の運動から全労連が呼び掛た「雇用・介護・平和問題のキャラバン」の方針を受けて、99年〜01年に各地方労連が市町村を訪問し、首長や助役・担当者との懇談を行った。ただ福島県労連は雇用問題の1点にしぼったことと、しかもこの点にのみこだわって取り組んだことは、他県の取り組みと様相がいささか違ったかもしれない。99年は7地方労連が47自治体を訪問し、2000年は8地方労連全てが90市町村の8割に当たる71市町村を訪問。2001年は6地方労連が68市町村を訪問−とりわけ最も広大な地域を担当する会津地方労連が28市町村の全てをまわったことは特筆すべきである。この中でリストラと倒産の進行で、地域経済の状況が一層深刻なものになっていること。国と県の雇用対策は一応歓迎しつつも、実際の雇用対策に直結しにくいことが具体的に指摘されている。(表7)
 さらに市町村の中で、自治体独自の雇用対策を具体化している所や、企業調査・雇用拡大要請などを行う姿が把握できるようになってきた。福島市や須賀川市・大玉村は独自の雇用対策を予算化し、福島市や川俣町は各企業の実態調査を実施。白沢村と矢吹町は各企業に要請を行うなどの取り組みを行っていることがわかった。3年ほど前には「雇用問題は国の仕事で、地方自治体のやることはない」と自治体担当者の大半が述べていた状況から大きく様変わりしてきた。この流れをさらに大きくする取り組みが必要になっている。

A「緊急地域雇用特別交付金事業の改善・継続を求める意見書提出」の請願の運動

 99−01年に国が実施した「緊急地域雇用特別交付金事業」は、失業対策事業を打ち切って以降の初めての事業としての積極的な意味合いもあったが、3年間の期間限定であり、1事業の期間が6ヵ月とか事業内容も限定されていること等から、自治体からも雇用される側からも極めて使い勝手の悪い施策であることが指摘されていた。県労連は99年・00年秋に「01年度以降の延長と内容改善の意見書を市町村議会から国に提出する請願(陳情)」の運動を行った。99年は37市町村議会の採択にとどまったが、2000年秋から2001年春に掛けては県議会+57市町村議会が採択する全国でもトップクラスの運動になった。(表8)国は、全国のこうした運動に押され、02年度以降3年間の延長、しかも額も3,500億円に増額し、事業によっては「さらに6ヵ月」を認めるなどの改善を実施せざるを得なくなった。
 福島県労連はさらに「大企業の大規模なリストラをそのままにしての雇用対策はありえない」という観点で、01年9月県議会に「抜本的な雇用対策の実施を求める意見書」を国に提出することを求める請願を行った。この請願では県内の雇用の情勢を記しながら、次の3点を政府に求めるものとした。@企業が一方的なリストラを行うことを規制するルールをつくるなど新たな失業者をつくらない政策を確立すること。A医療・福祉・介護・教育・消防など国民生活に不可欠な分野での雇用拡大を図ること。B雇用保険の抜本的拡充を図ること。である。県議会では5人の日本共産党議員団の奮闘で、紹介議員は共産党議員団だけだったにもかかわらず全会一致でこの請願を採択。これに勢いを得て秋のキャラバンで県内の各地方労連が同様の請願を行ない66市町村議会に提出し、53市町村議会で採択された。解雇規制のルール化を求め、半ば行革路線に逆行した公務労働雇用拡大を求める請願が、2年くらい前ならほとんどが不採択になったと思われるが、雇用情勢の深刻さと私達の運動の広がりが、1度の議会で過半数を超える自治体で採択させる世論を作ってきたと思われる。
 こうした運動が功を奏して、福島県も雇用政策を考えるようになり、01年9月議会で県単独10億円(01・02年度)の予算を国からの「基金」に上乗せし、高校生の就職先をさがす学校支援員を配置するなどの施策を具体化。さらに12月議会では3月の未就職高卒者を対象に、就職のための専門学校受講を「能力開発事業」として全額県費負担で実施するため4,317万円予算化した。この対象者は200人と想定されており、不十分な点もあるが少しでも県民の痛みをやわらげようとする措置であり私たちは高く評価している。

B伊達ジャスコ・安達ベイシア反対の運動

 ジャスコは、前述の福島市南隣の安達町への進出と併せて、福島市北に隣接する伊達町への進出も企図していた。これは屋内施設総面積7万7千uという東北最大規模のもので、伊達郡や福島市はもちろん、宮城県白石市あたりまで影響を与える危険性を持つものだった。安達町の運動が大きく励ましを与えるものではあったが、伊達町は大店法廃止後の建設予定という新たな条件の下で、はたして闘えるのかという問題を抱えていた。福島生協労組・県労連・福商連等が中心となって準備を重ねる中で、99年12月に「伊達町ジャスコの出店を憂うる人の懇談会」を呼び掛た。そこには伊達町を除く伊達郡の多くの商工会議所関係者の参加し、ほとんどが「反対」の立場だったが、「大店法廃止のもとで阻止することは無理では」との思いを持っていた。しかし講師として参加していた共産党の江田県議から「伊達ジャスコの予定地は、現時点でショッピングセンターを建設できる市街化区域に入っておらず、それを変更するために伊達町も隣接する市町村の意向を聞かざるを得ない立場にあること。従って、隣接市町村議会から市街化区域への都市計画変更(線引き見直し)反対の意見が集中し、来年開かれる福島県都市計画審議会で、線引き見直しが認められなければ着工もできないこと」の指摘があり、これで参加者が一気に展望を見いだすこととなった。翌年1月に開かれた「伊達町へのジャスコ出店反対とまちづくりを考える会」結成総会には予想を大幅に上回る600人が参加。江田県議や作新学院大学八幡助教授の講演で参加者はさらに運動発展の方向をつかみ、県に対する「線引き見直し反対」の署名が進み、さらに伊達町からも地権者や商店主も加わっての反対運動に広がっていった。イオン・グループは、オープンの予定2001年1月という時期を過ぎても何の進展もないことから、伊達町長などとともに地権者の説得や反対勢力の切り崩しを行なおうとしているが、成功しないばかりか、現時点でも全く建設のめども立っていないという状況を作りだしている。安達町でも生協労組や二本松地区労、民商が中心になってのベイシア建設反対の運動が進められている。

C県労連・農民連・商店街が連携してのフェスタ実施

 02年3月に県労連と県農民連主催、福島商工会議所、福島市商店街連合会協賛で「不況を打開し、地域経済を守ろう」とスプリング・フェスタを実施。市の中心街の大型店が撤退した跡地に作られた広場で、県労連各組合が労働相談や健康相談を実施したり、農民連が各地の特産農産物や餅・そば・牛肉などを販売、地元の商店街で買物をした人はスタンプを貰いクジ引きに参加。クジの景品は地元商店街から提供され、あたらなかった人全員にいも・にんじん・玉ねぎを持ち帰って貰うというユニークなフェスタとなった。
 準備期間が短かったこともあって、参加者の数はそれほど多くなかったものの、「農民連が労働団体などと外に向かって取り組んだのは初めての試み」「商店街も、少しでも街並みに一通りができたと喜んでいる。是非来年もやりましょう」との声が出されるなど、画期的な集会となった。

(4)全体を振り返って

 県のローカル・センターが、地域経済の問題に取り組んでいくことは、短期のスポット的な取り組みならありえると思うが、系統的に行なうことは簡単なことではない。現に最初、地域経済の実態調査を提起した時に、地方労連の有力な役員からさえ「労働組合が何でそんな取り組みをしなければならないのか」との疑問が出されたほどだった。しかし、はじめから系統的な取り組みにすることなどは考えていなかったものの、倒産・失業・製造業・商工業の統計・動向を一貫して把握することの必要性を強く感じそのシステムを作ったこと。さらに大型店問題や雇用問題は地域経済を考える上で「環」とも言うべき運動であることが試行錯誤の中で見えてくる中で、「継続こそ力」であることを痛感した。
 このことは、大型店の元日営業や出店反対の闘い、雇用問題の取り組みが単産・地方の継続的な取り組みとなる中で、組織内でもかなり強く認識されてきたと思う。同時に地域経済問題・地域政策の取り組みを強める中で、県労連・地方労連は県と地域の労働者のセンターであることが、労働者や民主団体はもちろんのこと、自治体担当者や商工会の人たちの間に認識されていった気がする。
 労働組合の中でのセンターの所属の違いを超えた「共同」の取り組みの前進と併せて、地域経済問題の自治体や他団体・他階層との取り組みは、今後一層重要な取り組みになっていくと思われ、福島県労連としてもさらにこの課題を一層重視して、今後とも取り組んでいきたい。

V、県労連の雇用失業をめぐる運動の推移

 結成以来、雇用失業をめぐる課題は、福島県労連のたたかいの中心的な課題の一つに位置付けられ、一貫して取り組まれてきている。そしてこの間、雇用失業のたたかいは、広がりと質的な深まりを見せて展開されてきている。
福島県労連の運動は、当初から「地域にねざした具体的な要求に基づく運動」を特徴としているが、雇用問題についても、常に地域の経済状態や雇用失業の実態を調査し、それに基づいて当局と交渉し、要求を実現していく運動が取り組まれている。
 福島県の雇用失業状況は、バブル崩壊以後に地域の経済構造が大きく変化する中で、問題の深刻化が顕著である。とくに、自治体が鳴り物入りで全国各地から誘致してきた農村工業がその生産拠点を海外生産へ移転し、工場の閉鎖・統合・縮小、下請け企業の倒産などの形をとって撤退し、地域全体の雇用者数を減らしてきている。いわゆる地域における「産業空洞化」が生み出されている。これが地域の雇用状況を最悪にする大きな要因となった。95年3月に発表された福島県「企業国際化実態調査」は、海外進出実績のある企業数は、有効回答432社中80社となっている。さらに、これまで海外進出の実績のなかった企業も、61社が何らかの形で海外進出の意向を示しており、実に3分の1以上の企業がなんらかの形で海外進出に関っている実態があきらかとなった。「福島県産業空洞化対策調査」(中間報告・96年9月発表)でも、60%の企業が海外進出等の影響を受けていると回答している。
 福島県労連は、このような地域経済破壊の実態を広く県民に明らかにし、署名や自治体決議を行ない、自治体がこのような事態を規制する措置をとることを働きかけ、企業の横暴には直接企業に対して抗議し、雇用失業問題の解決、地域経済活性化のために奮闘してきている。
こうした雇用失業問題に関する県労連の取り組みの流れは、その発展にそくして、ほぼ3つの時期に分けることができる。第Tは、91年にビクトリー・マップをもとに、掲載企業労組の訪問を行った時期から95年の11月から12月に、県北および会津のなどの地域経済調査を行った時期。第Uは、職安アンケート調査にはじまり、99年の7月に「雇用政策・要求」を県に提出し、これに基づいて県との交渉を行った時期まで。そして第Vの時期は、99年から2000年にかけて、雇用問題で各地方労連が市町村を訪問して、首長や助役・担当者などとの懇談を行なうことで始まり、今日に至る時期である。

(1)第Tの時期(〜95年)

雇用失業の運動は、ビクトリー・マップに基づく運動からはじまる。この運動は、大手企業の経営状況を調査し、それにより大企業における賃上げの根拠を明確するとともに、一方的工場閉鎖やリストラ、下請中小零細企業つぶしの不当性を明らかにしていく運動であった。

@個々の企業の動きに対する運動

こうした中で、東邦電子、アルプス電気の問題が起こった。
 92年の春、ソニーが東邦電子工業に対して仕事を出せないとの通知を一方的に出し、取引量の削減を行なってきた。ウォークマンの生産拠点を中国に移し、取引量の削減を強行するということが起こった。東邦電子のソニーとの取引量は、91年の27億から、94年5億、95年3月以後ゼロという状態に陥ってしまった。こうした事態に対して、県労連は、ソニーに対して、@東邦電子の経営再建のために、仕事の発注など具体的な支援を行なうこと、A東邦電子の労働者の賃金・退職金の未払いを解決するため、コンベア―の買取りなど資金援助することを要求した。これに対して、Aのコンベアーの買取には応じたが、間に入った顧問の黒沢が自分の貸付金の回収させてもろうとのことで、全額持ち去り、組合には1円の入らなかった。ソニーはそれ以後対応を打ち切ってしまった。3月24日に全労連・全国一般の大木書記長が通産省で交渉、通産省がソニーに対して指導をおこなうこと、国内産業の空洞化に歯止めをかけることを要請した。95年4月13日に代表40人をソニー本社や通産省に送りだし、交渉を行なったが、通産省の回答は、海外移転は企業の判断によるものでやもうえない、というものであった。
  その後、95年4月に1月分の賃金の半分が支払われ、2〜3月は未払い、3月18日からは自宅待機ということになった。5月30日に団体交渉を行ない、2、3月分の賃金の支払いを約束させた。「賃金確保法」による国の立替制度により172人、1億3500万円の賃金を確保した。そのうち労働組合員のたいするものは9000万円で2億円の未払いが残っている。これについて東邦電子の不動産を任意売買で処分し、その一部を労働再建に当てることをメイン・バンクである福島現行に行なっていkている。2000年12月まで毎月1回福島現行本店前で集会を行ない賃金未払いの要求を続けている。組合結成から7年、会社がなくなっても運動は続けられている。全国にもめずらしい運動となっている。
 93年には、アルプス電気浪江工場の閉鎖と従業員1300人の希望退職による「合理化」が発表された。これに対して、5月に全労連・東北各県労連の代表がアルプス電気本社へ要請行動を行ない、6月にはアルプス電気に対して「公開質問」を行なった。その内容は、@2年連続減益がある反面、1160億円の累積内部留保がある。これらの関係はどのようになっているか。A海外移転するから「合理化」が必要になうるのではないか。B浪江工場閉鎖の地域経済への影響をどのように考えているのか。C宮城県の角田工場への移転で通勤は1時間半〜2時間になるが、通勤が無理になる人に対してはどのように考えているのか、など7項目で、工場閉鎖の撤回を要求するものであった。アルプス電気はこれを黙殺した。自治体に対しても同じ対応であった。「誘致企業の勝手な撤退に歯止めを掛ける方策」の確立が必要になっている。

A地域の実態をより直接的に捉える

こうした産業空洞化の実態に直面して、より有効な運動を展開していくため、地域経済の実態調査の必要実感され、県労連として独自の実態調査に踏み切った。その第1の理由は、県大会ごとに、県内の経済情勢について、新聞記事や統計資料等を用いて分析してきたが、それには限界があり、直接地域に入らないとわからないことがあるという結論に達したからであった。そして手探りで実態調査を始めた。第2の理由は、東邦電子の問題などで、解雇された電機などの女性中高年齢労働者の行くへを把握する必要がある、という考えにいたったからである。こうした調査により解雇・倒産計画を早い段階で察知して対応をとること、誘致企業の身勝手を許さない有効な手段を作り出していけるものと考えたのである。
こうして行なわれたのが「産業空洞化実態現地調査」である。95年11月から12月に月館町、霊山町、新鶴村、湯川村で、96年4月には郡山地方労連が船引町、都路村調査で実態調査が実施された。この調査への地方労連の参加状況は、郡山が自力で調査、会津は役員が参加、福島は不参加、単産の参加はなかった。調査の結果、農業の後継者を確保している農家がわずかでしかないこと、製造業では事業所数や就業人口の減少が起こっていること、企業の撤退、倒産・閉鎖、縮小・移転、人員削減などが地域で激しく進んでいることなどがあきらかとなった。商店も、後継者がいない実態があきらかとなった。さらに高卒者の就職口が地元にないことなども問題として浮かびあがってきた。
しかもこうした事態に対処する明確な方針を各自治体が持っていないことが問題であることもあきらかとなった。自治体の中には、依然として工業団地の造成を行っているものもあり、町おこしの計画を持っていない自治体もかなり存在していることが判明した。
97年にも、県労連事務局が10市に対して直接アンケートを送って「地域経済アンケート」を実施した。10市から回答を得て、すべてに経済振興策がないことがあきらかとなった。調査結果は、県労連の内部に報告されたが、これがすぐに運動に活用されることはなかった。調査の経験は、その後の「雇用問題自治体訪問」で活用・発展され、99年7月の「景気回復・雇用拡大を願う福島県労連の要求(提言)」に発展する。また、この調査活動では、産別組織の参加もまだなかった。

B地域の実態を選挙政策へ

96年9月の知事選挙での選挙政策に、94年から96年に行なわれた実態調査の結果は取り入れられた。こ
の知事選挙で、県労連は選挙母体の「みんなで新しい県政をつくる会」の中心的な団体の一つとなった。県労連の伊藤議長が「つくる会」副会長、小川書記長が事務局長となって活動した。 この選挙政策である「つくろういのち輝くふくしまを」を発表するが、その雇用政策の第1番目に、「産業空洞化実態現地調査」で直接に労働者から聞き取った声をベースにして「大型公共事業をやめて、1万人のヘルパーをつくる医療・福祉政策の充実を」という政策が盛り込まれ、政策化された。しかし、これは県労連の雇用政策活動に採り入れて、すぐ活用するには至らなかった。実態調査の結果が県労連の政策活動に具体化されるのは、後の99年になってからである。

Cこの時期の雇用・失業問題についての運動の発展と限界

 以上のような、第T期の運動の特徴としては、情勢の展開の中で浮上してくる課題をその時々に取りくんで行くというもので、かならずしも将来の展望をもって、一貫した運動していくものにはなりきっていなかったという弱点をもっていた。何を課題にしていくかについてまだ模索の状態であったのである。しかし、事実・実態にそくした運動を行なうという福島県労連の一貫した姿勢はこの時にもすでに貫かれており、そうした姿勢で取り組まれたものであるために、ここで取り組まれた運動の成果がその後の取り組みの重要な基礎となり、生かされていくこととなる。運動を模索していく中で全労連が提起した課題を地域で具体化していことにも熱心に取り組んでいく。それが一貫した運動を行なっていく契機となって生きていくこととなる。課題を取り組む組織的な体制についてもまだ十分ではなく、県労連事務局を中心とするたたかいの性格が強いものであった。このような限界や弱点はあったとはいえ、その後の運動の基礎をつくり、実態に接近する手法を蓄積するという点で、この期の運動は重要な意味をもっていた。実態にもとづく要求を提起し、要求のいくつかは実現するようにもなってきた。運動の方向をいくつか模索する中で、運動の中心としていくべきものが、全労連の集会などを通して浮かびあがってくる。雇用失業問題に焦点の一つが当てられてくる。

(2)第Uの時期
失業者の要求を基に政策要求へ

@職安前アンケートで失業の生の声をつかむ 

 98年11月に全労連第2回全国討論集会が開催され、「不況打開・生活と雇用を守る運動」の具体化が課題とされ、雇用問題と大型店問題が地域の運動を大きく発展させるものと位置付けられた。さっそく雇用問題で、99年春闘で、「景気回復・雇用拡大を願う私達の要求(提言)」を県に提出し、3月15日には「景気回復・雇用対策についての福島県への提言(第一次)に意見をお聞かせ下さい」を発行した。この中にある要求のうちで、県内の求人開拓推進委員、現行18人を7人増員すること、親が解雇された私立高校生の授業料の減免は実現された。
また、県労連は失業者の生の声をつかむことが重要であると考え、福島県内の全職安前でのアンケート調査を各地方労連に呼びかけた。
 99年5月から11月にかけて県労連と建交労(建設一般)、7地方労連(地方労連は全部で8)が福島県内の8職安所前(福島県の職安は総数で11)でアンケート調査を実施し、合計721人分の回答を得た。この安定所前アンケート調査は、組織の外の労働者に直接に働きかけるもので、これまでの地域にねざした要求にもとづく運動を質的に一段と発展させるものであった。これは、全労連の運動と呼応したものであり、全国的な課題である雇用失業問題の中心にある失業者の声を、直接に地域で聞こうとするものとして画期的な内容をもつものであった。取り組みの体制についても、全職安前で実施するという性格から、多くの地方労連が参加し、単産組織としては建交労との共同で行なわれるようになった。運動として地域的にも組織的にも大きな広がりを実現することができた。県労連の運動の流れとしては、大きな飛躍として位置付けられるものであるが、単産組織として建交労との共同の取り組みがひろがったが、それ以外の単産組織は、まだアンケート調査への参加を指示する程度にとどまった。
 調査の結果は次のようになっている。
 5月17日、平職安前アンケート、回答60人。
 7月19日福島職安、回答162人。
 9月9日喜多方職安、126人。
 9月10日、郡山職安、46人。
 9月14・16日須賀川職安、154人。
 9月21日会津職安、91人。
 10月5日白河職安、52人。
 11月4日原町事業所、30人。
 この結果、非自発的失業が50%を超えていること、仕事をさがし始めて3ヶ月以上の人が60%近くになること、応募した会社が10社以上の人が46人、など深刻な失業の状況が明らかとなった。
 具体的な声としては「30歳を過ぎると仕事がない」「障害者に対する求人はほとんどない」「失業したら税金の支払いが大変」など厳しい失業の実情が明らかとなった。以上のような経過で、県労連は福島における失業の深刻な実態を把握した。その解決策が痛切に求められていることも痛切に実感された。

A政府の雇用政策に対置する県労連の要求づくり

この頃、政府も雇用対策を出した。99年6月に産業構造転換・雇用対策本部が「緊急雇用対策及び産業競争力強化対策について」がそれである。その中で、「緊急地域雇用特別交付金」を実施することが表明された。この「特別交付金」について当初、県労連は、雇用失業対策としてある程度の期待はしたが、その後の過程で緊急雇用対策には程遠いものであることが次第に明らかになる。
 県労連はより体系的な雇用失業対策が必要である考え、99年7月26日には「景気回復・雇用拡大を願う福島県労連の要求(提言)」を福島大学教官と労働総研の助言を得て作成し、知事に提出した。その内容は、次のようなものであった。
 *解雇や工場閉鎖を規制すること。
 *県として無駄な大型公共事業をやめ雇用創出を中心に施策を転換する。「緊急地域雇用特別交付金」についてはとりあえず福島県として30億円にあわせて、県単独でも上乗せすること。
 *雇用問題に取り組む県の施策と行政の体制の拡充についての要求。
 *障害者の雇用問題、法的雇用率の達成。
 *雇用問題に付属する要求、保育料の減免制度の適用、私立高校生に対する授業料の補助。
 *県から国に強く要望することを求める要求。
 この要求は、解雇の規制による失業の増大を防止する施策、失業者の生活から出てきた具体的要求を盛り込んだものであり、県が実現しようと思えば、すぐにでも実現できるものを含むものであった。

B第U期の運動の特徴

 第Uに時期の特徴としては、運動の取り組みが一貫したものとなってきたことを挙げることができる。雇用問題では、99年春の職安前アンケート調査、7月の「景気回復・雇用拡大を願う福島県労連の要求(提言)」、そして秋の自治体キャラバンへと引き継がれていく。このように失業者の声を直接に聞く運動、研究者との共同による要求づくり、そして自治体キャラバンへと、地域における実態の収集、その総合化による要求の作成、その要求をもって自治体との交渉を行ない、自治体と連携して要求の実現を図り、自治体だけでは実現できないものについては、自治体が国に対して要求していくことを要請するというかたちで、雇用に関する課題をとり扱っていくことで、地域の要求に根ざす県労連の運動の具体化が行なわれるようになり、その後運動の形をつくることとなった。
 また、こうした運動を進める体制としては、地方労連の多くの参加が実現されるようになった。地方労連が地域の実態を捉え、自治体と共通の方向を確認して、地域の労働運動を質的に飛躍的に発展させるものであった。産業別組織との連携では、建交労との共同・連携が強められ、これまでの建労連事務局プラスアルファの体制から飛躍的な展開を遂げた。今後さらに多くの産業別組織を、雇用問題で結集していくことが課題となっている。

(3)第Vの時期、自治体キャラバン、議会請願、政策づくりで、県労連の雇用失業政策の影響力をひろげる

@自治体キャラバンから県交渉へ

 こうした要求活動を基礎に99年9月末から11月末の秋闘で、第1回目の「自治体キャラバン」が取組まれた。このキャラバンには8地方労連の内の7地方労連が参加し、48自治体を訪問し、雇用問題にしぼって交渉を行なった。その結果、首長、自治体担当者も雇用問題で悩んでいることがあきらかとなった。「製造業の倒産で従業員は3分の1になっている」「企業誘致した会社が廃業、商店街も落ち込みが激しい」「工業団地に入る企業がない」「地場のニット大手が倒産した」「若年層の就職先がない」など、地域の雇用問題に関する具体的な悩みが明かとなった。また、政府の「緊急地域雇用特別交付金」についても意見を交わす中で、多くの問題点が指摘され、県労連の評価と一致する点が多くあることを確認した。「特別交付金」についての具体的な意見としては、予算の規模が小さいこと、雇用保障に結びつかないこと、金額低く、雇用期間が6ヶ月では短い、事業に制約がありやりにくい、恒久対策が必要、などの意見が出た。
 99年10月20日、県労連は景気回復・雇用拡大問題について県と交渉を行なった。この交渉は、県労連が行なった失業者アンケート(5月〜11月)と、自治体との懇談(9月〜11月)、7月に提出した要求書に基づいて行なわれた。交渉項目は以下のようなものであった。
 @解雇や工場閉鎖を規制すること、A県として無駄な大型公共事業をやめ雇用創出を中心に施策を転換すること、B雇用問題に取り組む県の施策と行政の体制の拡充についての要求、C障害者の雇用問題について、D雇用問題に属する要求、E県から国に強く要望することを求める要求。
交渉の結果、次のような具体的な成果を得ることができた。
 @県立高等技術専門学校で職業転換訓練を行なう、A県内職安に配置されている求人開拓推進委員を18人から25人に増員する、B親が解雇された私立高校生で授業料の支払いが困難になっているものの授業料減免を検討する、などであった。「特別交付金」について県は、市町村の実態を把握していない状態で、「雇用対策として成果があった」と回答するのみであった。

A毎年のキャラバン継続から自治体請願へ

99年10月31日、北海道で全労連の失業・リストラ「合理化」反対、雇用確保、全国交討論集会が開催され、北海道での雇用失業キャラバンの運動が紹介される。福島県労連も「特別交付金」に伴う、運動を報告した。雇用失業問題で全国的な運動との連携の重要性が確認された。
99年12月9日には、10月20日に県労連が県と行なった交渉をもとに、県労連は、県議会議長あてに、「国にたいし『公的就労事業の確立など有効な雇用対策の実行を求める意見書』の提出を求める請願書」を提出した。その内容は、@公的就労事業対策の確立、A「特別交付金」を増額し、自治体の裁量で柔軟に雇用対策として活用できるものとする、であった。
 また、市町村議会に対しては、実効ある雇用対策を求める請願を提出した。99年の12月議会では、郡山・白河の2地方労連が19市町村議会に「特別交付金」についての請願を提出、その結果、16議会で採択され、3議会で継続という結果となった。99年の「特別交付金」についてその延長と改善を求める請願結果は、42議会に請願し、37市町村で採択され、3市町村で不採択という結果であった。
2000年1月、全労連が緊急雇用対策で、労働省と懇談を行い、福島県労連からもこれに参加。この頃から自治体が独自に具体的な雇用対策に取り組む動きが出てきている。それらは以下のようなものであるが、こうした動きの中で、県労連と自治体が雇用問題で協力していく関係が作られてきた。
 ホームヘルパー養成に取り組んでいる自治体が増加。
「預かり保育」「放課後児童対策」を6ヶ月終了後も自治体として事業を継続している。
 首長、職員が自治体内の企業を回って雇用拡大の要請をしている。名古屋で統合が発表されたナショナルの本宮工場の存続を周辺首長が要請し、存続を決める。
 村独自で村内の企業への就職者へ激励金を支給している。
 自治体・ハローワークの雇用協議会で「就職ガイドブック」をつくっている。
 E 市で発注する一定規模以上の事業は、○○人以上雇用を増やす事を要請している。
 1月25日には東京で「日産の大『合理化』反対集会」が行われるのに呼応して、5地方労連が、日産の販売店・関連会社54社に訪問・激励行動を行なう。
 2000年の秋には昨年に引き続き、第2回目の自治体キャラバンを雇用問題で実施する。この自治体懇談には、8地方労連すべてが8割の自治体(71自治体)を訪問し、前年の7地方労連48市町村に比べて飛躍的な発展を遂げた。各地方労連の参加状況は、福島地方労連、10/10、100%、二本松7/7、100%、郡山、13/13、100%、岩瀬須賀川5/5、100%、白河8/12、66.7%、会津22/28、78.6%、いわき1/1、100%、相双5/14、35.7%であった。
 2年目となる自治体キャラバンでは昨年に引き続き「緊急地域雇用対策特別交付金」の問題を中心に、各自治体の雇用失業の実情を聞き、「交付金増額・改善」の請願・陳情を各自治体に対しておこなった。自治体訪問のなかで、自治体も雇用問題で県労連と同じ悩みをもっていることがあきらかとなる。誘致企業の倒産、工業団地に入る企業がいない、ニット大手2社の倒産、青年の仕事がないこと、などである。自治体から県労連に対して、「誘致企業の撤退問題で地方労連の力を借りたい」「大学の先生を紹介してほしい」など具体的な要望も出る。
 「緊急雇用対策」の「特別交付金」に対する考えとしては、@バラマキである、A10年くらいの長期的視野が必要、B高齢者が資格を取れるようなものにできないか、C有効求人倍率が1倍になるくらいまで続けてほしい、などの意見を聞くことができた。このように自治体首長や担当者と地方労連が地域をよくしていく立場で共通して行なえる部分が多くあることが確認された。
 「特別交付金」の延長と改善を求める請願の2000年の結果は、県議会で採択されたことに加えて、市町村については提出市町村数が60、うち採択された市町村が57、不採択市町村1となり全国トップレベルの成果を得ている。
 2001年3月22日、福島県議会は、県労連などの要請内容を反映して、内閣総理大臣など宛「雇用の創出・安定対策の抜本強化に関する意見書」を提出した。意見書は、県労連が提出したものと、「連合福島」から出されたものとがあり、共産党県議団が奮闘して両者を調整した。その結果、全会派一致の採択となった。その内容は@「緊急雇用特別交付金」の大幅増・改善、A雇用形態の違いによる差別の禁止、公正な労働基準の確立、新たなワークルールの構築、B65歳までの継続雇用を確保する制度の確立と失業者や高齢者に対する緊急の就労事業をつくること、であった。

B個々のリストラ・工場閉鎖に対する運動

この間、大企業おけるリストラ、工場閉鎖などが発生し、失業情勢はさらに悪化する様相を見せていた。いくつかのリストラ・工場閉鎖については、県労連が直接に交渉し、労働者の権利擁護のために運動することになった。
 2001年8月4日、双三光学塗装株式会社(本社・東京、須賀川市に福島工場)で女性正社員6人を4時間
のパートにすることを突然通告した。8月17日には労働組合(全労連・全国一般双三光学塗装支部)を結成し、8月28日に福島工場で団体交渉を行ない、「白紙撤回」を勝ちとった。
 01年8月20日、富士通が16,400人-海外11,400人、国内5000人―削減の方針を発表した。富士通は、県内で影響力の大きな企業で、県内では会津若松工場のラインの削減などが発表された。県労連としては、富士通の会社つぶしと闘っている長野県にある高見沢電機の労働組合と富士通行動を連携してたたかった。2001年9月には長野県の高見沢電機の労働組合と連携して、富士通で門前行動と会社交渉を行い、富士通に対し、大リストラ計画をただちに中止することを要請した。2002年2月27日にも、長野県の高見沢電機労働組合とともに富士通門前行動、会社交渉を行なった。

C雇用問題で県政・自治体行政への影響力を強める

 01年8月28日には、佐藤知事が「県は来年度以降も交付金を延長するように国に要望する」ことを表明するとともに、県として独自に雇用対策の予算措置を行なうことを発表した。9月3日に、県は県知事を本部長とする「緊急経済・雇用対策本部」を設置し、雇用対策に本格的に取り組む姿勢を示した。
 01年9月3-4日、労働総研と県労連の地域政策活動実情調査が実施され、そのうちの雇用問題グループは、二本松職安、白沢村産業指導センター、二本松市役所、本宮町役場の自治体・職安訪問を行ない、地域における雇用情勢や自治体の雇用失業対策や今後の展望などについて調査をする。
その結果、高校卒業生の就職率が前年同期の半分しかないこと、雇用保険受給者が800人を超えたことなど雇用情勢が厳しい状況にあることが確認された。さらに村内就職者に奨励金をつける事業を行なっていること、村内の企業に自治体首長が求人の要請を行なっていること、「特別交付金事業」で公共施設の補修などを実施していることなど、市町村における具体的な雇用対策の状況も明となった。また、「特別交付金事業」についても市町村の担当者の意見として、いろいろな計画を立てても採用されないことに問題があるなど、地域における雇用問題の深刻な状態がわかり、自治体もこれを認識して具体的で積極的な取り組みを行なっている所もあることなどが明らかになった。こうした地域の状況と自治体の姿勢を考えると、雇用失業問題で県労連が取組める領域が広範に広がっていることが実感された。
 01年9月の県議会に対して「抜本的な雇用対策の実施を求める意見書」を国に提出する請願を行ない、全会一致で採択された。その内容は以下のようなものである。
企業が一方的なリストラを行なうことを規制するルールをつくるなど新たな失業者をつくらない政策の確立
医療・福祉・介護・教育・消防など国民生活に不可欠な分野での雇用拡大を図ること。
 雇用保険の抜本的拡充を図ること。具体的な問題としては、2001年4月から雇用保険の改正で実施されている離職理由2つに分けて給付の区別をつけたことで、給付日数が制限され、待機期間があることが大きな問題として指摘される。深刻な失業状況のもとで、給付日数の全国延長をしやすい条件をつくり、実施することなど。
同じ9月県議会で県単独の「緊急雇用対策基金事業」(10億円)が予算化され、高校に就職開拓員を配置(県費5校)し、就職できない高卒者に県費で技能講習を行う制度がつくられた。
 9月13日には福島県が厚生労働省に対して4項目の要望書を提出した。それは以下のようなものである。
 *緊急地域雇用特別交付金制度の拡充・継続
 *地方公共団体の雇用対策への財源措置
 *失業者の生活安定対策
 *新規高卒就職予定者の就職促進対策
 10月11日には福島県議会が「一方的なリストラによる新たな失業者をつくらない政策の確立」、「抜本的な雇用対策の実施を求める意見書」を全会一致で採択する。

D「雇用問題等についての要求書」を県に提出

 このような一連の地域雇用問題での実態調査、自治体担当者との意見交換などをふまえて、01年10月12日、県労連は「雇用問題等についての要求書」を県労働局長に提出した。この要求書は、福島県の雇用情勢についての分析を行ない、それについての県労連の見解を述べ、国と県に対する要求を行なっている。この要求書は、これまでの県労連の雇用問題についての体系的なまとめとしての意味を持ち、これまでの県労連の雇用失業政策の到達点を示すものとなっている。
 これによると今日、雇用が伸びない原因は、国民生活に密着する部門で正規雇用を確保されなければならないはずであるにもかかわらず、国も地方自治体も臨時や補助職員でそれを乗り切ろうとしているところにあるとし、就業人口における占める公共部門就業者の割合は、日本が7%でOECD中最低になっていること、公的部門で人員増が必要な部門は、臨時や補助職員ではなく、正職員で確保すべきである、と述べている。そして国に対して13項目、県に対して9の要求項目を列記している。
 1)雇用をめぐる県内の現状。
現在の雇用問題に対する福島県労連の考え方
 3)国に対する要求
 1.「抜本的な雇用対策」の確立:@新たな失業者を作らない政策の確立、A国民に不可欠な分野での雇用の拡大、B雇用保険を拡充し、失業給付・失業扶助の抜本的拡充を図る
 2.リストラをやめる
 3.緊急地域雇用特別交付金事業の増額・継続;制限の撤廃、
 4.雇用保険の全国延長給付、の提要条件を緩和し、雇用保険受給資格者に90日の延長給付
 5.年齢制限を行なわない
 6.補助教員だけでなく、正規の教職員を大幅に増やすこと
 7.保育児童の待機児童をなくす。すべての既望が保育所に入れるように認可保育書のぞうせつと保育士の増員を行なう。
 8.職業訓練の場を自治体とも連携して拡大していく
 9.派遣労働者の保護
 10.公共職業安定所の機能・人員の増員を基本として職業紹介事業の充実をはかる。
 11.障害者の法定雇用率に達するように指導すべき
 12残業の規制を厳格に行なうため、監督官の増員をおこなう
 13.労災・労安法違反の改善
 県に対する要求
 国に対して「抜本的な雇用対策の実施を求める意見書」を提出すること。
 新たな失業者をつくらない政策の確立。
 国民生活に不可欠な分野での雇用の拡大。
 雇用保険の拡充、失業給付、失業扶助の抜本的拡充。
 リストラをやめること、不払い残業をやめ雇用の拡大をはかること。
 緊急雇用対策基金の「緊急雇用対策事業費」は直接「雇用拡大」につながる形で事業化すること。
基金事業については、市町村の事業を優先すること。事業は各自治体の裁量にまかせること。シルバーが入札等で民間事業者の仕事を奪うことのないようにすること。
高校卒業生について市町村や商工団体などとも連携して、各企業に雇用枠の拡大要請を強力に行なうこと。
 非常勤講師のうち少なくとも定数内の人たちを正規職員として採用する。「30人以下学級」を実現し、教職員の雇用を拡大すること。
 介護体制の充実、特別擁護老人ホームをすべての市町村に作る。必要なホームヘルパーなどの介護職員を市町村と協力して確保
 県立高等技術専門高の定員を増やす、職業転換を求めるものの教育コースを新設する。
 消防職員の定員確保。条例定員2412人、実人員2339人
 さらに県労連としては、県の「緊急経済・雇用対策本部」の設置は歓迎するが、今後さらに強力な雇用対策を推進する体制をとることが必要で、その方向をあきらかにすることを県に要求した。
 2001年10月末から11月末には第3回目のキャラバンを実施し、各地方労連が「国に対して『抜本的な雇用対策の実施を求める意見書』の提出を求める請願」「一方的なリストラによる新たな失業者を作らない政策を確立する」を各自治体議会に請願する。66市町村議会に提出、52市町村議会で採択された。
 意見書の内容は、@一方的なリストラによる新たな失業者をつくらない、A国民生生活に不可欠な分野での雇用拡大を図る、B雇用保険の抜本的な拡充、であった。
また、「特別交付金」については@大幅増額、事業内容の緩和、自治体に有効活用できるようにする。A失業者・高齢者にたいする緊急の就労事業を要望した。
 01年11月の福島県の雇用失業状況は、負債1000万円以上の倒産件数289、負債総額2149億5900万円、リストラ実施企業221社、5,333人、工業統計事業所数6335社・従業員数201,627人、最高時に比較して1,667社、46,394人の減となっている。さらに11月の高卒就職内定率53.4%という状況であった。
 このような厳しい雇用情勢のもとで、11月7日、福島市市長選が行なわれ、選挙母体として「福島市政を明るくする会」が作られた。この「明るくする会」に福島地方労連も加わった。地方労連の要請により、県労連も議論の末、瀬戸候補の推薦を決定し、各労組に積極的な支援を呼びかけた。また、地方労連とともに、地方労連未加盟の組合に対して、支持要請行動を行なった。「明るくする会」と瀬戸候補との間で政策協定が結ばれた。政策協定のなかでの雇用政策としては、四、雇用対策に全力で取り組みます。五、地域経済の主役、中小企業・商工業者を応援します。六、基幹産業としての農業を守り、安心して農業がつづけられるようにします、というものがあった。
 11月18日、瀬戸氏が市長に当選、当選後ただちに市長は補正補正予算に雇用対策として2700万円の予算を組み、緊急地域雇用対策事業費(2002年3月までに延べ830人分の雇用を創出する)とする。また、市内100社に雇用拡大の要請。地元企業に1億円の受注機会確保対策を行なった。
県労連としてこの措置を高く評価し、「福島市のような独自政策を」という訴えをもって、各地の自治体交渉に臨んだ。
 福島市の雇用失業問題への積極的な対応をきっかけに、各自治体で独自の雇用対策を打出す動きが活発化する。
須賀川市は離職者相談所を開設。大玉村は保育所職員4人像などの雇用対策事業。川俣町は町内11事業所から採用計画を調査。矢吹町・白沢村は企業に直接に雇用を要請。 こうして県労連の運動の成果が地域の自治体政策に影響を与え、地域の政策として根付いてきているのである。

E第V期の特徴

 99年秋に7地方労連が47市町村を訪問し、雇用・地域経済問題の懇談を行ったことが、地域に根ざした具体的な要求に基づく運動をめざす県労連の労働・雇用問題に対する取り組みを飛躍的な変化をもたらした。自治体キャラバンは2000年の秋、01年と続けて行なわれるなかで、参加する地方労連や訪問自治体の数も増え、発展し、運動が地域に広くひろがり、地域の実態により密着するものとして展開してくる。こうした運動の展開の中で、実態についての認識で共通する点ができ、自治体首長や担当者と考えをともに共通するようになり、自治体と力を合わせて問題に当たるような体制が作られてきている。自治体にたして雇用失業政策で具体的な課題を提起して交渉を持つとともに、自治体が国や企業に対して積極的に働きかける要請も活発に行なっている。こうして労働組合としての活動のあり方についても、提案型の活動が必要とされ、それが定着してくるようになってくる。
 こうした労働組合運動の展開は自治体選挙にも反映され、知事選挙や福島市長選挙に積極的に参加し、選挙政策に県労連の運動を反映させるとともに、選挙の結果、自治体の政策にも反映させ、それを梃子に地域に根ざした運動を展開させてきた。

 以上、雇用失業問題に関する福島県労連の取り組みの流れを見てみると、縦に一貫して流れるものとしては、地域の具体的な要求に根ざした運動があり、よこの広がりとしては地方労連や産業別組織の運動などがある。
縦の流れとしては、各種の統計や新聞などによる地域経済調査による雇用失業状態の把握からはじまり、ビクトリー・マップの作成の活動、職安前アンケートの活動(99年)、県に対する「雇用政策・要求」の提出、3回にわたる自治体キャラバンの実施(99、2000、01年)、「特別交付金」についての自治体決議の運動などがある。
 運動を取り組む体制としては、当初は県労連事務局プラスの体制であったが、職安前アンケートで建交労との連携が実現し、自治体キャラバンや自治体決議で地方労連の積極的な参加が実現されてきている。こうした運動の広がりにより、県知事選や市長選挙などに県労連が影響力を発揮するようになってきている。そして、県や自治体の雇用政策に県労連の考えが生かされるようになってきている。具体的な自治体の雇用失業政策をつくる面で、習熟しつつあるといえよう。
 このように、この間の県労連の雇用問題での運動は、その広がりと深さにおいて着実に前進してきているといえるが、失業者そのものを組織すること、あるいは未組織で無権利の状態に置かれているような人々を組織化して、それらの人々が抱えている問題を自ら改善していく力を持てるようにしていくという点では、さらに進んで行くことが必要であるように思われる。
 というのは福島県の就業者は、2000年でほぼ100万人であるが、そのうち組織されて労働者は16万人にしか過ぎないからである。多くの労働者は未組織の状態にあり、雇用形態が流動化する中で、ますます無権利状態に陥らされているのである。こうした状況に県労連が対応していくには、これらの人々の声を直接に聞くとともに、これらの人々が自らの要求で自ら運動していけるような条件をつくっていくことが必要となっているからである。
福島県労連がこうした問題に進んで行くには、さらに組織の結集力を強めるとともに、活動のしかたより提案型のものとしていくことが要請されている。雇用失業問題でこうした方向に進めるためには、失業者の実利を労働組合自体が確保していくような運動が必要とされている。

V、福島県労連の地域経済振興への取り組み

(1)地域経済振興と大型店出店反対運動

 2000年6月から施行されている「大規模小売店立地法」(以下、大店立地法)は大規模小売店の立地規制としての働きは「大規模小売店舗法」に比べ大きく後退している。「大店立地法」の弱点を補うべく施行されている「中心市街地活性化法」「都市計画法改正」の3点セットを「まちづくり3法」と呼んでいるが、全国各地域では大型店出店がとどまるところをしらない。
 近年大規模店サイドの変化も大きなものがある。2001年にはマイカル(大型店サティの親会社)が倒産し再建もままならない状態であり、今年にはいってからもダイエーが再建策を練り直さなければならないほど窮地に立たされている。地方の大型店でも倒産・身売りが相次ぎ、大型店再編成時代の到来を現実のものとしている。
 一方、元気がいいのはイオングループの「ジャスコ」や外資の大型店はじめ、「マツモトキヨシ」、「ドン・キホーテ」など都心型の中型店である。これらは「大艦巨砲主義」の大型店とともにショッピングセンターに参加したり、地代・家賃が下がった都心部や住宅地域に入り込んで、住民との問題を引き起こしながらも出店を続けている。
 福島県でも一昨年、福島市の長崎屋が倒産につづき、01年はビブレ(マイカル資本)も倒産している。都市再生の切り札であったはずの大型店が軒並み倒産することで、福島市の都市計画や地域振興にも大きな影を落としている。
 しかし、安達町や伊達町など福島市のベッドタウン化しつつある地域ではジャスコ、ベイシア(群馬県の大型店)などの出店計画が打ち出されている。大型店に頼った地域経済の危うさは福島市の事例を見れば明らかであり、これ以上の大型店出店は「地域内再投資力」の流出を招くことは誰の目にもはっきりしている。
 福島県労連では早くからこのことに気がつき、県内の民主団体との連携の元に大型店出店反対運動をリードしてきている。地方都市では外来資本の誘致による地域経済振興が当たり前のように続けられてきたが、彼らは地域のことよりは本社のある東京に目が向いているのであり、不都合があればさっさと地域を見捨てている。これは商業だけでなく、建設業、製造業など、これまで外来資本として福島県内に立地してきた大企業全体にいえることである。
 福島県労連はこれらの大企業に対して地域の労働者の権利を守る運動だけでなく、地域経済全体を見据えた運動にまで展開してきているのである。今回、県労連と連携する諸団体、個人とのヒアリングを通じて、県労連の地域経済振興への貢献が明確となってきた。

(2)安達町大型店誘致反対運動

 福島県で県労連が取り組んだ大型店出店問題が安達町ジャスコ出店問題である。安達町は福島市の南に位置し、二本松市と境を接する地域である。町当局はジャスコ誘致推進のために道路建設まで実行し水害まで引き起こす状況となっている。
 すでに環境問題をも引き起こす町当局の姿勢は地域住民の反発をかっているが外部資本依存の旧態依然の体制に変化はない。すでにベイシアの出店が計画され、町はその推進役になっている。
 ジャスコ出店では、安達町の民主的団体・個人だけでなく、隣接する二本松市の自治体労働組合、民主団体までも巻き込んだ大反対運動が巻き起こっている。すでに出店断念から2年近くが経過しているが、官制団体である安達町商工会の動きは鈍く、ようやく「まちづくり運動」を01年5月に立ち上げた新執行部体制の元で計画する段階である。
 ジャスコ反対運動で大きな勢力となった二本松市職労のヒアリングでは、安達町のまちづくり運動の遅れを指摘しながらも自らの地域においても同様な状況であり、まちづくりには地域商店街や商工会との連携が必要であるとしている。
 二本松市でも商店が廃業しつつあり中心市街地のシャッター通りへの不安が高く、「まちづくり条例」の必要性を痛感しているようである。まちづくり条例は現在、多くの自治体が制定し始めている条例であり、神奈川県真鶴町の「美の条例」は有名である。基本的には地域の都市計画の策定と同じように、「地域らしさ」をいかに保持していくことができるかの分かれ目になっている。
 この条例制定とともに「中心市街地活性化法」にもとづく基本計画の策定などまちづくりの骨子が未だに作られていないことが、これらの地域では問題といえよう。何もこの2つの地域だけの問題ではなく福島県全体の問題でもあり、今後の県労連の運動の中に取り入れていくことも検討すべき点と考えられる。

(3)伊達町ジャスコ出店問題への運動

 伊達町は福島市の東側に位置する典型的な福島通勤者のための住宅地域である。ここにジャスコが大ショッピングセンター計画を打ち出している。町長はじめ、町当局は大賛成である。しかし、地元商店街や地権者である農家にとっては大問題である。
 安達町のジャスコ出店問題で決定的なことは地権者である農家が土地を貸さなかったことが出店計画を断念させた要因となっている。そこで、ジャスコはあの手この手で地権者にプレッシャーをかけつつ、町当局や官制団体をも巻き込んで反対運動を封じ込めようとしている。県労連と支援団体はこの卑劣な行動に対して反対運動をすすめる団体・個人を支えながら健闘している。
 さらに周辺の伊達郡の各町では商工会はじめとする官制団体がこぞって反対運動に参加しており、伊達町だけが孤立している状況を作りだしている。すでにジャスコ反対運動の組織も確立し、商工会の役員がその組織の会長に就任している。
 このように県労連と連帯する労働組合、民商など地域経済にかかわる民主的団体のみならず、官制団体をも巻き込んだ広範な市民レベルでの運動に発展させることに成功している。

 

(4)福島県での運動から学ぶ地域経済振興

 福島県労連がかかわった大型店出店反対運動を通じて、今後の地域労連における地域経済振興運動に何を生かしていくかを検討しておこう。  
第一には、県労連が反対運動に連帯できる組織・個人を広範に取り込めたことである。地元の商店主・商店街
や商工会など官制団体でも直接利害関係が一致するときには、地域における運動では共闘することが可能であることが確認できた。
 すでに大型店問題では政府および関係政党は大型店側に位置することが明らかであり、中小小売商店での支持を失いつつある。商店主たちに頼るすべがない状況を自ら作りだした政府に対して大きな怒りが地域の反対運動にも反映している。
 第二には地域経済振興運動に民主勢力を地域内で結集できた点にある。これまで、ある組織が運動していても、その地域の自治体や民間の労働組合あるいは民主団体が積極的にかかわるというよりは動員された形でしか協力してこないことが多かった。
 福島県労連が大型店反対運動に積極的にかかわることで、加盟する民間労働組合や自治体労働組合、市民団体なども運動に参加しやすくなったことは大きな進歩と考えて良いだろう。
 第三には大型店反対運動を通じて、市民レベルでも地域経済振興にかかわる個人や組織を増やしていったことである。これまで市民活動をしたことのない階層にも運動を広げ、本当の市民参加型の運動へと進める第一歩が記されたといってもいいだろう。そのためにも市民に対して情報を共有させるだけの努力があったことは言うまでもないことである。 安達町や伊達町の運動は地域に大きな情報発信能力があることを証明して見せたし、これに自信をつけた地域の今後の活動は一層活発になることは間違いない。
 第四には地域経済振興は地域の住民や中小企業・中小業者が主役とならなければならないことがはっきりしたことである。外来型の地域振興の欠陥がはっきりした以上、地域づくり、まちづくりを地域の中で自立してやっていかなければならない。
 しかし、地域づくり、まちづくりと一口にいっても地域ごとの事情があり、これまでの政府や自治体による補助金ばらまきでは限界に近づきつつある。特にソフト面での市民参加が必要不可欠の要件になっており、市民の賛同なしにまちづくりをしようとすれば「絵に描いた餅」になり、税金の無駄使いになることを市民は知りつつある。
 自覚した市民や中小企業・中小業者が率先して、自治体と協力しながら地域づくり、まちづくりの計画を策定し、自立・自律できる地域経済振興をはかることが今後の課題となり、次への展望を開く方向となろう。


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