労働組合運動の地域政策発展をめざして
1990年代後半に入る頃から、わが国にいても政府サイドで「介護保険」構想が具体的内容をもって提起され、それをめぐって社会的にさまざまな論議が高まった。深刻化の一途をたどっていた「高齢者介護」の実態が背景にあって、新しい「介護保険制度」の導入が問題の解決を促進するかのような楽観論が広がり、それを歓迎、期待するム−ドが高まるなかで、政府の介護保険法案が曲折を経て97年12月に成立した。そして、保険者となる地方自治体を中心とする2年間の準備期間をおいて2000年4月から施行され、今日に至っている。
介護保険法案に対して、わが国における社会保障運動の専門的センタ−である中央社会保障推進協議会や労働組合運動のナショナルセンターの全労連、それらに結集した地方、地域の組織も政府案の問題点を厳しく批判して国と自治体の公的責任を明確にした「高齢者の医療、福祉、介護保障の確立」が必要であり、そのためには5年間の国民的な論議を進めることが必要であるとする要求を提起して、中央、地方において住民と幅広く連帯、協同して多種多様な運動を展開した。
しかし、法案が成立して、政府指導のもとに実施主体(保険者)の各自治体で具体的実施に向けた諸準備が進められていくことになったが、これらの諸団体は、介護保険法第117条5項の「市町村は、市町村介護保険事業計画を定め、又は変更しようとするときは、あらかじめ、被保険者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする」規定や成立にあたっての国会付帯決議を重視して、引き続きそれら法律の積極的部分を活用した県、市町村の自治体レベルにおける新たな介護保険制度改善運動を全国的に展開していく方向へ継続、発展させていった。この運動は、わが国のこれまでの社会保障制度改悪反対闘争などにおうおう見られた法案成立をもって運動終結というパターンではなく、制度と運用の改善に役立つ部分を捉えて引き続き粘り強く修正、拡充の要求をかかげて実現をめざしていくというものであり、わが国の社会保障運動の一段の成長を示す画期的なものであった。
この運動は、中央社保協や全労連の提起を受けて、地方、地域の運動組織がそれぞれ全国各地で、知恵を出し合い、創意工夫をこらし、また組織としての力を出し合って要求や運動の方法をまとめ、地域の伝統的な住民組織や新しい住民層との話し合いを重ねて、「合意」をかちとり、これまでにない幅広い取り組みを発展させていった。そして自治体議会を動かし、自治体の対応を変えさせ、低所得者に対する介護保険料や利用料の減免、その他関連する社会保障要求の改善など成果をかちとっていったのである。
埼玉県におけるこのような介護保険制度改善運動は、10余年の全労連加盟の地方組織として社会保障問題をはじめローカルセンターとして多面的な領域で、政策や運動の力量をアップさせてきた埼労連と埼労連のイニシアティブによって結成された県社保協が埼労連との密接な共闘関係を軸に、多様な住民組織やその運動との「対話と共同」を大きく広げて多角的な協力関係を発展させながら、取り組まれたものであった。そして埼労連と県社保協の組織的な力量と地域住民の「対話と共同」によって発揮された新しい力は、行政や議会に対する対話型、提案型の要求、運動を創りだすことに成功し、そうしたなかで、決して充分のものではないとはいえ注目すべき成果を生み出したのである。この埼玉の運動と成果に対しては、中央社保協も高く評価し、全国的にも関心が寄せられたのであった。
労働運動総合研究所の地域政策プロジェクトチームは、介護保険制度がスタートして6ヵ月経過した2000年10月に、この運動に指導的立場で関わった原富 悟埼労連事務局長から「埼玉における県労連・地域労連の活動」について報告を受けた。それは「介護保険制度の改善運動」、「住民運動と県労連、地域労連・地区労」、「賃金・労働条件をめぐって」、「県労連と地域労連」の柱からなるもので、どれも埼労連の水準の高さを示す運動ばかりであり、こうした運動を組織、推進できる地方労連を結集した全労連運動が着実に発展していることを知ることが出来た。私達は、今回の介護保険制度をめぐる社会保障運動を広範な階層の住民がみられた点で戦後最大の特徴をもっているいるという指摘がなされているなかで、この運動において労働組合運動、とりわけ地域の労働組合運動と専門的な社会保障運動団体が実際にどのような役割を果たしたのかほとんど明らかにされていないのではないか、その面を正確に知る必要があるという問題意識をもっていた。原富事務局長からは埼労連と県社保協の基本的な取り組み姿勢、社会保障運動を進める共闘組織、産業別労働組合や地域労連の取り組み、「対話と共同」の実践などが報告された。そこから、私たちはやはり社会保障運動の発展にとって労働組合運動の強化と「対話と共同」路線の熟達が必要不可欠であるということを痛感したのであった。
また、原富事務局長の報告は、今日における地方の労働組合運動が地域の諸課題の解決、要求の実現のために、住民とともに取り組む運動はいかにあるべきかという幾多の教訓に満ちたものであった。それらは、労働組合運動それ自体を再生、発展させていく力量がどのように形成されていくものなのか、労働組合運動が今日の情勢が必然的に生み出す多くの社会的な諸運動において、どうすればそれらの運動間で社会的信頼関係を築き、社会運動全体のなかで自らの力量を発揮し、必要な役割を果たすことの出来る運動体になりうるか、こうした基本的な課題も提起したものと受け止めた点でも印象的であった。
労働総研の地域政策プロジェクトの担当チームとして、とくに埼労連と県社保協の「対話、共同」路線による介護保険制度改善運動の取り組み経過を調査対象にし、その結果を明らかにすることは、これからのわが国の社会保障運動と労働組合運動の前進、強化に役立つであろうと判断し、実施することを決定した。
聞き取り調査は、芹沢寿良と平石裕一の両名が担当し、2001年9月段階と12月段階に共同で聞き取りを行い、その後、補足的な聞き取りと関係資料等の調査、検討は、芹沢が行なった。
以下、埼労連と県社保協両者が中心となり、98年から99年を中心に、今日も継続されている「対話と共同」の路線に基づく介護保険制度改善運動の基本的な取り組みの状況を中心にまとめた調査報告である。率直に言って、これだけ大きな運動の調査を行なうためには、必要はメンバーを相当数確保し、時間をかけて主要な市町村レベルにおける介護保険制度の問題点、改善要求をめぐる自治体交渉の経過、結果をも含めて、聞き取りと資料調査の対象とすることが必要であろう。そうした点から考えると、調査報告としてはきわめて不十分なものである。
埼労連と県社保協の協力共同を軸にした今日の介護保険制度改善運動の取り組みに関するこの拙い調査報告書から、その幅広い発展を支え、保障した大衆的な力量がどのような運動姿勢と取り組みによって生み出されたか、その教訓を引き出していただければ幸いである。そして、さらに研究者と労働組合運動関係者の協力によって多様な運動経験を発展させ、現代の社会的、大衆的労働組合運動の優れた指導的力量を備えた幹部、活動家を育てている全労連・埼玉労連と埼玉県社会保障推進協議会の組織、運動を地域レベルまでを対象にしてさらに広く調査研究されることを期待するものである。
最後に、聞き取りと資料提供等でいろいろお世話になった方々の氏名を記して感謝の意を表したいと思う。
原富悟氏(埼玉労連事務局長)、菅澤秀幸氏(埼玉県社会保障推進協議会事務局長)、公文昭夫氏(社会保障問題研究家)、小畑美信氏(自治労連埼玉県本部書記長)、渡辺繁博氏(自治労連埼玉前上尾市職員組合委員長)、渡辺正成氏(埼玉土建大宮支部書記長)、高野弘子氏(埼玉土建本部常任書記)、高橋健一氏(中央社保協「社会保障」編集部)、石川芳子氏(全労連常任幹事)、中村宣夫氏(自治体問題研究家)
埼玉県は、関東平野の西部に位置し、東京、千葉、茨城、群馬、長野及び山梨の各都県に囲まれた内陸県で、面積は3798.3ku、全国39番目の広さである。総面積の3分の1にあたる西部山岳地帯と3分の2を占める東部平野部とに分かれ、平野部のうち北部、東部はおおむね農業地帯を形成し、南部は首都近郊都市の性格を有している。
現在の行政区は、北足立、入間、比企、秩父、児玉、大里、北埼玉、南埼玉、北葛飾の9郡にわたり、市町村数は、2001年5月1日に浦和、大宮、与野の3市が合併して100万都市・さいたま市が誕生し、41市39町村11村となっている。
人口は、2000年10月1日現在で693万8006人(男性350万0224人、女性343万7782人、世帯数は、247万0487世帯。人口推移の増加率は、自然増全国第2位、社会増全国第1位、県民の平均年齢は、39.6歳で全国46位の全国で2番目に低い順位、平均寿命は、男性76.95歳、女性82.92歳で、しかし高齢者の絶対数が多く、今後、平均寿命の伸長、出生率の低下、人口構造の変化等の要因により全国よりも一段と速い速度で高齢化が進むと予想されている。
人口構成は、15歳以下の年少人口は、1025万人、生産年齢人口(15歳〜64歳)は、501万人、生産年齢人口率は、72.2%で全国1位、内有業者数370万人、無業者数20.8万人、離職者率5.6%、65歳以上の老年人口は、88.9万人(12.2%)、100歳以上人口は、320人である。
埼玉県における民営事業所数は、99年10月現在、約261万、従業者数は約228万人で、ともに1963年以降初めての減少となっているが、その内、中小企業の割合は、事業所数で、99.0%、従業者数で80.6%を占め、産業・雇用の中で大きな役割を担っている。
産業3部門別の就業者割合は、2000年10月現在で、第1次産業に2.4%、製造業中心の第2次産業が減少して30.6%、サ−ビス業、卸売・小売業・飲食店等を中心とする第3次産業に65.3%という状況である。「就業構造基本調査」による99年10月現在の実数は、第1次産業が10.8万人、第2次産業が126.1万人、第3次産業が229.3万人(内女性就業者100.3万人)となっている。なお、第3次産業に分類されている地方公務員数は、県一般行政関係職員8546人、警察官8794人、市町村一般行政関係職員3万5020人である。
また、埼玉県内を常住地とする就業者約351.3万人の内、県内で働いている就業者は242.3万人で全体の69.0%であるが、東京に通勤する就業者数は100万人を超して、その割合は28.5%を占めている。県外就業人口移動としては全国にない規模となっており、東京都との強い結びつきを示している。
参考までに『統計からみた埼玉県の地位』(平成12年度)から「社会保障」関係の幾つかの項目をあげて見ると、以下のような状況である。
@生活保護の被保護実世帯数(月平均)は、全国9位の1万6906、被保護実人員(月平均)は、全国8位の2万5146、保護率(人口千人につき)は、全国34位の3.6%、65歳以上人口千人当たり被保護老人は、全国32位の9.4人。
A老人医療費(98年3月〜99年2月)の対象者数は、全国8位の50万2997人、老人医療費は、全国8位の3592億2762万1千円、1人当たり老人医療費は、全国34位の71万4174円、老人1件当たり入院日数は、全国26位の20.07日。
B国民年金の被保険者数は、全国4位の190万2223人、受給権者国民年金計の件数は、全国7位の69万7745、金額は、全国7位の3912億4732万3千円、老齢福祉年金件数は、全国8位の1万0607、金額は、全国8位の43億4462万7千円。
C国民健康保険の被保険者数(年間平均)は、全国5位の202万7294人、療養諸費の件数は、全国7位の2300万1748、費用額は、5583億3149万9千円。
D雇用保険の適用事業所数は、全国8位の6万3891、被保険者数(一般・高年齢・特例・短時間)は、全国8位の101万0456人。一般求職者給付(一般・短時間)の受給者実人員は、全国4位の5万5664人、基本手当支給総額は、全国4位の101億7587万1千円。日雇労働被保険者数は、全国10位の452人、日雇労働求職者給付の受給者実人員は、全国15位の130人、支給総額は、全国17位の662万4千円。
E社会福祉施設等(公立、私立計)の総数は、全国9位の1849。保護施設の救護施設は、全国27位の2、医療保護施設は、全国5位の3、計6は、全国16位。老人福祉施設の施設数計は、全国8位の645、定員は、全国8位の1万2713人。養護老人ホーム(一般・盲)の施設数は、全国17位の22、定員は、全国16位の1461。特別養護老人ホームの施設数は、全国7位の141、定員は、全国8位の8683人。軽費老人ホームの施設数は、全国5位の50、定員は、全国4位の2569人。老人福祉センターは、全国3位の103。老人日帰り介護施設は、全国9位の200。施設当たり65歳以上人口は、全国8位の1233人。身体障害者更正援護施設は、全国7位の60。婦人保護施設は、全国7位の1。知的障害者援護施設は、全国8位の103。児童福祉施設計は、全国10位の907、助産施設は、全国5位の22。母子生活支援施設は、全国10位の7。保育所は、全国8位の701−1ヵ所当たり人口は、全国2位の9793人。養護施設は、全国8位の17。児童館は、全国13位の104。その他の社会福祉施設等は、全国28位の109。訪問介護員(ホームヘルパー)は、全国9位の3679人。身体障害者相談員は、全国20位の248人、民生委員は、全国4位の9714人、保育士は、全国6位の7809人。
Fもう一つ、総務省統計局の『2002 統計でみる県のすがた』の「健康・医療」項目をみると、埼玉県の医療基盤の状況を示す、通院者率(人口千人当たり)は、人口対比で全国44位、一般病院年間新入院患者数(人口10万人当たり)、一般病院の1日平均外来患者数(同)、一般病院病床数(同)、医療施設に従事する医師数(同)、医療施設に従事する看護婦(士)・準看護婦(士)数(同)、保健婦(士)数(同)は、いずれも全国最下位の47位、一般診療所数(人口10万人)も全国46位である。この医療基盤の状況が埼玉の介護基盤の弱さの一因と指摘されている。
埼玉県の雇用労働者数は、約352万とされているが、99年の労働組合数は2202組合、組合員数は42万0646人(男−32万2516人、女−9万8130人)、推定組織率17.9%、前年に比べて組合数、組合員数ともに減少している。産業別では、組合数、組合員数ともに32.3%で製造業が最も多く、全体の3分の1程度を占めている。適用法規別労働組合数は、労働組合法適用の民間労働組合は、1941、国営企業労働関係法は43、国家公務員法は58、地方公務員法は117、地方公営企業労働関係法43である。
労働組合運動におけるナショナルセンターの下部組織となるいわゆるローカルセンターは、他県の場合と同じように、連合傘下の連合埼玉と全労連傘下の埼労連の二つである。両組織ともに80年代の労働戦線の「再編」の過程を経て、89年11月に結成され、今日まで12年間の歴史をともに重ね、2001年現在、連合埼玉は41単産約18万人、埼労連は19単産約13万人の労働者をそれぞれ結集した組織となっている。両ローカルセンターともに傘下に地域組織を持ち、連合埼玉は12の地域協議会、埼労連は28の地域労連である。
わが国における労働組合運動の階級的民主的強化をめざす潮流は、1974年に統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)を結成して、総評の右傾化と革新統一戦線の分断を阻止する運動を全国的に発展させる活動を強めていたが、埼玉県でも統一労組懇が埼教組、埼高教、全国一般、国公共闘等を中心に10組合、3地区労の5万3000人で結成された。これが埼玉労連の前身である。
統一労組懇は、全国的にも地方においても労働者の生活と権利、福祉、教育など国民生活の防衛と改善、平和と民主主義、政治革新のための課題を積極的に取り上げ、民主的な諸団体との共闘を追求してその運動を推進した。埼玉県においても例外ではなかった。
こうしたなかで、統一労組懇運動は、その影響力を拡大しつつ、労働戦線の右翼的再編が裂けられないという情勢判断から新しいナショナルセンターとローカルセンターの結成に踏み出し、埼玉県においても結成への準備が民主的に重ねられ、89年11月17日に埼玉労連が結成されたのであった(27単産・8万5881人、四地域組織6389人)。全国で高知、岡山、大阪に次ぐ四番目の地方労連の結成であった。全労連は、周知のようにそれから四日後の11月21日に27単産、16道府県労連と準備段階の25組織、計41地方組織、組合員数140万人で結成された。埼労連は、全労連に加盟し、構成組織となった。
埼労連は、今日、全国的に地方労働委員会の労働者側委員が連合系に独占1されているなかで、結成以来、98年までその状況を打開し、公正、民主的に全労連系の労働者側委員の選出を求めて粘り強い取り組みを続け、99年に保守県政の下で、知事任命の埼労連推薦の労働者側委員の選出を実現させている。
埼玉労連の加盟組織は、19単産・12万9813人で、最大の8万6152人の埼玉土建、以下自治労連、埼教組、年金者組合、埼高教、医労連、コープ労、県国交、建交労県本部、自交総連、全国一般、JMIU、建交労会議、福祉労、私教連、化学一般、全印総連、通信労組の順で、そして最少6人の郵産労となっている。また、傘下地域組織は地域労連や地区労などの名称の28組織で、南西東北と中部の5地区協議会に組織されている。以下の通り。
南部地区協議会−川口地区労、鳩ケ谷地区労、蕨地区労、戸田地区労、浦和地区労、北足立南部地区労。西部地区協議会−入間東部労連、比企労連、所沢地区労、狭山地区労、入間地労連、飯能・日高労連。北部地区協議会−熊谷地域労連、深谷岡部労連、本庄児玉地労連、秩労連、寄居地区労連。東部地区協議会−三郷市労連、草加八潮地区労、越労連、春庄労連、埼北労連、加須労連、行田地区労。中部地区協議会−与野市労連、大宮市労連、AOI労連、鴻北労連
埼玉労連は、大会、評議員会、幹事会が基本的な機関であり、それを指導する役員体制は、議長1名、副議長7名、事務局長1名、事務局次長1名、幹事20名、会計監査3名、特別幹事1名、顧問1名、事務職員3名、専任オルグ5名の体制である。
事務局の業務分掌として、総務財政部、調査政策部、政治共闘部、組織地域対策部、争議対策部、情報宣伝部、教育文化部、青年女性対策部、調査資料室がある。
2001年度における定期大会は年1回、評議員会は2回、幹事会は16回開催されているが、その他に随時四役会議や専従の副議長1名、事務局長1名、事務局次長1名、幹事3名の計6名による専従役員会議がもたれ、また、単産・地域組織の代表者会議、春闘討論集会なども春、秋のたたかいの準備、組織拡大月間などのために開催されている。
組織内部の各種委員会は、組織拡大推進委員会、社会保障対策委員会、国鉄闘争対策委員会、いのちと健康を守る対策委員会、教育推進委員会、賃金問題委員会、組織基本問題委員会、役員給与審議会の8つである。この内、社会保障対策委員会は、県社保協が結成された直後に設けられている。
補助組織という位置付けのもとに、女性部、青年部、地区協議会、民間部会がある。
埼労連は、2000年9月の第12回定期大会に運動の歴史的な到達点を土台に結成時の「運動の基本目標(行動綱領)」を改定した「埼労連運動の中期目標」を提案し、2001年1月の埼労連第23回評議員会で決定している。
そこでは、「実現をめざす中期的要求目標」として、@すべての労働者の賃金引き上げ3項目、A雇用の安定と人間らしい働くルールの確立13項目、B県民共同でとりくむ生活保障要求11項目、C憲法と平和・民主主義の擁護・発展8項目を掲げているが、Bの上位四つは社会保障関係要求である。
それの一つ目は、社会保障制度の改善、国庫負担増と自治体施策の強化、二つ目は、年金制度の改悪反対、最低保障年金の創設、三つ目は、医療保険改悪反対、健保本人10割給付の復活と高齢者・乳幼児・重度障害者医療の無料化、介護保険の制度改善と利用料の廃止、四つ目は、医療・福祉の営利化反対、公的責任による拡充と医療・福祉労働者の増員、労働条件の改善である。
また、「中期目標」は、埼労連の機能と役割について、その拡大、強化の方向を提起しているが、「国民諸階層の要求実現のための共同行動の促進」として、@埼玉大運動実行委員会、埼玉社保協、いのちと健康を守る埼玉センター、平和と民主主義を守る各共同組織など、要求・分野別の恒常的な共同組織を強化、発展させる、A情勢と要求に対応した課題別・限定的な共闘づくりを積極的に行い、共同の戦線を拡大する−の二点を明記している。
さらに「中期目標」は、運動の基調として5点を提起しているが、「対話と共同」を土台に、活力ある運動の展開では、@いつでも、すべての組合員によびかけ、職場と地域を基礎に、全員参加の運動をめざす、A要求づくりの討論と学習運動を重視して運動をすすめる、B未組織労働者をはじめ、すべての労働者の状態と要求を視野に入れて、取り組みをすすめる、C訪問・対話活動を重視し、広範な労働者・労働組合、中小企業家、自治体との対話を広げる、D女性の活動参加を促進し役員比率を高める、E青年の活動参加で、生き生きした活動をすすめる−としたものである。
埼労連が参加している恒常的な共闘組織は、埼玉県中央メーデー実行委員会、埼玉憲法会議、いのちと健康を守る埼玉センター、地労委・裁判対策協議会があり、またその他の各分野・課題別の主な共闘組織としては、消費税の廃止をめざす埼玉連絡会、子どもと教育・文化を守る埼玉県民会議、10・21全国統一行動埼玉県中央集会実行委員会、埼玉原水協などをはじめとして25組織に上っている。これらのなかで、社会保障運動との関係では、埼玉春闘共闘、県民要求実現埼玉大運動実行委員会、埼玉県社保協が基本的な共闘組織である。
わが国における社会保障運動の展開過程をたどる場合に、戦後初期からの社会保障をめぐる諸課題を憲法の生存権保障の観点から捉え、その拡充をめざして大衆運動を組織していくセンター的役割を果たしてきた中央社会保障推進協議会(中央社保協)とその都道府県組織、地域組織の存在を抜きにすることは出来ない。
中央社会保障推進協議会は、第二次世界大戦後、わが国においても労働組合運動と民主勢力の闘いのなかで、日本国憲法に基づく社会保障制度の確立が進んだが、中央社保協は、1950年代当初から連続してはじまった健康保険制度の改悪をはじめとする政府の社会保障政策に反対する運動を展開するなかで、1958年9月5日に労働組合や民主団体、政党など48団体によって結成された組織である。
結成総会のアッピールは、社会保障や社会福祉の拡充のために闘う国民的な組織をめざして諸要求の組織化、社会的世論の形成、地方自治体と国会へ向けての陳情、予算獲得、立法闘争の推進、そのための教宣活動、大衆的な討論集会、懇談会、要求大会、座込み活動を行なうことを提起し、さらに最初の「統一要求」として生活保護基準の大幅引き上げ、国民皆保険は大幅な国庫負担で推進する、社会保障の前提となる完全雇用、最低賃金制の確立など12項目を確認した。
その後、89年後半に労働戦線「再編」運動の過程で、総評の解散により社保協は存廃の危機に直面したが、中央社保協は、89年10月にアッピール「社保協運動の伝統を守りさらなる前進を」を出して、全労連など闘う労働組合運動や民主的な関係諸団体と連帯し、基本的に組織と運動を守り抜いたのであった。そして今日まで結成から40数年間、原点に立った従来通りの活動スタイルと闘い方を継承し、全都道府県と多くの地域に組織を確立し、諸活動を粘り強く進めてきた。
中央社保協は、2000年7月の第44回総会は、42年間の歴史を振り返って社保協の運動を自ら総括して、その基本的成果を「第一に日本の社会保障運動を発展させてきたこと、第二に世界人権宣言、憲法の基本理念である基本的人権、生存権思想を理論的、実践的に定着させたこと、第三に労働組合運動のなかに社会保障の要求運動を位置付けたこと、第四に労働組合と民主団体の幅広い共闘こそ社会保障改善・充実の要石であることを立証したこと」をあげるとともに、今日における任務について「あるべき社会保障について国民的な議論がおこり、運動に参加する人々も高齢者・女性など幅広い層におよび、具体的な介護の実践に参加する人々も数多く生まれている。いま重要なことはこうした運動の広がりと私たちの果たしてきた役割に確信を持って情勢を正確につかみ、引き続くたたかいの方針を確立すること」であると呼び掛けている。
中央社保協への加盟団体数は、現在87(内労働組合団体25、医療、女性、生活、患者、障害者、生協団体など15、政党1、都道府県社保協47)である。都道府県社保協傘下の地域社保協は全国250以上の自治体に結成されており、これは社保協運動史上最大の組織数である。
役員は、代表委員5名、事務局長1名、事務局次長3名、運営委員21名、会計監査2名、専門家委員1名となっている。中央社保協の組織運営は、総会、全国代表者会議、運営委員会を中心に進められ、運営委員会の下には、現在、運動上の必要から所得保障・年金部会、健康と医療部会、介護保障部会、社会福祉・子育て部会が、関係加盟団体のメンバーのよって設けられている。さらに組織・財政委員会、知識・専門者委員会もある。
中央社保協は、社会保障編集委員会を設置して社会保障関係の機関誌として『隔月刊社会保障 資料と解説』の編集、発行や関係出版物の刊行にも力を入れており、これらは社会保障運動の幹部、活動家の理論水準や政策的な能力のレベルアップ、運動経験の交流と普及に大きく寄与している。また、中央社会保障学校実行委員会を設けて、2002年で30回を迎える「社会保障学校」を開校しており、これには全国各地から毎回、多数の社会保障運動関係者が参加し社会保障運動の発展にとって極めて重要性をもつ運動となっている。因みに2000年の29回の学校内容は、以下の通りでる。
講座は、「21世紀の労働運動と社会保障」、「住民運動の歴史から学び共同の力で21世紀の地域と自治体をひらく」「新自由主義への対抗としての福祉国家論」。自由選択講座は、「介護保険実施後の現状と今後の課題」、「医療改悪を考える−医療保険の基礎知識から運動まで」、「社会福祉基礎構造改革」、「シンポジューム・21世紀をめざし地域社保協をどう発展させるか」などである。
中央社保協は、社会保障学校の外に、重要な地方、地域に共通的な社会保障問題に対する運動経験や現状を全国的に交流する機会−国民保険問題や介護保険問題などで開催している。
埼労連は、89年11月の結成総会が採択した「運動の基本目標(行動綱領)」において「国民諸階層の要求実現のための埼玉における共同行動の推進」を設定し、社会保障制度の拡充、大型間接税反対など国民的諸要求を実現していくために、多くの労働組合・民主団体と共同のたたかいをすすめることを確認していた。埼労連は、91年12月に春闘共闘を結成したが、92春闘における三大重点課題の一つとして、社会保障要求での統一闘争を提起し、春闘共闘、医療共同(「国民医療を守る共同行動埼玉県実行委員会」)、福祉共同(「暮らしと福祉を守る共同行動委員会」)の三つの共闘組織の共同によって県、国への「世直し共同署名」を展開した。その内容は、繰り返し、民主的に討議を重ねて確認したもので、老人医療の無料化復活、健保本人の10割給付復活、医療・福祉の充実と関係労働者の増員、国保料の引下げ、国保・健保への国・県の補助改善、年金制度の改善などである。この署名運動は、10万人分を超える成果を収めた。
3月に開催された社会保障討論集会には多くの団体が参加し、そのなかで討論を通して社会保障運動の共同による取り組みの展望や意義について共通の認識が広がった。この運動の関係団体の総括において、埼玉における恒常的な社会保障闘争を推進する組織と体制の必要性が強調され、今後の共同の取り組みについて協議していくことが申し合わされたのであった。
92年10月から12月にかけて埼玉県社会保障推進協議会設立に向けた関係団体の懇談会を何回か開催し、11団体による「準備会結成のよびかけ」を出して、93年2月に準備会をスタ−トさせた。
準備会は、2月に「社会保障討論集会」を開催して、憲法にもとづく権利としての社会保障の確立・拡充に向けた共同の運動についての合意を広げ、4月には「社会保障推進協議会設立のよびかけ」を広範な諸団体に発した。それだけでなく、6月には3日間に県内60の市町村に社会保障の拡充を求める要請行動を地域連鎖行動として実施し、この行動には地域から660人以上参加、地域レベルの共同行動の起点となった。これがその後の県社保協による自治体キャラバンの最初のスタ−トとなった。
これらの成果のうえに立って93年6月24日に、県内の社会福祉・社会保障・保健衛生などの運動に関わる32の労働組合・団体によって全国7番目の「埼玉県社会保障推進協議会」(県社保協)が結成され、こうして埼玉県における本格的な共同の社会保障拡充に向けて今日に至る運動がスタ−トすることになったのである。
埼労連は、県社保協の結成について、第一にローカルセンターとしての埼労連が中心的な役割を果たしてこそ、社保協をはじめ共同の体制づくりが可能となったこと、第二に「憲法にもとづく権利としての社会保障の確立」を前面に押し出すことによって社会保障各分野の団体・個人の幅広い連帯・共同のエネルギ−を結集できたこと、第三に国の社会保障問題も地域社会の問題として論議され、それらを大衆的な運動として広げていく可能性が見えてきたことなどを教訓とした。
県社保協は、結成当日、県民に対して「年金・医療・福祉などそれぞれの分野で、切実な要求を背景に積み上げられてきた県内の諸運動を、今日までの分野別・課題別の運動の段階から、系統的で統一的な国民的な運動の規模に発展させるために、先ず県内に、権利としての社会保障の確立をめざす広範な世論と大きな運動の流れをつくっていくことをめざして『社会保障・社会福祉の拡充を求める運動を系統的にすすめる埼玉のセンター=埼玉県社会保障推進協議会』を結成をアッピールした。
県社保協は、結成と同時に中央社保協に加盟し、今日まで中央社保協運動の一翼を担って9年の歴史を重ねてきているが、現在の加盟団体は、オブザバー扱いの地域社保協結成準備会を含めて50団体である。
県社保協の体制は、決議機関としての総会、執行機関としての運営委員会、そのもとに常任委員会、必要に応じて設けられる専門部会、政策委員会、日常業務遂行の事務局が置かれ、役員は会長1名、副会長7名、事務局長1名、事務局次長2名、会計監査2名、運営委員50名(各加盟団体から1名選出)となっている。
この機構のもとに、常任委員会18名、事務局10名が置かれ、また部会として各6名程度で構成される福祉部会、医療部会、年金部会、住宅部会が設けられている。
県社保協は、すでにその結成経過で見たように、埼労連の積極的なイニシアティーブのもとに成立したとはいえ、「世直し共同署名」の要求内容一つとっても関係団体間で慎重に、時間をかけて民主的に協議を重ねて、分かりやすいものを仕上げてきたこの姿勢、活動スタイルを基調に堅持して組織の運営が行なわれている。
大きな団体、組織が要求や運動課題、運動の進め方を持ち込み、それを押しつけるという方法は一切とられず、県社保協の内部での議論を民主的に積み重ねて全体の合意を形成して正式に決定していることである。これが県社保協の団結と運営を保障し、統一した運動の活力を生み出しているといえよう。
県社保協は、1994年10月から機関紙『埼玉社保協ニュース』を月1回程度発行して県内の社会保障運動の動向や経験、全国的な社会保障問題の主な動向を伝えているが、1998年3月から『埼玉のくらしと社会保障』に改題、拡充して発行を続けている。
県社保協加盟の地域の社会保障協議会は、地域名を冠した「社会保障推進協議会」と「社会保障をよくする会」と二通りあるが、県社保協結成後最初につくられたのは、96年12月の秩父社会保障協議会、97年1月の所沢市社会保障推進協議会が介護保険法の成立前の段階である。その後、埼労連や県社保協が介護保険制度改善運動に本格的に取り組み、それが着実に前進していく過程で、98年に上尾市(よくする会)、三郷市(社保協)、川口市(社保協)、入間市(よくする会)、99年に浦和市(社保協)、新座市(社保協)、大井町(よくする会)、2000年に狭山市(よくする会)、春日部市(よくする会)、鳩ケ谷市(よくする会)、大宮市(よくする会)、2002年に朝霞市(社保協)、岩槻市(社保協)が結成されている。準備会が発足しているのが、坂戸市、日高市、蓮田市の三つである。これらの準備会はオブザーバーとして県社保協に加盟している。飯能市の「よくする会」の発足年月日は不明。
埼労連の前身は、埼玉統一労組懇で、80年1月30日に結成され、その9月に「軍事費を削ってくらしと福祉・教育の充実を」国民大運動実行委員会の結成を提唱した。その結果、国家予算の組み替えを要求する統一した全国的な国民運動の県内での推進力として、11月に26団体で発足した。そしてまもなく県民生活に関わる115項目の対県要求を提出し、県当局との集団交渉も行い、その後も埼玉県内の政治、経済、社会などあらゆる分野の国民生活と平和、人権、民主主義を守る中心的な共闘組織として要の役割を果たすとともに、社会保障問題をはじめ個別課題毎に結成された各種の共闘運動とも協力、共同した運動を継続的に展開してきた。
埼玉県における社会保障運動のセンターである県社保協が責任をもって独自に組織し、加盟組織を中心に関係団体、個人に呼びかけて実施している規模の大きな基本的な活動は、結成以来、毎年開催、実施している社会保障学校と自治体キャラバンの二つである。
中央社保協が結成以来、30回近い中央社会保障学校を開催していることについては、先に触れたが、県社保協は、結成の年の9月に2日間、第1回埼玉社会保障学校(24団体、142名参加)を開き、社会保障をめぐる情勢と問題意識を共通のものにし、医療・年金・自治体運動のそれぞれの課題を学習している。県社保協は社会保障学校を「社会保障の入門的講座と情勢や政策について力量を付けていくための講座」として位置付けて以後今日まで毎年開催している。そのプランは都度実行委員会を設けて検討されているが、「自治体要求などの地域で運動を進める実践講座として生きるもの」が設定されている。参加者数は、毎回加盟団体から平均して120〜140名程度である。
この社会保障学校と平行して、95年以来、社会保障の課題にテーマを設定して掘り下げた学習、討論を行なうための「社会保障セミナー」も50〜60人程度集めて、毎年2〜3回開催している。これまでのテーマは、「住まいは人権−居住権思想」、「県政とくらし」、「医療保険制度改革を斬る」、「年金改革・5つの選択肢問題」、「社会福祉の基礎構造改革」、「介護保険と地域運動」などである。
大衆運動を発展、強化し、その持てる主体的力量を有効に発揮させるためには、運動を担うメンバーに対する学習による理論的、政策的な能力を高め、自らの運動に対する確信を抱かせることが非常に重要であることは常に強調されることである。歴史の長い中央社保協にしても、まだ歴史の浅い埼玉県社保協にしてもそのスタ−トからそれぞれの運動を発展させ、要求課題の解決の力量を高めるために学習運動を、持続的系統的に計画、実施していることが、両組織の太いバックボ−ンを築いてきたのではないか。社会保障・社会福祉問題の本質的な意義と役割は、日常的な経験のなかから自然に身につくものではなく、複雑に構成され、分かりにくい現実の社会保障や社会福祉の仕組みえをも学ぶことによって初めて理解できるものである。
先にこの「全県自治体キャラバン」が93年6月の県社保協結成の準備過程で計画され、実施されたものであることを記したが、正式には94年から県社保協が全体の実施プランを作成準備し、埼労連を中心に関係団体がそれぞれの地域でのキャラバンの具体的実施に協力するという方法で今日まで継続されてきているものである。
「全県自治体キャラバン」は、どのように準備されるのか。キャラバン行動の前段では、要求づくりとして県段階の団体代表による統一要求書づくりの意見交換会、県内10前後の地域ブロックで地域集会でのそれぞれの地域要求の出し合いを行い、全県的な問題は統一要求書に盛り込むようにする。
前段の地域集会は、4月段階に開催され、そこでは統一要請書の内容や行動内容などについて意思統一がなされて、92の自治体に対する訪問日程は予め各自治体に通知されることになっている。「全県自治体キャラバン」は、例年5月に取り組まれる1コース3自治体で32コース、1日に5〜6コースに分かれ、6日間で全市町村を訪問する。県社保協の要請団は4〜5人で構成されるが、それぞれのコースには、当該の地域から社保協傘下の団体にかかわる人たちが参加する。都市部では、50〜60人の要請団に膨れる。地域の責任者は、埼労連傘下の地域労連や地域社保協が担い、全体ではのべ200人近い人たちが、キャラバン行動に参加してくる。
要請団は事前に送付した全県統一の要請書にもとづき、その時々の情勢に対応したテ−に絞って、自治体と意見交換を行なうが、具体的な要求課題での交渉は中心課題ではなく「自治体へ統一的に要請する項目を通じて、自治体の動向・意向を聞き出し、捉えていく取り組み」としている。話し合いの場で取り上げなかった項目を含め、7月頃までには全市町村から回答書がとどくことになっている。
「全県自治体キャラバン」のなかで浮かび上がった課題などについては、夏から秋にかけて開催される県社保協主催の地域運動交流集会や社会保障学校の場などで地域の運動を担う人たちとデスカッションが行なわれる。秋には地域ごとに各市町村での地域社保協や地域労連などの自治体交渉が展開され、全市町村の回答書は冊子になって社保協傘下の団体や地域の運動体に届けられ、また訪問した各市町村に送付される。2002年で9回目を迎える「全県自治体キャラバン」は、埼玉県における社会保障運動の前進にとって大きな成果を上げているといってよいが、埼労連は、98年9月の第10回定期大会で、キャラバン行動が地域での共同を進めるテコになっているとし、これだけの規模の運動を成功させたものは、地域住民の要求の強さ、それぞれの分野の共同の運動であり、そして労働組合の組織性の発揮であると評価した。
県社保協のリーダーとしてこの運動を企画、指導した原富悟氏は、キャラバン行動がその展開のなかで生みだす新たな関係運動の広がりという前進について、キャラバン行動を通じて結びついた人たちが独自の地域運動をはじめ、地域社保協や「介護を良くする会」などの組織をつくりはじめる。県の統一的な運動がつなぎ役になっていることから、個別の「ものとり」的な要求運動を越え、要求と運動は一定の系統性をもったものへ発展する。それが福祉の要求運動にとりくんでいた既存の運動体や市民と結びつき、自治体への影響力を広げていくとその重要な発展を指摘している。注目すべき点である。
埼労連は、結成と同時に埼労連未加盟の中立・無所属組合に国民春闘再構築埼玉県共闘会議(埼玉春闘共闘)結成をよびかけ、90年1月に結成された。その3月に7000人を結集した「90国民春闘勝利、いのちと暮らしを守る3・25埼玉大集会」から毎年春にこの規模の大集会を成功させ、そのなかで対県交渉を行なうなど県民要求実現のためにたたかい県民の期待に大きくこたえる闘いを展開してきた。こうしたなかで、埼玉春闘共闘は、94年2月に前年結成された県社保協と共催で「年金・医療・保育の改悪許すな、94国民春闘、社会保障充実をめざす2・9県民集会」を開催した。以降、毎年春闘段階で社会保障運動の課題をテ−マとする県民集会(社会保障集会)を設定し、労働組合運動が社会保障闘争の先頭に立つことを実践して今日にいたっている。これは、埼玉県の労働組合運動では、社会保障運動を自らの重要な課題として自覚的に位置付けられていることを示している。
埼労連は、92年秋に新たに民主的諸団体に時限的な共闘組織として「秋の共同行動」の結成をよびかけ、中央の国民大集会に参加していく埼玉県の受け皿組織として、また共同の県政要求行動をまとめる組織として10月9日に「92秋の大行動実行委員会」を結成した。
実行委員会は、県民の切実な要求を背景に、積極的な県政要求をよびかけるとともに知事に対して共同要求書を提出した。その後、93年春に「92秋の大行動実行委員会」を「県民要求実現埼玉大運動実行委員会」(県民大運動実行委員会)と名称を改め、春闘共闘会議と共同の企画委員会を結成して「3・28県民大集会」を開催し、6000人の大集会として成功させた。そして93年6月に県社保協が結成されて福祉・社会保障拡充の共同の運動が発展し、その秋に社保協と共同で大規模な県政要求行動を実施した。
「県民要求実現埼玉大運動実行委員会」(「埼玉大運動実行委員会」)は、94年9月にこうした情勢と運動の発展に対応して、諸分野の運動と連携し調整をはかりつつ、全国的な運動(「軍事費を削ってくらしと福祉・教育の充実を、国民大運動実行委員会」)に結集して運動の継続と組織の発展をはかる恒常的な組織として運営していくことを申し合わせ、その後の運動を準備し、推進していった。94年9月のスタ−ト時点での構成団体は26団体、協賛団体12団体であった。なお、統一労組懇時代の「国民大運動埼玉実行委員会」は、「県民要求実現埼玉大運動実行委員会」の結成に際して、「国民大運動埼玉実行委員会」に参加していた諸団体の了解のもとに解散措置がとられた。「埼玉大運動実行委員会」は、埼労連の中心的な役割が発揮されるなかで、5000人規模の県民大集会を開催、成功させたが、その後は、引き続き体制を整備し、「県民要求実現埼玉大運動実行委員会」、「県社保協」の共同による切実な県民要求の実現と暮らしや福祉の後退を許さないという立場からの県政要求行動と県交渉の取り組みとして毎年継続的、系統的に行なわれて今日に至っている。
94年11月10日に県民要求実現埼玉大運動実行委員会と県社保協、「くらしと福祉、地方自治を守る埼玉共同行動」の三団体がよびかけた「94・秋の共同の県要請行動」が行なわれている。当日は、予め県に提出されていた埼玉大運動実行委員会名の「埼玉県政に対する要望」(20団体31名参加)、埼玉大運動実行委員会と埼玉商団連、埼労連名の「県民のくらしを守る不況対策と労働・雇用問題についての要望」(7団体30人参加)、県社保協名の「県民の医療問題に関する要望書」(18団体40名参加)、くらしと福祉、地方自治を守る埼玉共同行動名の「くらしと福祉、地方自治を充実させるための95年度県予算に対する要望書」(12団体250名参加)をめぐる要請行動がそれぞれ約3時間にわたって展開された。昼休み時間に県庁内で開かれた打ち合せ集会に300人が集まり、それを含めると全体で500人が参加する画期的なものとなった。県に提出された要請書は、それまでの全県自治体キャラバンなどでの懇談や回答書の内容を分析して作成されており、それは運動を年間を通して系統的に進めていく点でも新たな前進を示すものと評価された。
97年秋の県政要求行動からは、埼玉大運動実行委員会が「埼玉県政に対する要望書」を一括提出し、「県民の医療・保健・福祉各施策の充実を求める県への要望」は、県社保協と埼玉大運動実行委員会が連名で提出するように変更されている。
埼玉県の以上のような社会保障運動に協力し、恒常的に共同の関係を確立している政党は、他県とほぼ同様に日本共産党だけである。日本共産党は県社保協の加盟団体の一つであり、運営委員会のメンバーとして他団体と同様の役割を果たしている。
日本共産党は埼玉大運動実行委員会の構成団体ではなく、協賛団体となっているが、これは特定のイデオロギーを基礎とする政党、政派と要求実現を基礎とする大衆団体との性格の相違を考慮して、より幅広い団結、連帯の形成をめざすところから合意されたものではないかと思われる。しかし、日本共産党とその所属議員は、政党の果たすべき役割を自覚して、社会保障運動にもきわめて積極的で、全県自治体キャラバン、社会保障学校、県政要求行動、個々の自治体における要求交渉、請願採択、中央行動時の県社保協が計画した対政府交渉、その他に全力を挙げて協力しており、それらが県社保協、県政要求行動の前進、発展に大きく寄与している。日本共産党は、夏に9月議会に向けて全県議員団会議を開催して自治体キャラバンや社会保障学校などの状況を踏まえて社会保障問題への討論を行なっているという。
原富悟氏は、「社保協の運動に日本共産党の地方議員が積極的にかかわってきたことも力になった。大衆運動の側が前面に出た運動の中で、地方議員は、大衆運動に参加する人たちと一緒になって学び討論し、行政との接点として機能し、議会での論戦力を高めた」と評価し、菅澤秀幸氏も『議会と自治体』2001年4月号の報告で、自治体議会における共産党議員団の目立った活躍を高く評価して、埼玉県の介護保険制度改善の住民運動と市町村、県、国会の各級レベルでの共産党議員団との連携の強さが大きな強みとしている。
埼労連に結集した多くの労働組合は、統一労組懇時代から社会保障問題を含めて全国的な共通、統一課題に対する取り組みにおいては、首都東京の隣県という地理的位置から各種の大衆行動に人的動員をはじめ積極的に参加し、また県社保協誕生以降の首都での社会保障運動に埼労連と協力して力量相応の対応を行なっている。このような運動への参加、協力が社会保障問題の動向や運動の状況を正確に早く把握することを可能にし、それが埼玉県における運動の有効な組織化や展開に役立っているとされている。今日の埼玉県における社会保障運動は、以上のように年間を通して大きく途切れることなく職場、地域から県政、国政レベルまで継続され、そのなかで高い理論、政策、運動面での能力を総合的に身につけてきているといえよう。
わが国における介護保険構想の登場の経過などは省略して、政府の介護保険法案の国会提出から1997年の介護保険法の成立までの国会審議の流れと社会保障運動、労働組合運動のそれへの対応状況、そうしたなかでの成立した介護保険法の基本的な内容や国会付帯決議などについて簡潔に記しておくことにする。
96年6月、厚生省は介護保険制度案大綱を作成し、老人保健福祉審議会と社会保障制度審議会に諮問し、両審議会とも大筋で了承の答申を出したが、その後も政府・与党内や関係団体間での調整に手間取り、また厚生省幹部の特別養護老人ホ−ムを舞台とした大規模な汚職事件が発覚し、国民の厚生省への不信が渦巻くことになった。
11月29日にやっと介護保険法案が閣議決定し、同日召集された臨時国会に提出された。しかし、臨時国会は間もなく会期終了で閉会となり、97年の通常国会における継続審議となった。1月召集の通常国会で介護保険法案の審議がはじまり、5月22日に衆議院を通過した。この段階で、@市町村介護保険事業計画への被保険者の意見の反映、(第117条5項)、A制度施行後の推移や状況の変化を踏まえて、制度全般について施行後5年後に必要な見直しを行なう(付則2〜5条)ことの二点の修正が行なわれた。また、政府に対して新ゴールドプランの確実な達成をはかることを要請するなど16項目に及ぶ付帯決議が付けられた。野党の民主党、社民党は両党が与党時代にまとめた法案のため支持に回ったが、野党で法案批判の立場から介護保険制度の抜本的な見直しを求め、保険料徴収の延期やサ−ビスの利用料減免などの緊急対策を打ち出し、国会質問でも問題点を指摘していたのは日本共産党であった。
しかし、参議院での審議は健康保険法改正案と審議日程が重なったため、十分な審議時間がとれず、再び秋の臨時国会への継続審議となった。そして9月にはじまった国会で参議院から審議が開始され、12月3日、参議院本会議で一部修正(第5条の国のサービス整備責任の明記)のうえ可決され、再び衆議院に戻されて12月9日、介護保険法は可決、成立した。これにより2000年4月からの介護保険制度の実施が確定した。成立にあたって19の付帯決議が付せられ、参院本会議では「保険あって介護なし」とならないように介護サ−ビスの基盤整備の推進を政府に求める異例の決議が採択された。
中央社保協は、政府サイドが検討している介護保険構想が明らかになると、95年1月頃から医療保険改悪問題と関連させて介護保険問題についての検討会、シンポジュ−ム、学習会、討論集会を中央、地方で開催し、介護保険制度の創設が必然的に社会福祉の「措置費」の廃止縮小、医療保険制度の充実のための適正な医療費供給の縮小に連動するとして反対の姿勢を明確にした。
また、中央社保協の中心組織である全労連は、当時同じく「95年社会保障討論集会」を開き、介護保険問題を社会保障運動の重点課題として位置付け、社会保険方式の政府案に反対し、白紙撤回させ、国と財界の負担による「高齢者の医療、福祉、介護保障の確立」をめざして21世紀までの5年間に国民的な論議を進めるべきだと提起した。
社保協と全労連は相互に協力して、こうした基本的立場から、その後96年6月にまとめられた介護保険制度の政府案大綱に対しても中央、地方での署名運動、地方自治体での決議採択、各県での自治体キャラバン宣伝活動、一般市民向けチラシ配布、さらに介護問題シンポジュ−ム、「社会保障意識調査」の実施、介護保険構想批判中央討論集会、政府の構想と医療制度改悪反対決起集会、厚生省前座込み、交渉、国会議員への要請行動、「介護保険110番」運動など多様な取り組みを精力的に行なった。
因みに、社会保障運動団体と協力関係を持たない連合は、公的介護保障の一日も早い充実をめざすとしながら、介護保険制度の容認を前提として政府案の修正、充実に重点を置き、制度創設を促進する方向で運動を展開した。
埼労連と県社保協は、全労連、中央社保協の運動の一翼を積極的に担い、95年秋から開始された政府の介護保険構想の撤回を求め社会保障の拡充を要求する共同署名運動、大規模な宣伝活動、学習会の開催、中央の社会保障集会への1000人動員、県社保協独自の医療・介護問題での厚生省交渉、県民大集会、全県キャラバン行動などを持続的に行なって中央レベルの運動を支えたのである。
介護保険法案は、先に見たように通常国会では継続審議となり、秋の臨時国会で成立することになったが、この過程で全労連、社保協などの労働組合間、大衆団体内部では政府案の「保険」方式をどう評価するか、それを基本的に受け入れ、可能な限り国民の利益に適うよう修正させて実現させるべきという意見、介護保障制度は保険方式ではなくあくまでも公費(租税)による措置制度を拡大していくことによって実現させるべきという意見、このような介護制度をめぐる根本的な原理に関わる点での見解の相違とそこからくる不協和音が生じていた。このことが影響を及ぼした関係で、全労連、社保協などの取り組みは統一的な運動としてはあまり大きな高まりをつくることが出来ないでいた。
中央社保協は、97年4月の法案審議が一定の進展をみせ「保険あって介護なし」の問題がさらに明らかにされてきた段階で全国代表者会議の基調報告で「法案についての抜本的見直しについての取り組みが求められている」とした。中央社保協の加盟団体である日本共産党も国会審議での姿勢は、政府案に批判の態度を一貫して堅持していたが、介護保険制度そのものについては「国民的大事業」と評価し、内容の改善、拡充を求めていく態度であった。
成立した介護保険法のポイントは要約すると以下の通りである。
介護保険制度の仕組み
*65歳以上の第1号被保険者からは年金からの保険料の天引きか、市町村が普通徴収する
*40歳から64歳までの第2号被保険者の保険料は原則として労使折半で、医療保険に上乗せして徴収し、納付金として一括徴収する
*第2号被保険者は初老期痴呆など加齢に伴う「特定疾病」で要介護の状態となったことが適用の条件とされる
*利用者負担は給付費用の1割りの定率で、在宅サ−ビスの提供主体には民間の営利法人も参入できる
その後99年に要介護認定の申請受け付けの開始、11月政府の介護保険特別対策決定、2000年2月に介護報酬と支払い限度額の告示等が行なわれ、そして4月正式に施行となり、10月第一号被保険者からの保険料徴収が開始されて(2000年4月から半年間は徴収凍結、同10月から2001年9月まで半額減免、同年10月からは全額徴収)となって今日に至っている。
しかし、こうしたなかで、多くの問題点が指摘された。たとえば、保険料負担、利用者負担が低年金、低所得の人ほど重くなっていること、保険料を強制徴収する一方で、介護サ−ビスの基盤整備が不十分で「保険あって介護なし」の状態が確実なこと、要介護認定など煩瑣な手続きがあり、医療保険のように保険証一枚で手軽にサービスが利用できるわけではないことなどである。
介護サービス費用の1割の利用者負担についても、市町村の判断で利用料の負担が軽減される時限措置が導入された。一つは、低所得者の訪問介護(ホームヘルプサービス)を対象にしたもので、2000年度から2002年度までの3年間は利用者負担が3%に軽減し、その後、段階的に引き上げられ、2005年度から本来の負担割合の1割になる(障害者で訪問介護を利用してきた低所得者の負担割合は、2000年度から2004年度までの5年間は3%に軽減される)。もう一つは、社会福祉法人が行なう介護サ−ビスの利用料負担を原則として2分の1減免するという措置である。
以上に見たような経過のなかで、介護保険制度が政府・厚生省の政策通り成立すると、中央社保協と全労連は、引き続き運動を地方を中心とする介護保険制度の改善運動へ方向を転換させて新たな取り組みを開始したのである。
介護保険法の成立という新たな情勢を受けて、労働組合運動と社保協運動も、2000年4月の施行に向けて、可能な限り環境、条件の整備、問題点の解消に全力をあげて取り組む方針を提起し、真の介護保障の確立をめざす運動がふたたび全国的に統一した運動として進められていくことになったのである。
中央社保協は、介護保険法の成立必至という情勢のもとで開催された1997年の第42回総会は、政府案は廃案に追込み、国民が安心して利用できる介護保障制度の実現をめざすために署名運動、国会傍聴、議員要請活動のさらなる強化とともに、「国民の切実な地域住民の介護要求や実現のために自治体闘争を強化し、そのために地域の介護要求の実態把握、自治体の介護対策、施策を調査し、老人ホ−ムやデーサービスセンタ−の建設、ヘルパ−増員などの介護基盤づくりを要求する」こと、「また介護保険法が実施された場合は、@認定申請受理、生活実態調査、認定審査会、ケアプラン作成、介護サービス提供などに自治体が責任をもっておこなうことA現在実施されている自治体の高齢者福祉施策の後退がされないことBヘルパーの増員の身分保障の確立C法案成立にともなう医療、福祉、公衆衛生などにもたらす影響、問題点の整理と対策に取り組むこと。また介護保険法の学習会を開催する」との取り組み方向を提起した。
また、全労連は、その後98年の運動方針で、「社会保障拡充など国民生活擁護のたたかい」の「重視すべき課題と基本的な要求」として「ヘルパ−の大幅増員、老人ホ−ムの増設など介護サ−ビス基盤の整備を国の責任でおこなうこと。介護保険料の負担軽減、医療・福祉・介護関係労働者の大幅増員と労働条件改善、自治体の福祉施策の充実、改善をめざす」という制度改善要求の基本を確認した。こうして中央、地方の全労連運動と社保協運動の協力関係による介護保険制度改善の粘り強い運動が、自治体を巻き込こんで、地域住民とともに各地で進められていくことになるのである。
埼労連は、97年の介護保険法の国会審議が進められている過程では、県社保協と協力して介護保険法の抜本改正と介護保障の早期確立の中央段階の要求実現のための運動の一翼を担うとともに、県内での「高齢者保健福祉計画」の目標引き上げと早期のサービス体制拡充をめざす方向を提起し、各団体・労組の県交渉や地域での市町村への要求行動を積み上げ、県段階の合同の要求行動に効果的につなげていく必要性を強調していた。
介護保険法が成立し、2000年4月の実施にむけて、施行の準備がはじまっている98年9月段階で、埼労連は、第10回定期大会を開き、採択した運動方針において、市町村との懇談とアンケート調査等から介護基盤整備が急務でこれまでの市町村の施策の水準を下げさせないこと、利用料や保険料の負担軽減と低所得者対策、要介護認定の透明性と公正の確保など具体化にあたって問題が山積しているとして、@介護保険の実施にむけた各自治体の事業計画づくりへの要求運動を積極的に展開し、充実した公的介護の実施と介護保険法の修正・改善をめざす。A地域の共同のシンポジュームや学習会に取り組み、広範な諸団体にはたらきかけ、運動の輪を大きく広げる。B自治体の介護施策の拡充要求、国への意見書提出要求の2つの地方議会請願運動に取り組むという方針を改めて明確にした。
県社保協は、97年12月の第6回総会は、上尾市における医療保険問題から介護保険問題へ、市民参加でより良い制度をめざす共同の取り組みを発展させたことをはじめ社会保障、社会福祉の分野でのみんなの共同の営みが弛まずに前進してきたこと、この前進にたって引き続きそれぞれの闘いをつなぎ、共同の力をさらに発揮していくことを確認しあったが、98年12月の第7回総会では、5年間の県社保協運動の前進面の特徴を明らかにしながら、「介護保険をめぐるとりくみと地域社保協づくり、地域運動の発展」について、以下のように総括した。
「98年のとりくみの中で、特筆されることの一つは介護保険をめぐる地域の共同のとりくみでした。シンポジュ−ムや地域的な学習会を繰り返し、医療保険の改悪に反対する地域の共同の広がりから地域社保協をつくり、医師や老人会の役員、民生委員など多くの地域住民を結集して、市議会の力関係を変え、医療問題と介護保険事業計画づくりにかかわる優れた議会決議を勝ち取り、労組と諸団体が力をあわせて元気に地域運動を発展させている上尾のとりくみをはじめ、各地で教訓的なとりくみが展開され、運動を前進させています。…社保協運動が、具体的な草の根の生活要求を基礎としつつ自治体を変えて社会保障制度の改善をめざしていることが目にみえた形で住民の前に立ち現われている。…全県的な地域運動の広がりは、自治体要求運動や介護保険での自治体との懇談が網の目のようにとりくまれ、介護保険事業計画策定委員の公募の委員が社保協運動と結んで学びながら活動している状況にも現われている」として、さらに地域運動の前進と地域社保協づくりが21世紀の社会保障の在り方を大きく変える可能性のカギを握っているとしていた。
以下、埼労連と県社保協が93年6月の結成以来、埼玉県における社会保障拡充の闘い、とくに介護保険制度改善運動をどのような姿勢で取り組み、発展させてきたかをみておこう。それは一言でいえば、民主主義の徹底、つまり「対話・共同」による合意の形成と誠実な実践といえよう。95年9月に開催された第3回埼玉社会保障学校で、埼労連の原富 悟事務局長が当時、県社保協事務局長として「この秋、地域運動をどう前進させるか」という問題提起の講義を行なっているが、基本姿勢を分かりやすく明らかにしている。
原富氏は、埼労連運動と県社保協運動の経験から、@共同で学び合い、お互いの運動を知り合うことを通じて、共同行動、統一行動を発展させる力にしていくこと、A地域での共同の運動をつくっていくために知恵を出し合うことが大切であること、Bそして共同の要求運動の力量を付けるには、自治体の役割と行政処理の進め方や地域の実態等を正確に掴むことが必要であること、Cさらに要求課題によっては自治体を味方につけるという問題意識をもつことと共同による要求づくりの調査では、特別養護老人ホーム訪問の体験運動、地域の福祉マップづくりへの挑戦も有意義であること、Dこうして掴んだ実情から要求を組み立て、市に対する要求行動を出来るだけ大勢で共同して行い、請負の交渉ではなく生の交渉をやることを考えること、E行政に対してだけなく議員に対する説明、議会への請願など両面の取り組みが必要であること、F地域での世論づくりの行動としての大規模な宣伝活動、学習交流集会などを企画することも必要であるいった諸点を提起した。原富氏は、また地域における医療とか福祉とか年金とか社会保障に関わる各種の要求運動の共同を作る時に、お互いに系統的に運動を保障し合う関係として地域社保協のつなぐ役割は大切であり、地域社保協づくりにはとくに労働組合、なかでも地域労連、自治労連が先頭に立つことが大事であるとしている。
そして最後に、「社会保障は難しくて政策的によく判らないという苦手意識を持たないで、とにかく皆の要求を集めてまとめてみようということが出来れば、運動は出発できる。それが政策的に深まるかどうかは運動の前進次第だ、判らないところから始めるというのが運動の出発点だということを、お互いに押さえれば良いのではないかとしているのである。 県社保協の菅澤秀幸事務局長も基本的にこうした考え方で運動を指導しており、私達が今回の調査で面会し、運動の現状や問題点などを話し合った社会保障運動を地域や労働組合で担当している幹部、活動家は、こうした点をしっかりと自覚的に受けとめ、忠実に実践しており、このような基本的姿勢が埼労連と県社保協の運動内部に定着化していることを実感した。介護保険制度改善運動が埼玉県内各地で幅広い共同の運動として発展し、現実的に要求が実現されて、そのなかから恒常的な運動体としての地域社保協が結成されるという大きな成果は、また、地域における共同の運動に参加した労働組合自身の従来の古い体質や活動スタイルをも大きく改善させていることの反映、結果と見ることが出来るであろう。
県社保協は、社会保障闘争を重視して共同の闘いを追求した統一労組懇の歴史を継承した埼労連の積極的なイニシァテイブによって結成されたが、その際も関係団体との時間をかけた準備を慎重に積み重ね、例えば社会保障要求の内容を盛り込んだ署名用紙の作成についてもそれぞれの意見を持ち寄り、一致するまで何度でも繰り返し、その過程で社保協結成の気運を醸成させて、消極論を必要論に変えて結成まで漕ぎ着けたという。決して県社保協の結成を提起した埼労連としても、強引に結成方向へ引っ張るということは行なっていない。
この結成当初の民主的な運営、運動姿勢は今日まで一貫して厳格に守り、実際に運動を組織するに当たっては、要求や政策づくりも、運動の組織化やその方法などすべての課題について、丁寧に議論を重ねながら合意点を模索し、追求して一つ一つを決定するという方法をとっている。社会保障関係の諸問題は、その専門の運動団体である社保協が結成されている場合は、その内部での徹底した議論を優先することが必要で、労働組合や政党などが自分の所で先に論議をし、一定の結論を出して、それを持ち込んで理解、支持を求めるということは避けるべきだ、というのは例えば労働組合の論議などはどうしても視野の狭い職場や地域の現実から離れた観念的な議論になりやすく、多様な現実を見ている他の社会保障・社会福祉団体の理解を得るのが難しくなるからだというのが県社保協関係者の考え方である。
埼労連も県社保協も、社会保障運動では、多くの労働者や一般市民に分かりやすい要求をどう設定するかをめぐる議論を深めることが必要であること。実際の運動を進めていく場合、あくまでも要求を大切にし、それに依拠して要求実現に広範なエネルギーを結集することの出来る相応しい柔軟な運動形態や方法を追及することが必要であること。介護保険制度をはじめ自治体に向けた社会保障、社会福祉の運動において、今日とくに留意しなければならにことは、従来よく見られた自治体に対する抗議・対決型の対応、運動ではなく、不明点、問題点を質し、解決方向・解決策を提起していく提案型の運動を推進する必要があること−こうしたことが最大限留意されなければならないとしている。
埼労連は、社保協内部で十分に議論した結果決定された要求、政策、運動については、労働組合としてそれらを守り、実践の先頭に立ちという姿勢で、埼労連の社会保障対策委員会(県社保協結成の頃、内部に設けられている)において、その具体化について検討し、機関会議への提案を準備して、そこで確認、決定された場合は、加盟組織に通達して、責任をもって実践している。
因みに、原富悟氏は、国立宇部工業高専卒、技術者としての民間企業勤務を経て80年に埼玉土建事務局に入り、埼玉土建大宮支部書記長、埼労連の結成と同時に事務局次長に就任、93年県社保協結成で事務局長、99年には埼労連事務局長と県社保協副会長に就任した経歴を持ち、労働組合運動と社会保障運動をいかに有機的に結合し、労働組合運動のもつ組織的力量を社会保障拡充の闘いに有効に発揮させるかを多くの運動の経験を基礎に追求してきている。
菅澤秀幸氏は、明治学院大学卒、埼玉県社会福祉協議会の勤務を経て、埼玉民医連から県社保協結成に参加し、原富事務局長のもとで事務局次長を努め、99年原富氏の埼労連事務局長就任に伴い、後任の専従事務局長に就任した社会保障、社会福祉問題のベテランリーダーである。
原富、菅澤両氏とも埼玉県の社会保障闘争の歴史、状況、問題点を熟知している運動推進の車の両輪的存在で、1社会保障運動と労働組合運動における人材の養成、幅広い新たな社会的関係の形成、二つの運動の緊密な関係による地域に根付いた社会的労働運動の着実な発展に果たしている役割は相当大きなものがあると思われる。
介護保険制度の実施主体である自治体に対する改善要求をまとめるために、最も基本的なやり方として個別的な聞き取り、アンケート調査、県社保協のような専門的な運動団体の要求、政策などを参考にする方法が考えられるが、県社保協が重視したやり方は、まず「4つの質問」をもってみんなで役場へ聞きに行くという行動であった。それは、「お金がなくても大丈夫ですか」、「サービスが今より悪くなりませんか」、「認定というのは難しいものですか」、「ヘルパーさんや施設は整っているのですか」というもので、これに対する役場の回答から要求が誰にも分かりやすい形で明確になるからであった。
運動の組織化と発展にとって、宣伝活動が決定的な重要性をもつものであることはいうまでもない。介護保険制度改善運動で両組織や傘下の地域組織などで一般の人々に配布されたチラシ、ビラは膨大な枚数である。そうしたなかで注目されたのは、両組織が呼びかけて2000年5月8日の『埼玉新聞』に応募が団体数1225団体、個人350名、合計1557件で、「だれもが安心の介護を求めて、国・県にもの申す−介護保険制度の根本的な改善と拡充を」という意見広告を掲載して県民への支持を呼びかけたことである。また、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』埼玉版にも掲載した。
こうした要求への理解を社会的に広く求め、その実現をめざすために自治体や国宛ての署名運動が職場や地域をはじめ、幅広くいたるところで進められた。自治体議会への請願運動も並行して取り組まれて、かなりの自治体で請願が採択され、改善要求実現の力となるとともに、幾つもの自治体議会がさらに国の政策の拡充を求める意見書を採択した。
大衆運動を発展、強化し、その持てる主体的力量を有効に発揮させるためには、運動を担うメンバ−に対する学習による理論的、政策的な能力を高め、自らの運動に対する確信を抱かせることが非常に重要であることは常に強調されることである。歴史のある中央社保協にしても、まだ歴史の浅い埼玉県社保協にしても最初からそれぞれの運動を発展させ、要求課題解決の力量を高めるために学習運動を系統的に計画、実施していることであった。社会保障・社会福祉問題の本質的な意義と国民生活にとっての重要性は、日常的な経験のなかから自然に身につくものではなく、その基礎理論と歴史的展開の過程、及び複雑に構成される現実の社会保障や社会福祉の仕組み、その実態を学ぶことによって初めて理解できるものである。
わが国への介護保険制度の導入が現実的な問題となって以降、多くの問題を含む新しい社会保険制度であるだけに、多くの論議を呼び起こし、その基本的な性格や制度内容、運営上の問題点などをめぐって学習会が至る所で開催された。結成以来、社会保障の学習を重視してきた県社保協も毎年開催する社会保障学校や社会保障セミナ−で介護保険制度を取り上げるとともに、労働組合や地域社保協も職場や各地で繰り返し学習会を開催して改善運動の発展に努めている。また中央社保協や全労連なども社会保障学校や運動経験の全国的な交流活動を通した学習運動を推進した。県社保協は、1998年と99年の8月に「介護保障の確立をめざす地域づくり学習討論集会」のように実際の運動経験の交流学習テーマとする学習会も開催している。
埼玉県における介護保険制度改善運動を支えた学習運動を大きく発展させる上で重要な役割をはたしたパンフレット『社会保障@』について紹介しておこう。(くわしくは後掲資料参照)それは、県社保協がこれまでの社会保障学校や社会保障セミナーでの学習活動、地域や職場における社会保障問題学習、それに実際の運動経験を土台に作成、編集された社会保障論のパンフレットである。
原富氏は、この社会保障論のパンフレットとそれが、埼玉における介護保険問題をはじめ社会保障拡充運動において果たした役割について次のよう書いている。
「96年から97年にかけては、国民的な規模で医療保険改悪反対運動が展開され、埼玉でも数十万の規模で署名運動が取り組まれた。95年から99年にかけては公的年金の連続改悪に反対するたたかいも高揚した。児童福祉法改悪反対や措置制度の解体、自治体の福祉予算削減の動きに対する福祉関係者の不安は、市町村や県当局への要求運動を活発化させた。高まる要求を背景に各市町村で乳幼児医療の公費助成の対象年齢の拡大がはかられる一方で、財政難を理由にした県の福祉医療制度(高齢者、乳幼児、重度障害者、一人親家庭への医療費公費助成)の見直し作業を行なう県の福祉医療協議会への傍聴や意見書の提出などの運動が組織された。2000年現在、埼玉県は、国保の滞納者に対する資格証明書の発行をしない全国唯一の県であるが、この問題でも、社保協が毎年県交渉の課題に取り上げ、保険証の取り上げを許さない粘り強い運動が県段階、地域段階で10数年繰り返されている。これらの各分野の運動をつなぎ、焦点としての介護保険改善の地域運動に結ぶうえで「社会保障パンフ@」は大きな武器になった。埼玉社保協は、パンフレットの中で利用料が介護サ−ビス抑制装置になってしまうことを警告し、利用料を廃止すべきと主張している。それは、医療保険制度の改悪で負担増による受診の抑制策が押し出されてきたことに対する運動から生まれてきたものであり、埼玉土建労組の健保国保の10割給付を守るきびしいたたかいとも連動し、介護や医療は現物給付であるべきとする根本的な提起とも重なっている。介護問題について、自治体による総合的な福祉施策を求め、すべてを介護保険に解消するのでなく、「上乗せ」や「横だし」、利用料の貸し付け、助成など含めて、介護保険の枠の外から自治体独自の施策拡充をめざした。地域から要求運動を土台に、自治体の独自施策要求と国の制度改善要求は連動したものとして追求された。社会保障論がこのパンフレットを通じて、地域で、職場で広く展開されたのである。」 このパンフレットは、99年4月に県社保協がこれまでの運動の実績と介護保険制度改善要求の方向に立って、他の社会保障・社会福祉問題との全体的関連をもわかりやすく作成、発行したB5版16ページのものであり、各地のこの段階における多くの介護保険問題などを中心とする社会保障関係の研究会活動で大量に活用され、1万3千部を普及したとのことである。
パンフレットは、介護保険問題から入り、「このまま実施されたら大変です」「最低これだけの改善が必要です」「地域住民の力合わせてよりよい制度の確立を」と制度の解説と改善方向、運動のポイントを6ページでまとめ、次ぎが医療問題で「医療がだんだん遠くなる…“抜本改革”で負担増!」、そして福祉問題は「問われる国と自治体の公的責任」、最後が年金問題で「これはひどい ストップ!年金改悪−これでは不安は増すばかり」と「安心して暮らせる公的年金制度 できます!めざします!」と指摘して、総括的に年金、医療、介護、福祉の財源問題を取り上げ、「社会保障制度改善へ財源はあります」というように介護保険の実施と並行して進む社会保障・社会福祉後退の全体像が見えるような内容となっており、全体で16ページに簡潔にまとめられているものである。
2月段階に埼玉春闘共闘と県社保協は、「負担増と医療制度を考える県民シンポジューム」を行い(18団体、77人参加)、3月から4月にかけて県社保協は「人権と福祉・社会保障を考える3回連続セミナーを開催した。そして、地域集会における自治体への要請事項の検討を経て、5月から第1次12日から14日まで、第2次20日から22日まで県内32コースで実施された。延参加者数は、1400人を超える規模であった。どこでも2000年4月実施の介護保険制度に論議が集中し、利用料など新たな住民負担、制限の多い介護給付などの問題が出されて、住民が納得のいく制度に拡充していくための自治体の施策強化が要請団から強く求められた。その際に各自治体に対して介護保険制度に関するアンケートも実施した。
各市町村長に提出された県社保協の「医療・福祉等対策についての要請書」の要請事項は、介護保険制度、保健・医療制度、福祉・保育制度、生活保護施策、住宅および生活環境整備、福祉を重視した街づくり、社会保保険の空洞化対策、医療・福祉施策の財源にかかわる国への要望の7項目からなるもので、介護保険制度関係の要請内容に対しては、後日、92自治体の内83自治体から県社保協宛て寄せられた。その後、県社保協は、6月18日に県の健康福祉部の各課と介護保険・高齢者保健福祉計画の基盤整備、発生している国保税滞納者に対する国民保険証を交付しない問題を中心に懇談する機会をもち、当面する問題に対する県の考え方を確認している。こうした話し合いは市町村レベルでも実施された。
県社保協は、8月1日に「介護保障の確立をめざす地域運動づくり集会」を開催したが、これには12の市民組織、医療や福祉関係の3つの機関・団体、2つの地域社保協、8つの労働組合、5つの地方議会の議員など30団体、120名が参加し、運動推進に相応しい市民・自治体関係者、地方議員からなる集会となった。集会では、「介護保険制度の抜本的な修正を国に求めるとともに、現在の介護水準を落とさず、介護を必要とする人々に必要な介護を保障するための行政責任を貫いた制度の補強を自治体に求める運動の強化が不可欠であること」、「自治体への要求にあたっては、要求を寄せ合う共同の場をつくりながら、みんなで要求をつくりあげていくことが大切」、「介護問題は、その自治体の福祉政策全体とからめて考え、追求することが必要で、それには関連するさまざまな分野の組織の英知を結集して、みんなで学習、調査、分析、行動を進め、さらに総括しつつ次の運動につなげていくねばり強い運動が必要であること」、「それを成功させるためにも、この運動と社保協づくりと一体としていくこと」こうした方向を確認している。
9月26日、27日の両日に第6回埼玉社会保障学校が開かれ、22組織127名が出席したが、社会保障制度に対する全面的な攻撃が強められている時、人権を基軸に据えた具体的な闘いの積み上げと社会保障とは何かを改めて掴みなおしながら闘うことが極めて重要であることを学んでいる。
県社保協の結成以来、埼玉大運動実行委員会と共同で毎年継続して取り組まれてきた「98年県政要求共同行動」が11月17日に実施された。当日の午前に約1時間、「県民要求実現合同決起集会」が開かれ、16の労働組合や市民団体から175人が参加した。午後1時から5時少し前まで、県政全般に関わる要求と医療・保健・福祉の問題に関わる要求を担った二つの要請団に分かれた県当局との折衝が行なわれた。前者には13組織33人、後者には220人が参加し、53項目にわたる要求が県当局に提出された。
「98年度県民の保健・医療・福祉各施策の拡充を求める県への要望」の要望事項は、「高齢者保健福祉計画の達成および保健・医療の整備拡充」、「介護保険事業実施の準備」、「国民健康保険制度」、「医療費公費助成制度」、「福祉・保育施策の拡充」、「総合的な福祉施策の推進」、「国への要望」の7項目からなり、「介護保険事業実施の準備」は10の要望内容であった。
折衝のなかでは、介護保険制度の実施を前にした埼玉県の高齢者保健福祉計画の達成率は全体として50%に達していないこと。現在でも不足している看護婦や施設職員の確保状態で、介護保険制度の実施に十分に対応できるのか。その他社会保障、社会福祉の現状の問題点が提起されたが、これといった施策拡充の回答は明確には示されずに終わった。12月16日に、県社保協と埼玉春闘共闘との共同行動として、浦和駅西口頭で年金制度改定問題など社会保障制度改悪反対の宣伝行動を行い、翌日17日には、中央社保協と全労連を中心とした国民春闘がよびかけた「12・17 年金・医療改悪阻止、介護保障確立、福祉改悪反対中央集会」にも動員参加している。
98年12月の第7回県社保協総会は(53人参加)、このようにして「対話・共同」の路線によって進められてきた5年間の埼玉における社会保障運動について、@医療、介護、福祉をめぐって、具体的な住民要求を結集した地域運動が、地域における諸団体の共同の前進と結集力の高まりと草の根からの大きな広がりを作り出しつつあり、それは自治体や地方議会を変える全住民運動への発展の可能性をみさつう見せつつある。Aその背景に、共同の形態による全県自治体キャラバンが諸団体の連帯を強化し、活動参加者をつくり、地域の共同の運動を発展させる契機になり、県下自治体への影響力を高めてきた。県段階の労働組合や諸団体の結集力がそれの大きな力となった。B県社保協の活動が、こうした諸活動と連携し、県当局への要求行動を重視してきたことから、県政に対する運動が強化されてきている。C社会保障集会や社会保障学校、課題別セミナーなど共同で学ぶことを重視してきたため、さまざまな分野から社会保障運動に参加していく仲間を増やして行く活動家づくりの場と機能してきたこと。D全国の運動を前進させる上でも実践的な貢献をしてきた。E共同の運動を組み立て、各分野の運動に学び、県や自治体への要請を繰り返し、組織的、集団的な作業をすすめるなかで、政策面でも一定の前進をしてきたことから、県社保協は、運動と政策の両面で、社会保障運動のセンタ−としての機能を向上させてきた。このように県社保協運動の前進面の特徴を明確にした。
そして、さらに総会は、98年の運動の特徴として、地域の共同の取り組みであったことを指摘し、「シンポジュームや地域的な学習会を繰り返し、医療保険の改悪に反対する地域の共同の広がりから地域社保協をつくり、医師や老人会の役員、民生委員など多くの地域住民を結集して、市議会の力関係を変え、医療問題と介護保険事業計画づくりに関わる優れた議会決議を勝ちとり、労組と民主団体が力を合わせて元気に地域運動を発展させている上尾の取り組みをはじめ、各地で教訓的な取り組みが展開され、運動を前進させている」と総括し、全県的な地域運動の広がりは、自治体要求運動や介護保険での自治体との懇談が網の目のようにとりくまれ、介護保険事業計画策定委員の公募の委員が社保協運動と学んで活動している状況にも現われているとした。
99年の埼労連と県社保協の県段階の共同行動は、ほぼ前年と同じ形態と方法で組織され、2月20日の埼玉社会保障集会(20団体、73人参加)、全自治体キャラバンは、5月20日から28日まで行なわれ、要請行動参加者は、前年を上回る1904人となり、介護保険制度の施行を翌年に控えて、「保険あって介護なし」という基本的な問題を抱えたままという状況のなかで、自治体との話し合いは殆どこの問題に費やされた。介護保険制度関係の要請内容に対して、92自治体中8自治体が無回答であった。
その後、次のような取り組みが行なわれ、そのなかで注目すべき特徴と成果が生み出されていった。
▽7月16日、県社保協と県当局との介護保険問題、国保資格証明書問題、医療費公費助成問題での懇談が行なわれた。
▽8月1日には、第2回の「介護保障の確立をめざす地域運動づくり学習討論会」が36団体101人の参加で開催され、県・市町村議会議員からの発言が目立ち、介護保険問題をめぐる議員と地域住民・組織との連携のとれたとりくみがいきいきと報告された。
▽第7回埼玉社会保障学校は、10月2日〜3日開催され(27団体、127人参加)、介護保険制度を中心に「地域から、介護保険制度の改善、人権保障をめざす共同の運動を大きく前進させよう」などの講義が行なわれた。
▽11月2日、「99年対県要求行動」が行なわれ、午前の合同決起集会には233人、午後の県社保協が運営世話人の医療・福祉の要請団には50人を超える白衣姿の看護婦さんを含め276人が参加し、介護保険問題を中心に80項目をこえる要請事項を約40項目に絞り込んで話し合いがもたれた。
以上の県段階の共同行動と並行して地域におけるさまざまな諸活動が地域社保協などによって進められ、自治体議会において住民要求が反映された請願採択、決議、国への意見書などが採択されている。
埼玉においては、こうした取り組みのなかで、全国の先陣をきって所沢市、入間市、和光市が自治体独自の保険料や利用料の減免や助成を発表し、また狭山市は、高齢者の人権保障を基礎にした自立生活支援や介護予防で非認定者対策などを盛り込んだ高齢者保健福祉施策の制度化を行なった。そして吉川市は、住民税非課税者の利用料の5割の助成、老齢福祉年金受給者の利用料に7割の助成(本人負担3%)の実施に踏み切ったのである。 12月18日に開催した県社保協第8回総会は、1年間の活動を振り返ってその特徴的な点として以下の状況が生み出されたことを指摘した。
*社会保障集会、介護問題学習討論会、課題別セミナー延べ200人参加、民生委員、地域の区長・自治会長、婦人会長なども参加した
*学習が単に学ぶだけに止まらず、行動に繋がっていた
*介護保険制度の学習会、シンポジュームは100回以上にのぼった
*学習パンフレット『社会保障@』 頒布部数1万3000以上となった
*要請や請願を受けて、国に介護保険改善を求める意見書を採択した議会は27で、その内容は、認定作業の是正、低所得者対策の強化、基盤整備の促進など住民要求と一致するものであった
*全自治体キャラバン参加者数の増加、前年比500人増の1904人となる
*自治体キャラバンで掴んだ問題点等を整理して臨んだ県政要請行動が3回実施された
*10の自治体に地域社保協が誕生し、介護を良くする会など共同組織も20自治体に誕生した
*市町村の介護保険事業策定委員会に10人を超える社保協に関係する市民が委員として参加した
このような注目すべき成果は、埼労連と県社保協が、介護保険の改善をめざす運動において、新しい制度を『悪』と前提して批判を展開する、所謂「理念闘争」にしないで、住民のくらしの視点から、制度の問題を具体的にえぐりだし、より良いものにする努力をし、自治体に対して「4つの質問」という一般市民の誰にでも理解され、実行される大衆的な形の取り組みを展開、推進したことによって可能となったといってよいであろう。
原富氏は、埼玉県内の自治体への要求運動は、全体的に総括すれば、三つの特徴をもって展開されたとする。
第一は、「ともかく聞きに行こう」と行政に足繁く通うことだった。制度のことがよくわからない、自治体との交渉の経験も少ない仲間たちが、「聞きにいくだけなら」と「四つの質問ポイント」を持って役所に出かけたこと。第二は、地域住民に広く声をかけ、地域で網の目のように開かれた学習会やシンポジュームが、老人会や医師や民生委員など地域の世論形成や自治体に影響力をもつ層にまで運動が広がったこと。そして第三に、各地で展開された請願運動が議会で介護保険事業の策定と基盤整備にかかわる決議を行なわせ行政の方向を住民本位にむけさせたことである。
●上尾市(人口約21万人)
埼玉県中部の上尾市、桶川市、伊奈町には、この三自治体をエリアにするAOI労連(上尾桶川伊奈地域労連)が存在していて、96年から97年にかけて医療生協とともに、医療改悪に反対する市民的な共同を本格的に追求し、共同の学習会の開催、世論づくりのかってない駅頭宣伝などに取り組み、そのなかから「医療保険を考える市民の会」を結成し、97年3月に広く地域の老人会や住民団体に呼びかけて医療シンポジュームを開催した。これには、雨の中、会場一杯の55人が参加し、呼びかけた各老人会から役員7名が参加した。そして4月には、90の老人会を対象とした訪問活動に取り組み、48人の老人会の会長と懇談し、「医療保険改悪反対の意見書を求める請願」署名への協力を要請した。その数日後には、24の老人会から1200人分を越える署名が届けられた。こうしたこ動きは、地域の有力者にも伝わり、3月市議会で委員会否決となった「医療保険改悪反対の意見書を求める請願」を6月議会では本会議で逆転採決することにもつながった。
このような取り組みは、労働組合と民主的な団体の結束も強化することになったが、「医療保険を考える市民の会」は、医療保険改悪の法案成立後の7月、協力を得た老人会を訪問してお礼状を届け、ひきつづく共同行動を呼びかけた。医療保険の改悪が実施され、痛みが広がる9月には5人の開業医と8人の老人会会長がAOI労連議長や市職労委員長などと並んで呼びかけ人となり、2回目の「どうなる医療・社会保障」のテーマによる講演とシンポジュ−ムを開催した。これには80人の会場に140人もの市民がつめかける盛況であった。このシンポジュームのなかで、参加した開業医から社会保障の問題を継続的にとりあげる組織がつくれないかという問題も提起された。そこで呼びかけられた地方議会向けの「さらなる医療改悪に反対する請願」署名は、その後、老人会、団地自治会、開業医、労働組合などから6000人分集まり、12月上尾市議会に提出された。
このようにシンポジュームと署名運動を通じて地域運動が広がり、地方議会をも変えていくことになる。老人会の運動参加は自治会での世話役活動を通じて地域の有力者や保守系の議員にも問題意識をもたせることになり、先に6月議会のような状況が生まれ、医療改悪実施後の9月議会では「薬代の負担増撤廃」の請願も委員会で否決、本会議で逆転採択となり、さらに12月議会では「これ以上の医療費負担増に反対」とする議会決議が20対10(自民党以外の全会派が賛成、これまで共産党関係の請願には反対するという基本態度であった「連合」推薦議員も賛成)の大差で可決されるようになったのである。運動にかかわった住民たちは、議会開催ごとに議員の姿勢が変わっていったので面白がって署名に取り組んだといわれている。
以上のような取り組みと成果によって、AOI労連への信頼が高まり、労働組合への評価が変わるなかで、社保協結成への期待が広がり、前年12月に「上尾・社会保障を良くする会」準備会がつくられていた。そして1998年3月、「医療保険を考える市民の会」は、地域社保協の「上尾・社会保障をよくする会」へと変わり発足したのである。
この上尾地域社保協が、最初に取り組んだのが2000年4月導入予定の介護保険問題で、「市民参加で、より良い制度にしていくことが大切との観点で、市民に介護保険制度の内容を知らせ、そこで出された意見をまとめて自治体に要請する」という方針のもとに介護保険関係の学習会やその講師養成講座、東西二地域に分けた市の実態調査実施に対応するいっせい学習会を開催した。
上尾地域社保協の加盟団体である医療生協さいたまから「介護保険制度の充実を求める請願」が提出され、3月議会で継続審議となり、休会中の委員会審査で否決されていたが、市民のなかに大きく発展した介護保険制度改善運動を背景に、6月議会の本会議では、一票差で可決されるという前進が生まれた。また、市当局が保険事業策定委員会への市民の公募に踏み切り、その2名の枠に「よくする会」から2名とも選ばれ、またその委員長には前年に医療シンポジュームを開催した時の呼びかけ人となった医師会長が選出された。 そして、1998年12月の上尾市議会では、全国的にも注目を集めた以下のような画期的な決議が採択された。これは6月議会で採択された請願が議会決議となったものであった。
@介護を受けたい人にたいしては、家族状況に関係なく権利が保障されるよう考慮すること。A特別養護老人ホ−ムをさらに増設し、地域差をなくすこと。Bホ−ムヘルパ−の増員と常勤化を進めること。C特別養護老人ホ−ムの利用者に、利用料が払えないという理由で、入所拒否や退所させるような事態が起こらないようにすること。D介護保険の対象になっていない「配食サ−ビス」は引き続き実施し、範囲の拡大と内容を充実すること。E認定委員は公平に選出し、氏名を公表すること。F低所得者の保険料の軽減と、保険料滞納者の制裁措置はしないこと。G介護保険事業計画の策定するにあたって、策定委員に被保険者である市民の代表を参加せること。
この決議は、今後、制度内容を検討するうえで非常に大きな指針となるものであった。 なお、労働組合運動は、社会保障・介護保険問題に対する市民との共同行動を進めるなかで、いろいろな活動分野で見違えるように元気になっていき、98年12月に地域連合(「連合埼玉」上尾・桶川・伊奈労組連合会)とAOI労連とのあいだにも共同の関係が前進し、上尾市に対して共同による「離職者支援と雇用対策の強化」「介護保険制度」など5項目の要請書を提出した。これはかってないことであったが、その後AOI労連大会には地域連合から初めて連帯のメッセ−ジが寄せられている。当時、AOI労連事務局長として、この運動で指導的な役割を果たした渡辺政成氏(現埼玉土建大宮支部書記長)は、運動を前進させた要因と教訓として、背景に市民の中に、医療保険改悪への不安と怒りが広がっていたこと。幅広い市民との一致点での共同を追求したこと。組織の得手を生かした医療生協・民主団体と労働組合との緊密な連携行動がとれたこと、とりわけ自治体労働者との関係は重要であること。運動を通じて、参加各団体に確信と自信を与え、さまざまな活動が活性化し、それが社保協活動にまた反映したこと。学習を中心とした運動の担い手づくりが行なわれたことにあるのではないかと語っている。
●入間市(人口約14.8万人)
埼玉県西部にある入間市の98年3月末時点でのゴールドプランの進捗度は、ヘルパー23%、ディサ−ビス50%、在宅介護支援センター25%で、介護保険実施にむけてマンパワーの確保はまことにこころもとない状況であった。
埼労連傘下の入間地域労連は、市民団体とも協力して広範な市民に呼びかけた地区ごとの介護保険に関する学習会に積極的に取り組みながら、1998年11月に「入間社会保障を良くする会」(入間社保協)を結成した。そして直後の12月に市議会に介護保険事業実施についての請願を提出したが、趣旨採択され、市長宛ての議会決議となった。
決議は、次の8項目−@市民の要望に応えられるようサ−ビス基盤の整備を行なうこと。A地域ごとに在宅介護支援センター、指定居宅介護支援事業者、指定居宅サ−ビス事業者などサ−ビス提供施設を確保すること。B介護支援専門員(ケアマネージャー)及びホームヘルパーを確保すること。C現在実施している高齢者福祉の諸施策やサ−ビスを維持すること。D低所得者で利用料が払えず介護を受けられない人のための必要な措置を講ずること。E事業計画の策定に当たっては、策定委員会の傍聴や情報の公開、住民の参加ができるようにすること。F介護保険制度に対する住民の理解をはかるため、地区別及び諸団体の学習会や懇談会など宣伝・啓蒙を行なうこと。G2000年以降の高齢者保健福祉施策の拡充をめざし、高齢者保健福祉にかかわる総合計画を市民参加で新たに策定すること。
入間社保協は、その後、この決議を活用して6ヵ所の地区別学習会の開催、老人会、自治会単位の学習会、シンポジューム、アンケート調査、対市交渉、宣伝物配布など運動の前進をめざす取り組みを進めた。決議におりこまれた「市民の要望に応えられる基盤整備」「地域ごとのサービス提供施設」「ホームヘルパーの確保」「新たな高齢者保健福祉総合計画」そして「住民参加」は、市当局にたいして、介護への公共投資、地域雇用の確保をめざす運動の発展させていくための大きな武器となるものであった。
●川口市(人口約46万人)
東京都に接する県南部の川口市(人口46万人)では、98年1月に「医療と社会保障を考える実行委員会」が開かれ、医療シンポジュームの開催、地域提灯デモへの参加、国保税値上げ反対署名運動の実施を決め、その後、提灯デモ等を全市的に成功さえるために、市内12ヵ所に「地域実行委員会」を結成した。国保税値上げ反対署名運動は1万4971筆を集め、提灯デモは多くの組織との共同で2046人が参加するなど運動を大きく前進させ、3月の医療シンポジュームには、250人が参加し、5月には県社保協の自治体キャラバンの市交渉も経験しながら、「川口社保協」結成を照準に据え、そのための学習会を経て、11月7日に正式に川口市社会保障推進協議会を結成した。
提灯デモで活躍した「地域実行委員会」は、地域社保協あるいはその準備会として位置付けられ、その後12会場での地域学習交流集会を経て、12の地区別社保協としてスタートした。地区別社保協は、介護保険・医療保険・年金問題を開催しながら、老人会や町内会、民生委員や開業医など、広い住民の参加を呼びかけ、地域に根ざした幅広い社保協への取り組み進めていった。
とくに介護保険について、地域での網の目の学習会やシンポジュームに取り組んだが、この時期、行政が各地区ごとに介護保険説明会を開催するのに合わせて当該地区の社保協が参加し、そこで重要なポイントについてして質問していく対応をした。行政が主催し自治会等を通じて集めた住民の前で、社保協の役員が質問し行政担当者が答えるという形は、社保協などの運動体とは距離のあった住民にとって、格好の学習会の場となったこの取り組みは、住民に社保協の存在と活動を知らせ、その影響力を広げたのである。
この教訓はその後全県に広がり、各地で網の目の学習会やシンポジュームが取り組まれ、行政とタイアップしての介護保険にかかわる県民的な討論をひろげることになった。こうした川口市をはじめ入間市、秩父市など各地で積極的な改善方向を含む議会決議や請願を採択させる力になっていった。川口市議会は、98年6月、12月、99年3月に政府に対する「介護保険制度の改善等を求める意見書」を提出していたが、6月にも地方自治法第99条第2項に基づいて改めて強く要望する以下の内容の意見書を提出している。
@基盤整備を進めるため国庫補助率、補助単価を引き上げ、用地費への国庫補助制度の創設をはかること。A保険料等の負担軽減のため、減免制度等必要な措置を講じるとともに、これに伴う財政補填を行なうこと。B介護認定にあたっては、公平・公正な認定ができるよう基準を明確にすること。C現行の福祉水準を後退させないための措置を講じ、自治体の単独事業に対し、財政支援を行なうこと。D制度の運用にあたっては、自治体の意見の尊重と過重な財政負担とならないよう必要な財政措置を講じること。
●草加市(人口約22.5万人)
草加市では、98年9月に埼労連傘下の草加八潮地区労の呼びかけで、住民の共同組織として「介護保険を考える会」が結成され、1999年3月に議会に提出された「介護及び高齢者福祉の充実を求める請願」が全会一致で採択された。
その内容は、「市民の要求に応えられるようホームヘルパーの増員、特養ホームなどのサービス基盤整備を促進する」ことをはじめ、従前の高齢者福祉の水準の維持、現在のサービス受給者への保障、低所得者の負担軽減、情報公開と住民参加、新たな総合計画の策定など6項目について市に十分な対策を講ずることを請願したものである。この請願運動を準備するにあたっては、現在の状況把握の調査活動や学習会、懇談会などに取り組み「全会派に賛成してもらえる」請願書づくりのための討論を重ね、すべての会派への働きかけを重視した。この過程では、介護保険法の「凍結」を求める意見も提起されたが、「期待している人を“凍結”では納得させることは難しい。介護保険の内容を広め、よりましな制度になるよう進めよう」と会としての合意を形成したのであった。
「介護を考える会」を支える地域の労働組合のセンターである草加八潮地区労は、町づくりをはじめ多彩な活動を展開し、毎年、草加市と八潮市における幅広い運動を背景に、医療・福祉、生活環境整備にかかわる具体的な問題解決、雇用の拡大や労働者の生活と権利をまもるための要求書の提出と交渉、教育委員会、商工会議所、商工会などへの要請と懇談を行なっている。
●その他の自治体における改善運動と成果
98年以降、他の県内市町村においても、春日部市で「地域の社会保障を充実させる運動、岩槻市で県社保協加盟団体による市当局への「介護保険に関する質問」提出と文書による「福祉を後退させる考えはない」とする回答の獲得、大宮市、東松山市での女性団体による「介護保険について教えて下さい」という市役所訪問活動、各地における介護保険問題での共同学習会の開催などが進められた。
99年には、浦和市、新座市、大井町で地域社保協が新たに結成され、「網の目」学習会やアンケート活動、介護保険制度の充実を求める請願署名運動などが進められて、秩父市では、市議会が介護保険の保険料、利用料の減免を含む介護保険制度の充実に関する請願を全会一致で採択した。
浦和市社保協は、12月市議会に、保険料・利用料の減免、ホームヘルパーの増員、特養老人ホームの増設などの基盤整備、現行福祉制度の維持、介護認定結果への苦情申し立てと人権擁護のために住民代表による第三者機関の導入などの請願署名1万0034筆を提出した。新座市では、11月に市社保協が介護保険の充実を求める市長交渉を行い、署名8391筆を提出、鳩ケ谷地区労が介護保険問題の住民アンケートの実地、所沢市の「高齢期を良くする会」、小川町の介護保険を考える会も市民に対する介護保険アンケートを実施した。
さらに、その後の2000年の状況を見ると、2月に川越市で、介護保険を充実させる市民の会が、前年秋から取り組んだ約1万8000筆の署名を集めて市長交渉を行い、また、大井町社会保障を良くする会は1653筆を集めて、町長交渉を実施、これまでの運動の成果を反映した所沢市の介護保険事業計画(中間報告)、鶴ヶ島市の「現行のサービス水準を後退させないため」の高齢者保健福祉サービスのあり方、吉川市の介護保険利用料の低所得者軽減等対策などが明らかにされている。7月13日に浦和市社保協と市当局との介護保険問題での懇談会が開催され、12月には「介護保険の負担軽減と医療保険の負担増中止を求める署名」8000筆を新たに提出した。11月23日には長年の念願だった大宮社会保障をよくする会が結成されている。
2001年には、浦和市社保協は、市当局との懇談で、さいたま市への合併によっても水準を後退させないことを再確認したが、日高市が利用料軽減に踏み切り、吉川市で「介護福祉総合条例」が制定された。5月に、浦和、大宮、与野の三市合併によるさいたま市のスタートに対応し、それぞれ既存の三市の社保協がさいたま市社会保障連絡協議会を結成、6月15日に市の対する県社保協のキャラバンを実施し、市当局と懇談、120名が参加している。
99年12月の第7回県社保協総会文書は、県下各地域における以上のような介護保険制度改善運動とその成果について、「…介護保険問題は、住民と自治体の距離も縮めている。埼玉には、10の自治体に地域社保協が誕生し、その多くは、介護保険問題の取り組みから生まれた。国に4回も市から要請を出させた社保協、市の介護保険事業を含む計画の中間報告を中心にして網の目の学習討論集会を組織した社保協、認定外や認定不足については市独自で別枠制度を設けて対応するなど8項目にわたる前向きの約束を市にさせた社保協、市議会議員の対応の様子を駅頭宣伝しながら介護保険制度拡充の全会一致を実現させていった社保協など、各分野各層の知恵と力を集めた地域社保協が、各地で華々しい活躍を見せている。介護制度を良くする会など介護問題を中心にした共同組織も20自治体に誕生して、市への要請活動などの取り組みが広がっている。県下自治体の三分の一に広がった共同行動は、様々な教訓を生み出して社会保障制度にかかわるとりくみを、いっそう豊かなものに発展させている」と評価した。
以上のような介護保険制度改善運動は、その後も今日まで継続して取り組まれており、新たに取り組んだ地域では、先行地域における制度改善−保険料、利用料の減免を到達目標にして、一定の成果などを獲得している。
県内90市町村のうち、2001年11月の時点で低所得者を対象サービス利用時の利用料を助成・軽減する自治体が67、実施の方向で検討しているのを含めると85自治体で、県内90市町村の94.4%、保険料の独自の減免条例を実施のは35自治体で38.9%である。埼労連と県社保協は全国的には3249市町村のうち2001年8月時点で利用料軽減措置は674自治体(20.7%)、保険料の独自減免は328市町村(10.1%)であるから埼玉県の到達状況は特筆されるとしている。
また、制度改善運動の過程で、地域社保協や「社会保障を良くする会」、「介護保険を良くする会」などの名称の運動組織を各地で成立させた。2001年12月現在で、地域社保協や社会保障を良くする会などの組織は、川越市、飯能市、秩父市、所沢市、上尾市、三郷市、川口市、入間市、新座市、浦和市、大井町、狭山市、春日部市、鳩ケ谷市、大宮市、坂戸市に結成され、2002年初頭結成を目途に朝霞市、岩槻市で、その準備会が結成されている。
川越市、飯能市、秩父市、所沢市を除く、他の地域社保協は、すべて介護保険問題の展開過程、とりわけ法成立を受けて、その改善運動が開始された1998年以降の運動のなかで、地域労連と傘下労働組合の積極的な協力を受けて幅広い活動を通して結成されたものである。
以上のような運動において、多数の要求を支持する署名運動が成功し、学習会には予想以上の人々が参加し、各種のアンケートにその運動を支持する立場から積極的に答え、県内各地の川口、大宮、川越、草加など身近な地域で数多くの集会、デモが行なわれたことから、これまでにない住民が沿道から手を振る人、拍手を送る人、デモに飛び入り参加する人などの光景があちこちで見られた。このような状況がつづく中で、介護保険制度改善運動に参加し、支持していた組合員や地域住民が運動の発展と獲得された成果に確信を持ち、さらによりよい介護保険制度をはじめ社会保障制度全般の拡充の必要性、重要性への理解は進んだと見てよいであろう。
以上、主として埼労連と埼玉県社会保障推進協議会(県社保協)が中心になり、社会保障、社会福祉関係の団体や地域の伝統的な住民組織、住民の幅広い人々との対話、共同の取り組みによって、とくに98年以降の介護保険制度改善運動を進めた状況について見てきた。
しかし、そうした運動を支え、推進する上で埼労連に参加している単産の積極的な取り組みがあったことも見ておかなければならない。その点について、埼労連と県社保協の加盟組織である埼玉土建と自治労連埼玉の二つの単産について、不十分なものであるが、簡単にその状況を報告しておきたい。医労連と関連する医療生協も大きな果たしたと思われるが、態勢と時間の関係で調査することができなかった。
埼玉土建は、71年9月に、東京土建の組織再編の中で、埼玉県内の建設労働者・職人8万7500人の組合員を結集した労働組合で、全国建設労働組合総連合(全建総連−組合員75万人)に加盟している。全建総連は全労連にも連合、全労協にも加盟していない純中立の産業別労働組合であるが、埼玉土建は埼労連加盟を通して全労連に結集した労働組合である。組織形態は、企業別組合ではなく、町場の建設職人中心の「個人加盟の居住地組織」であったが、今日では、あらゆる現場で働く全ての建設労働者・職人の個人加盟労働組合である。埼玉土建は、県下の行政区単位に44支部、それぞれの地域に685分会、居住地ごとに6718班(群)という組織構成になっており、本部から提起される全ての問題、課題は、必ず組合員全員参加の班会議の討論を経て決定し、厳格に実行されるという組合民主主義が実行されている。
埼玉土建は、結成時4085人で出発した組織であったが、結成直後の72年の保険料値上げを中心とした健康保険法の改悪をはじめ、社会保障の改悪を自らの課題として積極的に闘うとともに、賃金・単価の引き上げ、福利・社会保障の向上、地域住民との交流、連帯を重視して運動を続けて、組合員を拡大し、今日では、県下最大の労働組合に成長している。したがって埼労連内でも最強のトップ単産である。
埼玉土建は、埼労連の前身である埼玉統一労組懇にも結成から参加し、「軍事費を削ってくらしと福祉・教育の充実を」国民大運動埼玉県実行委員会の運動を積極的に担って以来、国民的共闘で闘う社会保障・社会福祉の改悪に反対し、その拡充をめざす運動の先頭に立った。そして埼労連に加盟し、県社保協結成にも参加して、今日に至まで、社会保障問題を組織の存立に関わる課題として位置付け、埼玉土建自身が創設した国民健康保険制度の10割給付を堅持しつつ、年金制度、国民健康保険制度、医療保険制度、介護保障制度などへの相次ぐ大がかりな攻撃との闘いを重視して取り組んできた。そして、長い社会保障闘争の経験から高めた力量を生かして学習会、シンポジューム、社会保障学校、署名運動、宣伝行動、自治体キャラバン、自治体交渉、県政要求、地方議会請願運動、国会行動、大衆集会、高齢者大会への動員参加などで埼労連、県社保協のあらゆる社会保障運動を支えて中心的な役割を果たしている。
埼玉土建の介護保険制度改善運動の取り組みの特徴について紹介しておきたい。
埼玉土建の社会保障闘争の要求、方針は、本部の社会保障対策部会と各支部の社会保障対策担当による社会保障対策部長会議で検討し、具体化して、組合機関の決定によって組織的取り組みをしているが、埼玉土建は、94年頃から、高齢者介護問題への社会的関心が高まるなかで、埼玉土建国民健康保険組合(埼玉土建国保)の機関誌『元気人』で高齢者の住宅、介護、車いすなどの高齢者の福祉問題をとりあげて具体的な論議を提起した。その後、政府の介護保険法案が国会に提出され、全労連、中央社保協が97年9月の介護保険法案の継続審議に向けて、法案の抜本的修正を求める団体署名運動を提起するとそれに取り組み、支部、分会から566通を集めて国会に提出した。
12月に介護保険法が成立して、その改善運動の組織化が開始されるなかで、98年1月から「介護保険の問題点」についての埼玉土建独自の学習会をスタ−トさせたが、これが改善運動の本格的な着手であった。これには29支部で2000人以上の組合員が参加した。とくにこの運動における学習会を重視し、県社保協や自治体主催の介護保険関係の学習会には支部、分会の組織と組合員を積極的に参加させるよう指導した。同時に、埼玉土建内部に埼玉土建国保と共同で、介護保険問題を特別に取り扱う13人から成る介護保険研究チ−ムを発足させた。ここで介護保険をめぐる問題点や制度改善の要求、解決への取り組みを検討し、まとめられたものが組合機関に提起され、決定されれば、それらを支部、分会に下ろして、実行を指示し、また運動全体にとって重要なものは埼労連、県社保協の場にも提起していった。
埼玉土建は、加盟組織である埼労連や県社保協の介護保険改善運動の方針にそって、地域での自治体職員と共同による介護保険の学習会の開催、制度の拡充を求める地方議会への請願、地域社保協や「介護保険をよくする会」などの結成(前年の4から13へ増)などに取り組むとともに、独自に埼玉土建国保と共同で60歳以上の被保険者の健康実態調査、自治体への介護保険の基盤整備に関わるアンケート調査を実施している。
99年には、地域社保協や「介護保険をよくする会」の結成はさらに進み(13から29へ増)、介護保険制度の緊急改善を求める請願署名を9万5000筆、介護保険学習会は166回、参加者4500人、地方議会請願署名8万9000筆という取り組みの成果をあげた。また、独自に介護保険申請者を組織する介護保険制度説明会の開催、介護要求アンケート、保健委員アンケート調査、健康大学・保健大学における介護保険学習も実施された。
2000年も地域社保協や「介護保険をよくする会」などの結成は29から35へ増加し、県社保協が企画した介護保険制度の改善を求める意見広告には、埼玉土建から44支部653分会が賛同し、介護・医療・年金の充実を求める署名は7万6000筆を集めた。
独自の取り組みとして、保健委員による70歳以上(300人)の組合員世帯訪問調査、県内全市町村を対象とした介護保険制度アンケート調査を実施し、その結果を『元気人』(No.13)に発表した。こうした運動のなかで新たに結成された地域社保協の事務局長などの役割を引き受けている埼玉土建の地域支部役員も少なくない。市町村の実施前の介護保険事業策定委員に選ばれて、住民のためのより良い介護をめざして奮闘した支部役員もいるが、地域で活動している支部役員の人々は、社会保障運動の国民的性格とそれに対する労働組合運動の役割の重要性、その運動を具体的に進めていくために求められる「対話・共同」と民主主義の徹底による「合意形成」という最も重要な基本姿勢をしっかりと身につけている。
埼玉土建本部は、各種の社会保障署名の取り組み、社会保障集会等参加状況、社会保障対策関連自治体交渉・地域の共同行動等の取り組み、参加状況が各支部毎に集計し、数字で状況を把握している。2001年度内に実施された介護保険制度改善運動を中心とする社会保障関連の幾つかの共同行動について44支部の活動状況を示す数字によると、埼玉土建の各支部が行なった「申し入れ活動」の対象は、医療機関1782、老人会854、町会・自治会1122、その他324、合計4082。自治体キャラバン関係への埼玉土建組合員の参加数は、その前段の地域集会38、キャラバン262、県政要求共同行動57、自治体交渉11となっている。埼玉土建が埼労連や県社保協の行動に積極的に参加し産業別組織として責任をもって役割を果たしている姿がこれらの数字からも明らかといえよう。
埼労連と県社保協の介護保険制度改善運動の地域からの着実な前進が、埼玉土建の以上のような取り組みにみられるように全県下に44の支部をもつ組織的な特殊性と建設労働者・職人の優れた行動力を結集した最大の産業別労働組合である埼玉土建の存在と活動力に大きく支えられていたことは明白であろう。
新たに導入された介護保険制度が市町村を保険者とする社会保険制度であり、したがって、その改善要求と運動は自治体に向けられるものであるため、そこからも各自治体で働く職員とその労働組合の支援、協力はきわめて重要であった。
その点で、埼玉県に自治体労働者が「住民全体の奉仕者」として職務を担い、地域住民と団結して地方自治体の行財政の民主化のために職場と地域で奮闘する基本姿勢を鮮明にしている自治体労働組合・自治労連埼玉が活動していたことは、運動の発展にとって有利な条件であった。そして実際に埼労連と県社保協の従来の対自治体運動のスタイルを変革して対話型、提案型へ発展させたことと連動して、自治体と住民、労働組合運動との関係を新たに創造し、住民の要求を実現させ、運動を着実に前進させることに成功した。
自治労連埼玉の上部組織である日本自治労働組合総連合(全労連・自治労連)は、29組織、25万7000人で、ナショナルセンター全労連最大の産業別組織であり、自治労連埼玉は、組合員約1万3500人の埼玉土建に次ぐ第2位の組織で、加盟単組は52である。
自治労連は、介護問題を特別に重視し、国と自治体の公的責任論の立場から、政府の介護保険法案に対しては、全労連や中央社保協の方針に沿って運動してきた。そして97年12月に成立して以降は、政策面では地域からの共同を拡大するために「自治体のめざすべき介護保障の内容の提案」、「介護保障確立にかかわる取り組みの強化について」、「介護保障基本条例(モデル案)」などを提起した。自治労連埼玉は、介護保険法案が参議院で継続審議となる段階で開かれた第45回大会において、国民の立場からの介護保障確立の運動を引き続き進めるとともに、地域においても「市町村高齢者保健福祉計画」の早期達成・上積みを要求し、介護サービスの基盤整備を進めることが求められているとした。
98年度の介護保険制度改善の取り組みについて、単組の学習会・意思統一のもとに住民との共同を広げてきたこと、そのなかで直接サービスを行い、現行水準を維持するとする市町村も広がっていること、運動によって自治体の態度を改善させることも可能になっているとして、介護保険制度の抜本的改善と人権を保障することができる公的介護保障をめざして、引き続き学習会、シンポジューム、署名、申し入れ活動を旺盛に取り組むことを強調した。
自治労連埼玉では、従来から内部に副委員長を中心に、各単組の福祉現場で仕事をしている役員を加えた9名のメンバーによる社会保障対策委員会が設置されていたが、介護保険法問題まではそれほど活発な活動はしていなかった。しかし介護保険制度改善運動が現実的な課題として取り組まれる段階になると、非常に重要な役割を果たすことになり、それぞれのメンバーが立場上行政サイドで収集できた多くの情報を整理し、福祉現場の実情を検討するなかで、どういう観点で、どこで自治体が関わり、どう具体的に改善させるかを現実的な提案を提起することが可能となった。保険料や利用料の減免措置、要介護認定の調査は自治体が責任をもって行い、調査は正規職員に限定しない非正規職員をふくむ自治体職員が担当するとしたこともこの委員会活動のなかから生み出されている。これらを執行委員会で確認して自治労連埼玉の提案とし、上部団体の埼労連、県社保協に提起し、民主的な議論によって合意された要求に位置付けられていった。
1999年度の活動では、県本部は「ホームヘルパー・介護保険担当職員交流集会(18団体30名参加)の開催、介護保険自治体・単組取り組み調査(25単組調査票提出)、自治体への介護保険緊急要請書の提出(16単組提出)などに取り組んでいる。この緊急要請書は、社会保障対策委員会における検討のなかからまとめられたものであった。
それは、@「保険あって介護なし」にならないために介護サービスの整備目標を制度導入にふさわしく引き上げること、A現行福祉水準を絶対に後退させないこと B保険料・利用料が払えないため制度から排除される事態をなくすこと、C介護の認定基準は高齢者の生活実態を反映したものにすること、D安心して介護が受けられるようホームヘルパーの充実を図ること、Dその他の5項目を柱に18の緊急要請項目から成るものであった。
この間に地域社保協との共同の取り組みで所沢市、入間市、狭山市などで低所得者の利用料の助成に道を開き、入間市、上尾市をはじめ多くの自治体で非認定になった人への現行サービスの継続など、大きく前進させた。また、単組単独や住民団体との共同による学習会、シンポジューム、住民アンケートなどが取り組まれた。同時に「介護保障基本条例(モデル案)」に基づく条例づくり運動の取り組みも提起した。
2000年4月に介護保険法が制定され、その内容に対する不安や批判が住民の間に広がるなかで、県本部は、7月の大会における運動方針で「介護保険の抜本改善のために」以下のような運動を提起して、その推進を確認しており、傘下各単組は、それに基づき今日まで、地域における介護保険制度改善運動の先頭に立っている。
○26の自治体で制度化された利用料減免、全国的にも注目されている秩父市の民主的な介護保険運営体制(介護保険運営協議会)、吉川市の福祉介護総合条例など県内自治体の先進事例をすべての市町村に普及させる運動を推進する。
○要求の柱を、(a)低所得者へ保険料の減免、(b)低所得者への利用料の軽減、(c)実態にあった介護認定、(d)基盤整備の推進、(e)民主的運営体制の整備におき地域での合意を広げる。
○改善方策について来年度予算に反映させるため地域の住民団体と共同の取り組みを強める(学習会、シンポジューム、利用者交流会、施設実態調査、改善要求の署名や請願運動など)。
○埼玉県社保協の活動に自治体労働者としての特性を生かして積極的に参加するとともに、各単組は地域社保協の結成と地域運動の先頭にたって奮闘する。
2001年の大会方針では、国に向けた運動として、重ねて低所得者に対する保険料・利用料の減免、要介護認定における痴呆の認定基準の改善、介護職員の処遇にみあった介護報酬の大幅改善、市町村に対する財政支援の強化等を求め、国に向けた署名・集会・自治体意見書の集中など運動を広げるとしている。
ここで、労働組合組織ではないが、県民要求実現大運動実行委員会の代表的団体である埼玉商工団体連合会(埼商連)と県社保協のオブザーバー加盟の埼玉県生活協同組合連合会(埼玉生協連)取り組みについて簡単に触れておきたい。
埼商連は、70年7月、浦和、川口、川越、大宮の4民主商工会の加盟によって結成され、現在県内の民主商工会31、会員数約1万6000名、会員構成は個人事業主(従業者1〜2名)が7割、法人格を有するもの3割程度、業種別では建設業30%、サービス業25%、飲食業20%、製造業15%、小売業10%と推定されている。
埼商連は、88年12月に他団体とともに医療問題対県交渉に参加し、国民健康保険資格証明書問題を取り上げ、91年10月には、「国民医療を守る共同行動埼玉県実行委員会」の対県交渉において国保への県支給金の増額、国保税の引き下げ、保険証未交付問題などを要求し、以来、今日に至るまで介護保険問題とともに重要な課題であり続けている。また埼商連は、94年2月からの県社保協が中心になって実施する社会保障、社会福祉関係の共同行動「全県自治体キャラバン行動」の自治体交渉団にも参加して埼玉県の社会保障運動の重要な一翼をになっている。会長の三石康夫氏は、県民要求実現埼玉大運動実行委員会の代表委員を務めている。
埼玉県生協連合会は、県社保協にはオブザーバー加盟であるが、最大のコープ埼玉の労働組合は埼労連の加盟組織であり、県社保協の加盟団体でもある。埼玉生協連は介護保険制度問題については、独自の取り組みを積極的に行なっており、2000年度には6〜8月にかけて15市1町の自治体の長と懇談して、生協の組織している「くらしの助け合いの会」を中心とした福祉の取り組みなどへの理解を広めている。また、2000年3月には、医療生協埼玉と覚書を取り交わし、ほぼ毎月定期協議を行い、具体的活動として、ヘルパー2級養成講座、福祉用具貸与事業、コープ福祉情報センター、ふれあい喫茶など協力して共同事業を行なっている。くらしの助け合いの会は、会員171名、ヘルパー会員593名、賛助会員254名で、食事サービス11グループが取り組むなど老人福祉問題の具体的実践活動では実績をあげている。
はじめに、県社保協と埼労連の「社会保障学校」や「社会保障セミナー」など社会保障運動の幹部活動家の養成において講師などで指導的な役割を果たしてきている社会保障運動の研究家である公文昭夫氏が、埼玉県の社会保障運動の特徴について、私達の質問に答えて次のように語っていることを紹介しておこう。
「埼玉県の労働組合運動は、旧総評時代においても、地域の共闘組織と住民運動の点で見ると、消団連などの消費者運動、労働四団体のいわゆる共闘の場であった労働者福祉協議会などを通じての社会保障運動が主流で、それが埼玉県評や地区労などを通じての革新自治体づくり(畑和知事)に貢献したと思う。その広がりにブレーキをかけていた弱点が特定政党−日本社会党一党支持で、そこから選挙運動が主体となり、社会保障運動が主力である埼玉土建や医療生協などとの協力、共同を発展させる大きな壁をつくっていた。
その後、総評が解体して連合へ合流し、全労連運動とともに埼労連、地区労連が登場することによって、労働組合運動の地域共闘組織が活性化し、中小・零細企業に働く労働者の賃金、労働条件の改善に闘いに対する共闘、相互支援、人減らし「合理化」反対闘争や労働争議への支援、居住地における労働者を含む地域住民の生活改善要求に対する社会保障運動を中心とする生活防衛運動などに見ることができる。
こうした流れのなかで、今日、全国的にも注目を集めるような社会保障運動が大きく前進している背景は何だろうか。私は、それはまず労働者の家計が賃金と自治体予算配分(社会保障費、社会福祉費への還元)の二本柱で構成されているとする原理、原則についての労働者教育が、県春闘共闘(埼労連)と県社保協共催による毎年実施され、今年で11回にのぼる社会保障学校、それがさらに産業別レベル、地域レベルにまで拡げられ、開催されていることではないか。もう一つ見逃すことの出来ない点は、運動発展にとって理想的な基盤が存在していたことと運動が継続的に組織されたことではないかと思っている。
埼玉県のとくに人口が集中しているかなり広域にわたる南部地域を中心にベッドタウン(居住不在)の労働者が生活しており(約100万人)、その労働者と地元居住労働者のジョイント(共通項)を促す運動は、やはり地域福祉の拡充と社会保障の充実を内容とする各種の制度改善や制度改悪反対の社会保障運動だと思う。その点では、埼玉県は労働組合の社会保障運動にとって理想的基盤を有しているといえる。具体的に言えば、居住労働者を結集する埼玉土建は、地場賃金と地域福祉が生活の基礎となっているところから、主婦会が積極的に地域の各種の生活運動に参加し、その主体を構築してきている。
また、地域住民と密着した関係のなかで働いている自治体労働者とその労働組合である自治労連は、自治体予算の民主的活用、拡充の面で政策的要の位置にあることを自覚して、介護保険問題、保育問題、医療保険問題などで自らの政策能力と指導的役割を労働組合運動と社会運動双方にいかしている。さらには、医療生協、民医連、保団連などが、その持てる社会的影響力を発揮しており、生協病院と患者組織などが地域住民の「いのちと健康」を守る運動における社会的役割も大きい。
このような三つ運動の軸を結集する三つの日常的、継続的運動としての県内全自治体キャラバン行動、対県・市町村交渉、社会保障学校・各種学習会が持続され、そのなかで形成され、高められた力量が発揮されているところに重要な特徴があると思う。そうした運動が革新自治体時代の遺産を守り、育てる継続的運動となっていることも注目すべき点であろう。
埼労連は、99年9月の第11回定期大会で、介護保険問題を中心とする社会保障闘争は、前年から開始されていた介護保険の緊急改善のたたかいについては、さらに「県および市町村に対する独自施策と基盤整備、制度改善を求める地域の要求運動と世論づくりの活動を展開し、共同の幅広い戦線を広げていく」として、2000年、2001年と県社保協とともに運動を組織した。そして、県社保協の構成組織として、その成果を確認しながら、今後の介護保険制度改善の取り組みについて、2001年9月の13回定期大会の運動方針では、「介護保険制度では、利用料の負担や施設設備の遅れによって必要なサービスが受けられないことや実施主体の市町村で実態把握が困難など問題が浮き彫りになっている。このような中で、自治体キャラバンの行動などによって県内の90自治体中82自治体で利用料の減額を実施または具体化の検討をさせてきていることは、今後の運動に大きな弾みと展望を持たせるものとなっている。」とした上で、「医療改革」阻止の課題とともに、介護保険制度改善に関わる課題を以下のように提起した。
○安心して必要な介護サービスを受けられるよう、1)県内全ての自治体で、保険料・利用料の軽減、軽減の実施と内容の充実を図り、費用負担の心配がなく介護サ−ビスを利用できるようにすること。2)国と自治体の責任で、施設やホ−ムヘルパーなどを増やし、十分なサービス体制を整えること。など介護保険制度の充実・改善を要求する。
○社会保険料、介護保険料などの負担割合を労働者3・使用者7などを勝ちとっている先進的な職場のたたかいに学びながら社会保険料の負担、福利厚生費を第2賃金と位置づけ、職場を基礎にたたかいをすすめる。
○埼労連の社会保障対策委員会の強化をはかり、運動を発展させて、埼労連、地域労連の力を発揮して埼玉社保協の運動をさらに発展させ、自治体キャラバン、学習会の充実や地域社保協のいっそうの確立をはかる。
○社会保障署名の運動を旺盛に展開し、要求の実現につとめる。
(3)県社保協の中間的総括
県社保協は、2001年の総会文書で、98年以降の制度改善運動について、以下のようにその成果と問題点を提起している。
○介護保険制度が実施されて1年が経過した。介護保険料・利用料の独自軽減を実施している自治体は、保険料で県内市町村の36%、利用料で95%を超え、全国で際立った前進をみせている。全国で軽減を実施している自治体のなかで、埼玉が占めている割合は、保険料で328自治体の10%、利用料では674自治体の13%になっている。しかも、埼玉の負担軽減の内容は、保険料では、保険料徴収基準の第3階層まで軽減の対象に加えた自治体もあり、国の施策の基本的な矛盾を指摘する内容もみられる点で大きな特徴をもっている。利用料では、全国の多くの自治体がその軽減対象をヘルパー利用料の3%軽減においているのに対して、埼玉では、軽減の対象を在宅サ−ビスの全体、さらには施設サービスにも広げているという特徴があり、全国から注目されている。
これらの前進には、介護保険実施前から3年間にかけて、保険料・利用料の負担がサービスの自己抑制につながりかねないとして、その軽減対策の必要を市町村に粘り強く要求してきたキャラバンの行動と、これに呼応した各地での市町村議会内外での運動がある。さらには、この背景には、日本福祉大の石川満先生などが、指摘されるように「介護保険制度の実施前から、高齢者等に対して医療費の助成を自治体の単独事業とした展開されてきたことがある」というこれまでみんなで積み上げてきた運動の蓄積がある。
Aしかし、前進の半面、問題の残されている。保険給付の最高限度額の利用状況が40%を割り、全国平均よりも低くなっている。加えて、折角の保険料・利用料の軽減制度の活用も低調である。埼玉県当局も、県政要求行動などでも県社保協などが訴えてきた、給付認定者への直接訪問も含めた利用状況の実態調査に乗り出したが、調査の結果やそれに基づく行政の対応などに注目しながら、事態改善のための実態に即した行政の取り組み強化を求めていく必要がある。
全国的に、介護基盤の整備の遅れているところほど、サービスの利用が低くなっている。埼玉県の整備状況は、北関東のなかでも千葉と並んで最低の状況にあるといわれているので、2003年度の事業計画見直しの時期を見据えて、高齢者・生活困難者への介護サ−ビスを保障し、基盤の整備など安心して介護サ−ビスを受けられる体制の強化を、県ならびに市町村の責任において遂行していく必要がある。
今後の社会保障運動と労働組合運動にとっての埼玉県の介護保険制度改善運動からの教訓
以上、わが国の近年の社会保障運動と労働組合運動において注目を集めた埼玉県における介護保険制度改善運動の経験をその流れに則して調査し、とりまとめた拙い報告書であるが、その諸特徴はある程度明らかにすることができたのではないかと思っている。そこで、調査した立場から今後のわが国の社会保障運動と労働組合運動に生かされるべき教訓のようなものを私的な覚書として若干書き留めておくことにしたい。
○その最も重要と思われるものは、今後一層重要性を増す社会保障運動を大きく前進させるためには、労働組合運動が社会保障問題を労働者と国民諸階層の生活の防衛、拡充、日本社会のあり方の探求にとって不可欠の課題として位置付け、その認識を深めて運動に積極的に取り組む姿勢を確立すること、学習、対話、共同を重視してそれに相応しい運動の方式を研究、選択して、持続的に運動を推進することであろう。
その場合、とくに労働組合運動が、生活の拠点である職場と地域における社会保障・社会福祉の制度改善の取り組みをすべての組合員、全労働者、その家族参加の運動にしていくことが大切にされなければならないであろう。
○埼労連は、従前の社会保障運動の取り組み経験を継承して、県社保協の設立を広く呼び掛け、新しい社保協運動の基軸としてリーダーシップを発揮した。しかし、それは従来よく一般的に見られた一定の理念的立場から労働組合運動が持つ組織的な力量を背景にして主導的に引き廻すというやり方ではなく、「対話と共同」の共闘運動に相応しい、つまり労働組合の要求や考え方を優先的に持ち込まずに、対等、平等の立場を尊重してそれぞれの団体、グル−プが自由に要求や政策、運動の進め方についての考え方を出し合って民主的な討論を続けられるように配慮し、そのなかから現実を重視して、実行可能な「合意」を造り出すといった姿勢に徹して取り組んでいる。そして「合意」した内容に対しては誠実に責任を負い、持てる組織の力量を発揮して役割を果たしたのであった。労働組合運動が「対話と共同」の共闘運動を発展させるためには、このような姿勢に徹して最大限の努力をすることは、いかなる場合においても厳格に守らなれねばならない現代における労働組合運動の基本原則であろう。
埼労連のこうした基本的姿勢と運動方法が、多様な組織と個人を結集した県社保協の組織と運動を発展的に支え、地域社保協やそれに準ずる組織の設立をこれまで見られなかった一段と幅の広い形で成功させ、また、労働組合の社会保障運動、県民要求実現埼玉大運動実行委員会や県内全自治体キャラバン、対県・市町村交渉などの継続性を保障したものと思われる。
そうしたなかで地域の個別問題をかかえたサークル的な住民運動も、労働組合運動、とりわけその地域労連、地域社保協がセンタ−との接点をもつことによって、社会保障・社会福祉運動を幅広く支え、前進させる主体として力をもつようになった点は重要である。
わが国の労働組合運動の危機的状況が深刻化している下で、あらゆる労働者、労働組合組織の対話、連帯、共同を広げ、一致点に基づく統一行動を追求し、実現させることなしに労働者状態の改善も国民生活の防衛もきわめて困難となっている。それだけに埼労連、県社保協の以上のような幅広い運動を発展させ要求実現に責任を負う基本的姿勢は、今日労働組合運動をはじめあらゆる社会運動のなかに貫かれ、確立されることが強く求められている。
○さらに、やはり自治体との接触、交渉においても、従来型の抗議的に要求を突き付け、相手を一方的に問い詰め、喧嘩越しに追求するといった交渉スタイルではなく、地域住民とともに自治体の自治の側面に強く働きかけながら、要請内容について共通の認識と合意を求める話し合いの場として位置付ける提案型の運動を一層発展させていること、これらは今日、その重要性がかなり認識され、実行されているが、教訓的な点である。埼労連傘下単産の社会保障問題の担当者や県社保協、地域社保協の活動家は、これまでの運動経験のなかから社会保障問題におけるこの点の重要性を一致して強調している。
○埼玉県における社会保障運動の発展に継続的な「学習」活動が果たした重要な役割は何人も異論はないであろう。労働組合運動においては、このような「学習」活動を強化する必要性が叫ばれながらも、なかなか停滞の状況を克服できないでおり、この点の論議は深められることが必要ではないか。こうした運動のなかで、埼玉県では社会保障問題の基礎理論と政策的能力を身につけ、それに基づく実践的な運動能力を高めた担い手としての幹部、活動家が数多く養成され、労働組合運動や社会保障運動の多くの分野、ポストに就いて活動している。この点で、埼労連と県社保協が社会保障運動の「学習」のなかで、理論、政策面だけでなく、あるべき活動家像も、具体的に活動の進め方を例示しながら教育課題として重視していることは注目される。社会保障運動の活動には、労働組合運動と違って階級階層を異にする多様な人々と広く接触する機会が多い分野であるために、広い視野と寛容な人間性、柔軟な思考、応用力、構想力がとくに求められるからである。
○全労連がその組織構成において、産業別労働組合組織とともに地方・地域組織を運動の主体として位置付けてきたが、このことが労働組合の運動領域を大きく広げ、地域における運動や地域社保協の運動を発展させる重要な組織的土台として寄与したことは疑いないだろう。この点でも、埼労連の運動は、地方労連、地域労連の在り方の重要な典型例の一つといっても過言ではないであろう。私達も多くのことを教えられた地方労連であった。
○公文昭夫氏が、先の感想で、埼玉県の介護保険制度改善運動が革新自治体時代の遺産を守り、育てる継続的な運動であるとしているが、この10年、埼労連運動と県社保協運動の指導的立場で関わった原富悟氏は、介護保険制度改善を中心とする埼玉の社会保障運動を「民主的な自治体づくりに向けて」の運動ととして捉えて、「埼玉社保協は、それぞれの地域・分野の運動を大事にしながら、全国のたたかいと地域的な要求運動を結び、各分野の運動をヨコにつなぎ、労働組合の組織力を統一闘争や共同の取り組みに生かしていく運動を発展させてきた。個々の要求を顕在化させ、社会福祉の現場に起こる問題の解決方向を共同の作業で追い求め、各分野の要求と運動をつなぎ、参加と自治意識を育てる思想的な武器として日本国憲法が生きた」と全体的に総括している。つまり日本国憲法の基本的人権保障の理念と具体的規定を運動の基底に据え、それを貫くことによって要求、政策、運動のあらゆる面での対話、連帯、共同、統一は可能となり、運動を前進ささせることが出来たとうことであろう。
この総括の意義は、きわめて大きく、深いものがある。わが国の労働組合運動と社会保障運動の今後の持続的な発展のために埼玉県における介護保険制度改善運動をはじめ最低賃金制、組織拡大問題その他運動分野の諸経験には、学ばれる必要がある数多くの教訓があると考えている。
埼労連は、結成以来の運動の経験の上に、新たな情勢の進展とその下での労働者をはじめとする勤労諸階層の状態、地域の住民の状況などをとらえ、運動構築にさまざま工夫をこらして介護保険制度改善運動にみられるように、「対話と共同」を基本とした地域住民との幅広い運動を推進し、地方・地域における社会保障運動を大きく発展させた。埼労連は、そこにローカルセンターとしての住民要求の実現に果たす役割と責任に自信を深めているが、それに安んじることなく他の運動課題を前進させるために、これまでの地域を見据え、地域のすべての労働者・労働組合・及び住民全体を視野に入れる運動姿勢をもって積極的な問題提起を行っている点が注目される。
今日、全労連運動の春闘では、賃金引き上げとして、地域における公正・適正な賃金・労働条件をめざす運動の組織化が大きな課題として登場してきている。そのなかで埼労連は、新たな取り組みとして、自治体の委託事業や発注工事、直接雇用させる嘱託や臨時などいわゆる「公契約労働」について、自治体の責任で適正な賃金・労働条件を確保することを求めていくことにし、直接関係する5単産(自治労連・全国一般・福祉保育労・建交労・埼玉土建)と要求や運動方向を協議している。それは「公的な役割を担う仕事の質を確保する」こととあわせて「税金を使う事業で低賃金労働者をつくらない」ことを自治体の公的責任として求めるものである。このしくみが実現すれば、公的な部門の賃金・労働条件だけでなく地域全体に波及することになる。埼労連は、介護保険制度改善運動で実現された自治体との関係を活かして県に要請するとともに、幾つかの自治体と意見交換を行って労働者の問題への関心を高め、実際に取り組むことを求めている。
埼労連の原富事務局長は、自治体が「労働者の問題」に目をむけ、「適正な賃金・労働条件を確保する公契約労働」が設定され、それを支持する世論が広がれば、日本の賃金闘争において地域の運動が大きな位置を占めるようになあり、根強く残る企業主義・企業内主義を克服していく力になるし、同時に、地域から広範な未組織労働者を根こそぎ組織していく可能性もはらんでいるのではないかと大きく展望している。
この末組織労働者の組織化問題も今日の全労連運動が本腰を入れて取り組もうとしている最大の課題であるが、埼労連も一貫してこの課題を重視し、全参加組織が「すべての運動を組織拡大に結実させる」視野で取り組み、組合員数・組合数の点で着実に増加させ、成果をあげている。埼労連は、介護保険制度改善運動において「対話と共同」を追求し、地域運動を前進させる大きな力を発揮してきたことから、原富事務局長は、パートタイム労働者や派遣労働者、SOHOやフリーターなど不安定労働者について、職場の組織化だけでなく居住地での組織化を検討すべきだとし、使用者への要求運動だけでなく、自治体への要求運動や雇用・社会保障などの制度要求について取り組みを考えれば、地域固有の運動が必要になる。そして労働者を地域的な視点から組織化する地域組織の活動はきわめて重要であり、組織形態としての地域労組という形態が必要になってくると組織論にも言及しているのである。
埼労連は、2001年の第13回定期大会で採択した運動方針で、これまでの運動の到達点を総括しながら、その他多くの課題について意欲的な取り組みを提起している。それらの実践の結果にも豊かな教訓が示されているであろう。そうしたものを含めてさらに一層広く、深く、埼労連のそしき・政策・運動が総合的に調査されることを期待するものである。
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